手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

護身用の杖

護身用の杖

 

 ネットショップを見ていてびっくり、「護身用の杖」と称して、アピアリングケーンが売られていました。アピアリングケーンと言うのは、マジックの小道具で、シルクのハンカチなどを手先で振っていると、一瞬にして、鉄製のステッキになるものです。

 本来この装置は、昭和30~40年代はとても高価なもので、恐らく一本6千円くらいしたのではないでしょうか。当時の学生アルバイトが8時間働いて1800円くらいの時の6千円ですから、学生が3日働いてもステッキは買えなかったのです。

 マジックをする人なら憧れの小道具で、みんなステッキを使ってマジックをしたかったのです。然し、メーカーとすれば、そうそう売れる道具ではありませんから、年間50本も作れば目いっぱいでした。カメラのフィルム状の、薄い鉄の板を、丸めて、更に斜めに伸ばして行き、ステッキ状にして、その状態で固定して焼き付けをします。それに石突を付けて、ストッパーを付けて完成させますが、なかなか手間のかかる作業で、しかも50本と言う注文数では、町の鉄工所も喜んでする仕事ではありません。

 まぁ、マジックの道具と言うものは、どうしても少数の理解者のために作るものですから、製造個数がわずかです。そのため見た目以上に費用が掛かり、割り高な製品になります。

 そうしたマジックの小道具の中でも、ハラカーンと言うメーカの道具はどれも出来が良く。かなり好い値で取引されていました。この製作者は、原田寛と言い、マジックの世界では一種癖のある人で、この人が製作していました。この人は、ものを考案する能力はあるのですが、金の使い方がだらしなく、集めた資金は常にどこかの支払いに消えて、いつも金がなかった人です。

 

 昭和20年代の末、初代の引田天功が売り出しをしたときに、天功のマネージャーになったのが原田寛(世間では原寛さんと呼んでいました)です。この時も、天功一座が1か月北海道の公演をした時の半金を持ち逃げして、逃げてしまいました。無論天功は支払いに困り、闇金融から大借金をします。天功の借金人生の始まりです。

 ところが、数年もすると、原寛さんは奇術界に戻り、道具製作を始めます。鳥籠の装置など、器用に作るためにけっこうもてはやされます。結局天功の借金はうやむやなままです。

 私も一度騙されて、白紙が千円札になる平板にローラーを付けた印刷機に30万円を出資しながら、一向に製品が出来ません。電話をすると「今作っている」と言います。いつ電話をしても「今作っている」と言います。そこで、「それならこれからお宅に行く」と言って、葉山にある原寛さんの自宅に行きました。

 案の定、道具はほとんどできていません。仕方なくその日は私も晩まで手伝って、内職仕事をしました。商品は20組か30組が手に入りましたが、それから先、全く届きません。再三催促したのですが、いつの間にか忘れ去られてしまいました。

 言ってみれば絶対に信用してはいけない人です。ところがマジックの世界は不思議なもので、そんな人が普通に生活して、商売しているのです。

 

 話は長くなりましたが、原寛さんが作ったアピアリングケーン(出現するステッキ)、バニシングケーン(消失するステッキ)の出来がいいため、かなりマジックの世界で売れました。特に、アピアリングケーンのストッパー装置が、簡便でありながら、確実に伸びる鋼が抑えられますので、好評でした。

 話を戻して、護身用の杖をよく見ると、そのストッパーはまさに原寛さんのステッキそのものでした。つまり、護身用の杖として売り出したメーカーは、マジックショップで売っているステッキを見て、「うん、これは、夜道に女性が歩くときに、襲われた際に簡単に伸ばして、痴漢を撃退する道具になる」。と考えたのでしょう。そっくりそのまま原寛さんの道具をコピーして販売したのです。

 人の発想は面白いと思います。マジシャンが、ハンカチをステッキに変えたり、一輪挿しの花がステッキになったりと、マジック的にいろいろ考えはしますが、誰も護身用に使おうとは考えなかったのです。その、マジックの道具を、原形を残したまま、別の用途で、5000円くらいで販売されています。今、マジックの道具としてステッキを買ったなら、12000円くらいはするでしょう。それが、一般を対象とするなら価格はたちまち下落します。なぜなら製作個数が数百倍だからです。

 

 さて、このメーカーの社長が、護身用ステッキでいい稼ぎをしたかどうかは知りません。私が思うに、継続して売るのは結構難しいのではないかと思います。と言うのも、アピアリングケーンは、鉄製ですが、フィルム状に巻いたものを伸ばしていますので、棒にはなっていますが、実際は軽く、しかも、横から叩くような衝撃には耐えられないのではないかと思います。そうした点で考えたなら、暴漢が襲って来て、素早くハンドバックから杖を出し、伸ばして、相手を叩いたとしても、杖は簡単に折れて、シュルシュルと曲がってしまうのではないかと思います。

 よほど強度を上げないと、護身用に使うのは難しいと思います。ただ何にしても、マジックの道具を護身用に考えたあたりは非凡な発想です。初回はかなり売れると思います。

 原寛さんを見ていると、発想は常に素晴らしいのですが、いざ製作に懸かると金が足らないのです。そして理解者に声を掛けて、せっかく集めた金も、いつも生活費に回ってしまい、満足な道具が出来ないのです。原寛さんに何が欠けていたのかと考えたなら、人が求めるものが見えていないのでしょう。自分と自分の周辺の人の好みしか見えていないのです。それゆえに、いつも製作個数はわずか、仮に儲かったとしても利益はわずかです。儲けは生活費に消えてしまい。いつでも金がないのです。

 ものが売れるためには、十分利益の出る線まで作らなければ儲からないのです。一本一万円のステッキも、年に一回、50本作っていたのでは、生活は出来ないはずなのです。原寛さんに欠けていたものは、「護身用の杖」と言う発想です。垣根の外で生活している人たちを取り込む考えがないまま、道具作りを繰り返していては、いつまで経っても生きて行くことはできないのです。残念ながら、この事は原寛さんのみならず、マジックに携わる人すべてに共通する問題なのです。

続く