手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

お家の事情

お家の事情

 

 昨日NHKのニュースを見ていたら、歌舞伎公演で、猿之助さんに変わって、市川中車香川照之)さんが主役を張って、激しい立ち回りから、宙乗りで大凧に乗って客席を浮遊する映像が写っていました。幾ら三代目の息子だと言っても、途中から歌舞伎に入ってきた中車さんが、長く込み入ったストーリーの大芝居の主役を演じると言うのは簡単ではありません。

 ご当人は必死になって演じていました。上手く出来て当たり前、下手ならぼろくそに言われる社会です。親も子もありません。恐らく毎日毎日が過酷でつらい日々なのでしょう。それでもせりふ回しを聴いていると、先代の独特の含みのある声などをそっくりに真似ています。目を閉じて聴いていたら、声質も癖もそっくりです。

 恐らく、何百回も先代の映像を聴いて真似たのでしょう。澤瀉屋の芝居は、多くは復活狂言で、三代目猿之助がアレンジを加えたものが多く、他の役者が演じないものばかりです。従って、型を真似るにも三代目の映像を見る以外なく、手本となるのは父親である三代目しかいないのです。

 その父親の芝居を、真近く見るチャンスの少なかった中車さんは、お気の毒というほかはありません。それでも必死になって演じる姿がテレビで見ていても伝わって来て、応援したくなります。すばらしいと思いました。

 松竹としては、三代目猿之助さんの拵えた数々の当たり狂言を、このまま放置していては勿体ないことで。この50年、猿之助歌舞伎は、松竹の興行のドル箱だったのです。何としても誰か継承してくれる役者を急ぎ見つけなければ、松竹自体が傾いてしまいます。

 四代目の猿之助さんは、その恵まれた才能と、持ち前のタレント性で上手く四代目に納まっていたかに見えましたが、その実、プレッシャーは相当に大きかったのでしょう。声もよく、芝居も上手く、踊りも旨い。何でも出来る四代目猿之助さんでも、猿之助の名前は大きく、日々ストレスを背負い込んで芝居をしていたのだと思います。

 

 歌舞伎座で主役を張ると言うことは、一回2500人の観客を、昼夜で二回、5000人呼ぶことになります。それを25日演じると、12万人観客を呼ぶことになります。12万人と言うのは、地方の中核都市に住む人を丸々集めた人数です。その人たちから、一等席は2万円の料金を頂きます。簡単ではありません。歌舞伎座は毎月毎月興行していますが、毎回毎回が必死の公演なのだと思います。

 実際、私が大学生くらいのころは、歌舞伎座は人が入っていなかったのです。演劇界と言う雑誌には、毎回のように、「歌舞伎はなくなる」。という記事が書かれていたのです。傍から見ていて、「なくなる、廃れる」、と言うことは簡単ですが、役者から舞踊家から、邦楽、鳴り物、大道具、小道具、衣装、などなど、歌舞伎にかかわる日本文化全体を何とか次の時代に残して行くためには、毎月毎月、一つ一つの芝居がうまく行かなければ、この先すべてが消えてしまうのです。実は日本文化も、歌舞伎も、ずっと綱渡りのような生き方を強いられてきたのです。

 そんな中で先代猿之助さんは一座を運営していったのです。並大抵のことではなかったのです。その名跡を継承した、四代目猿之助さんが一家心中を考えると言うのは信じられないことですが、当人にすれば日頃のストレスの蓄積が自殺と結びついたのでしょう。「死ねば全てから解放される」。と、悪魔が囁いたのかも知れません。

 私はたった一度だけ、亀治郎時代の猿之助さんと、数分話したことがあります。その時は中学生か高校生だったと思います。線の細い、いかにも女形に向いた人で、愛想がよく、特に目立つような個性のある人ではなかったように思いました。但し、まだ高校生です。その頃を見て、その後の猿之助さんを評価することは出来ません。

 その後に猿之助を襲名したときも、あの人が猿之助になるのだろうか。と訝しんだのです。先代の線の太さや、人をまとめて行ける度量の大きさなど、随分亀次郎(四代目猿之助)さんの性格とは違う人にならなければならないでしょう。そのことのギャップは、埋めようとして埋め切れるものではないのではないかと感じていました。

 その心の悩みが、今回最悪な事態で表に出てしまいました。裁判の結果がどうなるかはわかりませんが、最小限の罪で済んだなら、私はもう一度歌舞伎に出てきてほしいと思います。

 今でこそ歌舞伎は高級な芸術ですが、そもそもは結構如何わしい世界だったと聞きます。江戸から明治にかけては、楽屋で手紙の読める役者がいなかったとか。楽屋でみんな刺青をしていたとか。

 楽屋に世界地図を持ってきた若い役者がいて、畳の上に地図を広げていると、大幹部の役者がそれを見て、「日本はどこだ」、と尋ねたので、地図を指さすと。「そんな小さなわけないだろう」。といきなり頭を叩かれ、仕方なくアメリカを指さすと、「そうだ、それぐらいなきゃいけねぇ」。と満足したと言う話。

 そんな世間知らずの役者馬鹿が集まって荒唐無稽な芝居を演じていたからこそ、面白い芝居が出来たのだと思います。世間常識が通用しない世界であるがゆえに、人が予想しないような世界を描いて見せられたのです。

 私は、四代目猿之助さんには、この際開き直って、実悪ものや、黙阿弥の、盗人、盗賊の芝居など、悪と呼ばれる人たちの心の奥にある、真実を深く抉った芝居をしたなら、きっと説得力のある、面白い芝居が出来上がるのではないかと思います。

 話は少しずれますが、中車さんがカマキリの着ぐるみを着てテレビに出ている姿を見た時に、「あぁ、あそこまでできる人なら、三代目さんの芝居だってきっとできるだろうなぁ」。と思いました。

 同様に、今回、人生の瀬戸際に立って、生還した四代目さんは、まだやり残しの人生があるから戻ってきたのだ。と考えれば、出来ることはたくさんあるのではないかと思います。人の心の中に潜む、業(ごう)を語れる役者が現れたら、歴史に残るいい役者になると思います。そんな芝居を是非見せて下さい。

続く