手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

4日間のこと

4日間のこと

 

 今月7日から10日までの4日間、毎月出掛けている関西方面の指導をしてきました。いつものことですから、大きな変化はありませんが、その中でも、今までやらなかったことを幾つか体験しました。

 7日は、早朝に東京を立ち、新幹線で京都へ、京都から近鉄特急に乗って、奈良へ個人レッスンに出かけました。年に3回乃至4回指導に出かけています。私の日程を半日押さえて、じっくり個人指導でマジックを習おうと言うのですから、本気でマジックや手妻を覚えたいのなら、これほど身に付く方法はありません。

 恐らく、マジック指導を希望する人なら、誰もがそうした指導を受けて見たいでしょう。然し、指導を受ける側と教える側では少々状況は異なります。何しろ、一度に数点の作品をまとめて教えなければならないのですから、事前の私自身の練習が必要です。3時間の指導は、3時間の予習ではできません。かなり前から、手順を稽古をして、記憶して、体が自然に動くようにしておかなければなりません。そこにかかる時間がかなり割かれます。

 日中にみっちり3時間、奈良の指導を終えて、その後、大阪に向かいました。実はこの日にどうしても伺わなければならないところがありました。前にもブログで書きましたように、キョードー大阪の会長。橋本福治さんが今年の2月に亡くなったことを、一週間ほど前に伺い。何とか一度ご挨拶をしておこうと、中之島にある会社にお伺いしました。

 そこで橋本さんの片腕として働いてきた奥田靖さんにお会いしました。奥田さんは、私が文楽劇場の公演をした時に担当してくださった方です。いろいろ話を伺ううちに、会社の会長室に通されました。そこは、橋本会長が昨年12月まで出社していた時の儘になっていて、テーブルの上には老眼鏡が置かれ、記念写真なども飾られていました。

 今まで手掛けたタレントの写真などが壁の額にたくさん飾られていました。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンさん。ビートルズ、森光子さん、黒柳徹子さん、さだまさしさん、谷村新司さん、ありとあらゆる日本、海外の有名タレントとの写真がたくさんありました。大きなイベントばかり手掛けて来られたことが良くわかりました。

 正直、私のようなものを相手にするような会社ではなかったはずです。然し、とても親身になってくれました。特に水芸に関しては思い入れが深いらしく、何とか将来に残したい芸能だ、と言っておられました。

 その後、奥田さんからお誘いを受けて、向かいのビルにある花吉兆に行き、懐石を頂きました。話は当然橋本会長のことで、今迄知らなかった話が次々と出て来ました。一代の名物社長でしたから、橋本会長の情熱で維持されていたような会社です。この先どう言う方向に進むのかはわかりませんが、大きな会社だけに、維持して行くのも大変なことだと思います。

 応接室の壁に、橋本会長が舞台袖で芸能を見ている横顔が飾られていました。「そうそう、こんな表情で、私の手妻も見てくれていたんだ」。そう思うと、なぜか涙が流れて来ました。ただただ、心からの冥福をお祈りするのみです。本当によくして頂いて感謝です。

 

 翌日は、朝から大阪の指導。夕方3時30分に終えて、そこからキタノ大地さんの車で吹田文化会館へ、橋本昌也さんのリサイタル公演です。魔ほうの愛華さん、土井崇男さんも一緒です。

 何にしても、自分自身で会場を借りて、チケット販売をして、自分の演技を一般客に見せて、評価を問うと言う姿勢は立派です。本来それは芸能に生きるものとしては当然の活動のはずなのですが、どうしたものかマジックに関しては、世の中に流されてしまって、かかって来る電話の仕事のみで生活しようとしたり、コンベンションにばかり固執して、少ない活動場所にしがみついて生きて行こうとしたり、余りに内向きなマジシャンが増えてしまっています。

 自分自身で仕事を開拓しようとするマジシャンが増えなければ、今の活動場所はどんどん小さくなって行きます。現実に50年前の芸能の環境と今を比べて見たなら、芸能を支持してくれる贔屓の数は10分の一になってしまっています。自分が外の観客を作ろうと努力をしない限り、観客も贔屓客もどんどん減ってしまうことは当たり前のことなのです。

 それを少しでも前向きに開拓して行こうとする気持ちのないマジシャンは、結局消えて行くのです。そんな当たり前のことがマジックの世界では理解されていません。「なぜ仕事が少ないんだろう」。と仕事が少ないことをまるで天変地異の災難にあったかのような気持でいます。自分自身が動かなければ何も起こらないのです。自分自身の芸が変わらなければ人は振り向いてはくれないのです。

 そのことに気付いている人のみがこの先の時代に生きて行けるのです。私の考えを理解している大樹や、大成は積極的に自主公演をしたり、新しい活動先を探しています。また、私のところに習いに来ているマジシャンも同様に自主公演をしています。何もせずに少ない仕事に悩んでいても、年を取って行くばかりです。

 そうした点、橋本昌也さんも、ようやく活動を開始しました。いいことです。生きて行くだけでも大変なことですが、更に自主公演をするとなると、金はいくらあっても足りません。でもいいのです、30代までは金を残そうなどと考えないことです。すべては知識やセンスに投資すべきなのです。彼の舞台姿からいい感覚が見えてきたのを見て、なんだか嬉しくなりました。

 

 さて翌日は名古屋で指導をして、夜は、名古屋市内で辻井さんと峯村さんといい魚で一杯やりました。いつもなら柳ケ瀬で呑むのですが、その日は日曜日ですので、柳ケ瀬は休みの店が多いため、名古屋駅前で呑みました。久々3人が揃って呑む酒は格別に楽しいものでした。こんな時間が永遠に続いてくれたならどんなに幸せかと思います。但し私は少し疲れが出て、二件目の高級クラブでは半分寝てしまいました。辻井さんに失礼なことをしました。

 

 4日目は、早5時に起きて、橋本昌也さんの公演感想のブログを書き上げました。昨晩の酒が少し残っています。私のブログから、ショウの感想を求める人は増えています。(通常、ウクライナや大谷選手の話題だと300人程度の読者ですが、マジックの感想となると400人以上の読者になります)。

 7時にブログを書き終え、朝食を済ませ、8時30分の新幹線で、名古屋を立って、富士に入りました。富士は21日にロゼシアターでクローバーズの発表会と、マギー司郎さんと私の公演があります。チケットはほぼ完売だそうです。有難いことです。

 そのためのリハーサルを行ないました。リハーサルを半日見て、17時37分発の新幹線に乗り、東京に戻りました。長い4日間でしたが、日々充実した活動でした。

続く