手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジャニーズ騒動

ジャニーズ騒動

 

 これは書きにくい話です。単に、未成年に性的な強要をしたと言う話なら、明らかにジャニー喜多川さんに非があります。然しその件は10年以上前に裁判で争われて、ジャニーさんも間違いを認めています。

 問題は、法律に触れていると分かっていながら、それをずっと周囲がまあまあと、なし崩しに許してきたことです。いけないと知りつつも、ジャニー喜多川さんの卓抜なマネージャーとしての才能によって、優れたタレントが数多く輩出されて、それによってテレビ局が潤ってきたことで、全てのことが覆い隠されてきたのです。

 いけないならいけない、とはっきり言ってしまえばいいことで、全てのテレビ局がジャニーズプロモーションとの取引をやめてしまえばいいことです。でもそれが出来ないのです。なぜできないかは明らかで、ジャニー喜多川さんと言う人が、稀に見る人材開発能力を持っている人だったからでしょう。

 私自身何度か遠目にジャニー喜多川さんにお会いしています。それはジャニーズ事務所のタレントにマジック指導などする際に、時折拝見する程度のことでした。それも、紹介されて顔を知ったわけではありません。喜多川さんと言う人は人前に出ることを好まず、誰が社長なのかよくわからなかった時代が長かったのです。喜多川さんと言う人は徹底的に影に徹していて、表立ってしゃしゃり出てはこない人だったのです。

 但し、その頃から喜多川さんの性的な問題は随分聞いていました。ただそのことは芸能の世界では日常茶飯事で、少年を女性タレントに置き換えてみたなら、テレビドラマの演出家やプロデューサー、劇団の主催者、もうあちこちの人が、色と利益で結びついて、情事を繰り返して来たのですから、今更何を、と言う話でした。

 但し、最大の問題は未成年を相手にしたこと。しかも日常化して、所属タレントに次々と、半強制的にセックスを迫ったことです。常識で考えたならそうした人は、社会的に抹殺されるべきはずですが、そうならなかったのです。

 それがなぜかは、喜多川さんのタレント発掘能力が常人を超えたものだったからです。冷静に考えても、芸能プロダクションと言うのは、ほんの2,3人の女優や、男優を抱えて、それを売り混むことで会社を維持しています。タレントは50人います、100人いますと宣伝しても、看板の2,3人を除けば、ほとんどは仕事になっていないような人たちばかりです。多くの芸能事務所は、ほんの数人のタレントを発掘しては生涯タレントに寄生して生きているのです。

 多くのプロダクションは、2,3人のタレントを売り続けます。そのタレントが年を取って仕事を失って行けば、プロダクションの業務も終わります。女優が年を取れば事務所も年を取って終わってしまうのです。「その間に次の人材を発掘すればいいじゃないか」。誰もがそう思います。然し、実際にはそんなにどこにでも優れた人材がいるわけではないのです。いや、いたとしても、その人材の育て方が分からないのです。

 一人のタレントが成功したからと言って、同じことを新人にさせていても新人は育たないのです。自分がこれまで育てたタレントにこだわることなく、全く新しい方法で次の新人を育てない限りスターは生まれないのです。喜多川さんと言う人はそこが卓抜した才能を備えていたのです。

 一人で売れないと分かると、チームを作って売る。チームの中で一人だけ大きく育つタレントが出ると、独立させて、芝居をさせる。歌手でスターが生まれると、次の新人にバックダンサーをさせる。バックダンサー同士を対抗させて、ファンの熱を煽る。ファンクラブを作って、年会費をもらう。コンサートの案内を優先的に行う。いろいろなファンサービスを徹底させてファンを育てる。タレントのギャラよりもグッズ販売の売り上げの方が大きくなってプロダクションの売り上げの大半が関連商品の売り上げになる。

 こうなるとプロダクションは、タレント斡旋業と言うよりも、一大産業になって行きます。そうした企業のオーナーである喜多川さんにテレビ局のプロデューサーも、映画監督も、日本の芸能界は誰も何も意見を言えなくなります。

 

 趣味と実益と言う言葉を聞くことがあります。多くの場合は、趣味と実益は対語であって、同時に両方をすると言うことは、結果は仕事の中に趣味を持ち込んでしまって、企業経営としては上手く行かない。と言う意味になります。

 喜多川さんと言う人は、それを半世紀にわたって実践して見せた人で、結果として趣味と実益を全うして見せた人です。多くの人に否定され、時に嫌がられ、法律を犯し、無謀なことを繰り返しながらも、自身の性癖はしっかり維持して、なおかつ信じられないほどの数のタレントを育て、そのタレントが確実に利益を生むシステムを作り上げたのです。

 喜多川さんに性的な行為をやめろと言うのは意味のないことです。喜多川さんの性癖と人材発掘の能力は、一枚の紙の裏表です。切り離そうにも切り離すことはできないのです。異常さと危うさの中で50年間成功を維持してきたのです。

 

 その喜多川さんがなくなったことで、ジャニーズ事務所は、性的な問題はなくなって行くでしょう。然し、それは同時に、魅力あるタレントを生み出す能力も失われて行くことになるのだろうと思います。この先は普通のプロダクションになって、決して多くの人材を育てることは出来なくなるでしょう、なぜなら、喜多川さんほどの有能な人材がいなくなったからです。

 喜多川さんがいなくなった後で、喜多川さんの問題をほじくり返すことは意味がありません。言いたいことがあるなら生前に面と向かって言うべきでしょう。又残されたタレントに、喜多川さんにセックスを強要されてどんな気持ちだったかなどと問うことはタレントに失礼です。タレントにすれば思い出したくない過去なのです。売れるがための悪魔との契約なのですから。

続く