手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

忖度

忖度

 

 周囲の人に気遣うのは日本人の美徳ではありますが、度が過ぎれば世の中の方向を誤って、間違った考え方が横行します。どう考えてもおかしいと思うことが、日本には多すぎます。そして明らかに間違ったことが何年経っても少しも改まりません。

 自民党のパーティー券問題もしかり、やってはいけないことが、いつの間にか方法を変えてまかり通ってしまい。それがばれるとみんなあたふたとして言い訳を始めます。

 始めから間違っていることを知っていながら、抜け道を見つけ、危ないと知りつつ、たぶんばれないだろうと勝手な思い込みをして、間違いをし続けます。然し、冷静に考えてみればやはり違法です。政治家ならそれが違法であることは百も承知なはずです。

 ところが、闇で資金を何十年も貰い続けて、その間に誰も間違いを指摘しません。なぜしないかと言うなら、周囲の先輩や指導家に気遣って、間違いに蓋をしてしまうからです。すなわち忖度(そんたく)をして結局は、ばれるまで間違いを続けて、ばれたときに何とか自分だけ逃れる道を探そうとします。みっともない話です。

 

 そのことはジャニーズ問題も同じです。ジャニーズと言う事務所がどんな事務所なのかは芸能に携わる人なら誰でも知っていたはずです。にもかかわらず、みんながジャニー喜多川さんに忖度をして、性の問題に触れないようにしていました。

 ジャニーさん自身も誰かに性的問題を触れられようものなら、「タレント全員を引くぞ」。と言ってマスコミを脅します。テレビ局にアイドルタレントがいなくなったら、視聴率が落ちるのは明らかですから、誰も逆らえなくなります。

 然し、そんな日本の芸能社会を、イギリスのBBC (放送局)が見たなら、明らかに違法な世界を、日本の芸能界がかばっていることが丸見えです。そこで、イギリスのテレビでジャニーズの本質を特集すれば、たちまち大慌てで、手のひらを返したように日本中のマスコミがジャニーズ批判をします。

 めでたいことにスポンサーまでもが、ジャニーズタレントを使わなくなります。ついこの間までジャニーズタレントを使って自社の製品を売り込んでいたのに、イギリスの一番組が問題提起をしただけで日本の企業はいちころでなびいてしまいます。

 私はジャニーズ事務所に問題はあるとしても、だからと言って、そこに所属するタレントに罪はないと思います。彼らを使わない理由はないはずです。彼らはずっと被害者であって、罪を犯した者ではなかったはずです。 

 何十年にもわたって、間違いを承知で、事務所に忖度して、タレントを使ってきた企業が、海外に攻められると、一も二もなく考えを翻します。そんな理由がどこにありますか。「わが社はこのタレントの才能に惚れ込んでコマーシャルをお願いしている」。と堂々と言えばよいではありませんか。私なら、その都度社会に忖度をして、右に左に考えを変える会社よりも、一貫して自分の方針を貫く姿勢を示す会社の方をより信頼します。

 

 数日前にたけしさんの「首」の感想を書いたときに、他の映画評論はどんなことを書いているのか、いくつか興味でyoutubeを見てみました。ほとんどどれも一様に斬新で面白い、と言っています。つまらないと言う評は先ずありませんでした。

 然し、本当にそうでしょうか。評論家なら、感じたとか、思ったではなく、もっと適格に、論理的に評してもらいたいと思います。現実に、興行収益は伸びていないようですから、一般観客には受け入れにくかったのでしょう。

 評論をする人の中には、如何にもたけしさんに忖度をして、たけしさんのセリフのまずさや、芝居のまずさ、無理なストーリーには全く触れようとしていません。人によっては、作品自体を語りにくいらしく、評の前半はたけしさんの過去の作品をほめあげたり、たけしさんの性格を褒めたり。過去にたけしさんに世話になった話など話しています。肝心の「首」に対する評はごく一部だけ。なんだそりゃ、という評もありました。

 性格や過去の作品なんてどうでもいいのです。今回の作品がどこが良くてどこが問題なのか。まだ見ていない映画ファンに明確に伝えてほしいのです。そこまで書きにくいなら、初めから論評しなければいいのに、なんでこの人は映画評論をするのか。訝しく思いました。多くは、たけしさんを礼賛する言葉ばかりを並べ、無理なストーリーを奇抜な展開と言い変え、グロばかりを並べた作品の問題を語らずに終わってしまうような評がたくさん出ています。

 たけしさんを好きで見ている人には何も申し上げません。ただ、この作品が、本当にいい作品なのかどうか、みんなに見てもらいたい作品なのか、原点に返ってもう一度きっちり客観的に評を書いてもらいたのです。

 たけしさん自身も、「大河ドラマは表向きな英雄伝ばかりを取り上げているが、『首』では人の本質を捉えている」。などと、大河ドラマと比較して「首」を語っていらっしゃいますが、この作品が大河ドラマとの比較対象になるのかどうか。そもそもが間違っていませんか。

 こんな風にみんながみんな、たけしさんを持ち上げて、そしてたけしさん亡き後、誰も見向きもしなくなるようなことになるのであれば、今、たけしさんにもう少しいい仕事をしてもらうように、もっとみんな素直に感想を述べるべきではないですか。そうでないとせっかくのたけしさんの才能がつぶれてしまいます。

 

 三年前に福井で、峯村健二、藤山大成(前田翔太)、ザッキーと食事をしていた時に、来年、前田は弟子を卒業して、名前を変えると言う話になりました。その時、峯村さんが「前田君にどんなマジシャンになってもらいたいのですか」。と尋ねるので、私は「とかくマジシャンは自分のことしか見えない人が多いので、人の気持ちが分かるマジシャンになってもらいたい」。と言いました。

 すると峯村さんは「それなら忖度と言う名はどうですか」。と言いましたので。「それはいい、忖度ね。屋号は二宮、だね。二宮忖度。いいね。そうなると薪を背負って、本を読みながら、小学校の校庭に立っていなけりゃいけないよね」。「全然マジシャンと関係ない芸名ですね。藤山ですらないじゃないですか」。話がどんどん離れて行きました。結局、その後、前田は藤山大成になりました。めでたしめでたしです。

 でも忖度は悪い名前ではありません。少なくともマジシャンには必要な名前です。この先弟子が来たなら誰かに名乗らせようかと思います。

続く