手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

澤瀉屋(おもだかや=市川猿之助)

澤瀉屋市川猿之助

 

 私は、平成元年に三越劇場で二日間リサイタル公演をしました。三越劇場は、550人入る劇場で、そこを二日間公演するとなると、1000人から人を集めなければなりません。さてそれが私にできるかどうか心配です。そこで招待券なども少し多めに出しました。

 この時の公演は、場所(日本橋)がいいことと、昨年(昭和63年)芸術祭賞を受賞したためか、少しずつお客様が増え始めていたこともあって、まずまずの入りでした。

 群馬で市会議員をしていた星名健市さんが、元、小渕恵三さんの秘書をしていたこともあって、当時総理大臣だった小渕さんの名前で大きな生花を送ってくれました。時の総理大臣が花を送ってくれたので、周囲の関係者はびっくりです。

 この日の公演に、今の松本幸四郎(10代目)さんが見に来ました。私と先代の松本幸四郎(先代、9代目、今の幸四郎さんの父)さんとは、マジックをご指導する縁でお付き合いが深く、今の幸四郎さんが、まだ10歳の誕生日の時に、御自宅に伺って、マジックを披露させていただいたこともありました。

 

 幸四郎さんは、終演後に私がロビーで挨拶をしているときまで残っていて、しばらく話をしました。この時まだ高校生だったと思います。見るからに育ちの良さそうな性格で、顔立ちも整っていて、話し方もはきはきとしていました。歌舞伎の御曹司と言うのは、こんな風に育って行くんだな。としみじみ思いました。

 この時、幸四郎さんは友達を連れていました。友達は、歌舞伎のお子さんだろうとは思いますが、たぶん中学生だったと思います。やせ形で、顔は始終にこにこしていました。体つきが細くて、おやま型です。

 マジック公演は初めて見たそうで、感想を聞くと、日本の奇術を見たのはこれが初めてだと言い、日本のマジックはとても情感があっていいと言い、さらに衣装がいいものを着ていると言って褒めてくれました。

 さすが、歌舞伎のお子さんは衣装を見る目を持っていると思いました。私の衣装は、かつての根岸衣装、今の松竹衣装で作っていますので、歌舞伎と同じものです。こんな時に、衣装を褒められるのは、苦しい中から高価な衣装に投資していてよかったと思う瞬間です。

 私が、中学生の少年に、あなたのお父さんはどなたですか?。と尋ねると、「段四郎です」。と言いました。「あぁ、段四郎さんなら知っています。私は猿之助(3代目)さんのお芝居はよく見ています。お父さんが猿之助さんと一緒に踊った三番叟なども見ていますよ」。と話すと、とても嬉しそうな顔をしていました。

 この時この少年は亀次郎と言いました。そこで、「あなたは行く行くは段四郎になるのですね」。と尋ねると、少し遠慮気味に「うん」。とうなずきました。

 幸四郎さんが積極的に話をするのに対して、亀次郎さんは常に遠慮がちでした。私と亀次郎さんとの縁はこの時だけでした。

 この亀次郎さんが、後に4代目猿之助を襲名しました。これは少し意外でした。あの細身の亀次郎さんが、立ち役の猿之助になるなんて、もっとも、先代の猿之助さんも若いころはおやまをしていたようですから、おやまが立ち役になっても不自然ではありません。先代の猿之助さんとは、叔父の関係になります。すなわちお父さんである段四郎さんの兄が猿之助さんです。

 この家は、その先代、ひいお爺さんが二代目猿之助さんで、二代目猿之助さんの息子さんが段四郎さんです。元をただせばひいお爺さんからはみんな家族になるわけです。この二代目猿之助さんが猛優と言われ、すさまじい演技を見せたことで人気を得ました。その孫、三代目もお爺さん同様、猛優と言われ、大活躍をしました。

 市川の名前を継ぎ、元をただせば9代目団十郎の弟子になる家系ですが、主流の市川でないためか、歌舞伎座の中では脇役に回ることが多かったようです。二代目猿之助さんもそのことをばねに必死になって活動して世に認められています。三代目さんも空中飛び六方を復活させたり、早変わりの面白い芝居を見せて、若い層にまでファンを広げました。私なども、三代目猿之助さんの芝居は欠かさず見に行っていました。

 

 話は長くなりましたが、三越劇場で見た、幸四郎さんの後ろで、はにかんでいたあの亀次郎さんが、その後、4代目猿之助になったわけです。ただ、少し意外でした。押し出しの良い、三代目さんとはかなり違います。然し、三代目には適任の跡継ぎがいないためか、いろいろあって亀次郎さんになったのでしょう。

 不思議なことに。亀次郎さんは、猿之助になって以降、顔の作りが変わってきました。厳しい顔つきになり、それらしく猿之助になって行ったのです。「あぁ、人が名前を作るのではなく、名前が人を作って行くんだなぁ。と思いました。

 

 その猿之助さんが、自殺未遂をしたことを昨日(18日)に知りました。これほど歌舞伎に積極的に努力をしている人もなく、その実力も歌舞伎界ではトップ5人には入るでしょう。舞踊も上手く、芝居も良い、声も立つ、顔立ちもいい。申し分のない人です。しかも頭のいい人ですから、バラエティなどに出ても切り返しが早く、的確なセリフが出て来ます。いわば、才能の塊のような人です。

 この人の性癖の噂は以前から聞いています。然し、歌舞伎の世界なら、大なり小なり変わった人はいます。従兄弟の香川照之さんも、女性のおっぱいを揉んだの何のとまだ干されたままです。共に独力で人気を掴んできた人だけに周囲の嫉妬や、嫌がらせも多いはずです。ストレスも溜まります。それに打ち勝つための強靭な心がなければ生きては行けないのです。

 それでも、命があったことは幸いです。命があると言うことは、まだなすべき用事があることです。芸能に全力投球して、生きていくことを希望します。何があっても負けずにいい芝居を見せて下さい。

続く