手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ネットの種明かし

ネットの種明かし

 

 今までネットの種明かしについてブログに書いたことはありません。なぜ書かないのかと問われても答えはありません。あえて言えば、その人たちを追いかけても得るものがないから。と言うのが答えです。

 ネットの種明かしも、テレビ番組の種明かしも、本気で止めようとするなら止めることは可能です。それは、かつて私が日本奇術協会公益社団法人日本奇術協会、プロの奇術師の協会)の役員として、テレビ局に抗議に行ったり、或いはテレビ局を訴えて裁判を起こしたときに経験をして、種明かしをやめさせる方法の確証を掴みました。

 但し、どの問題を争うにも半年以上かかり、そのための労働と費用は自己負担しなければなりません。それでもマジックを愛する者なら、誰かが盾となって戦わなければならないのだと思い、立場上、或いは、自らのマジックへの情熱から、種明かし問題に取り組んできました。

 それが良いことだったか悪いことだったか、ここでは申し上げません。ただ確実なことは、マジックと言う世界はある意味終わりを迎えています。今となっては私が憧れたマジックの世界は消えようとしています。人生を全て捧げてもいいと思えるほど価値のある世界ではなくなりつつあります。と言っても、誤解されては困りますが、これはこの先、マジックをする人がいなくなると言うわけではありませんし、プロがいなくなるわけでもありません。マジックは残ります。

 この先は、大きくアマチュアの数を減らして行くでしょうし、マジックショップの数も減るでしょう。それに比例してコンベンションの数も減って行くでしょう。現実に今もアマチュアの数は少なくなっています。マジックの世界は確実に斜陽化していますし、あれほど輝いていた光は失いつつあります。

 それに反して、ネットの種明かしは盛んです。ネットを見れば、何でも只でマジックを知ることができます。何でこの人がマジックの種を公開する資格があるのだろうか。と疑問に思うような人が、過去の名作から、他人の作品まで何でもかでも種明かしをしています。

 この人がマジシャンとして何かの実績があるのかと言えば、名前すら聞いたことのない人ばかりです。その演技はただ種明かしです。そこにポエム(詩)もなければストーリーもなく、背景を語ることなく、芸能とは無縁の種明かしをします。

 そうしたマジシャンを私が語る意味もありません。語るだけ無駄です。

 道具も100円ショップで簡単に買い揃えることができます。道具も100円で売られるようになれば、もうマジックからステータスは語れません。それは秘密ですらなく、出来た当初から廃品同然です。それを使ってマジックをすると言うことは、その人の品格が問われるものなのです。

 もう少し詳しく知りたければ、どこの町でも、市民講座があって、毎回500円、1000円支払えば、アマチュアの講師がマジックの指導をしています。誰でも簡単にマジックが習えるのです。それは悪いことではありません。ちゃんと教えることはいいことです。ただ、どうしたものか、マジックをする人は人に教えたがります。人を追いかけて行ってまで教えようとします。指導からステータスが消えています。

 こうしてただ同然でマジックを販売、指導したりしてマジック愛好家を増やして行くことが、マジックの普及につながるでしょうか。それは、普及ではなく、限りなくマジックの価値が下落することなのではありませんか。

 こうした社会にアッパークラスの生活をする人が集まるでしょうか。答えは否です。今のマジックでは知性ある人、社会的な地位のある人を集めるだけの環境がなくなっています。何でも安手になって、その安手を求めて、安価でマジックを覚えられる人しか集まらなくなっています。こんな時代に、むきになってネットの種明かしと争うことに何の意味がありますか。

 

 かつてマジックを覚えると言うことにはステータスがあったのです。私が10代20代のころは、どこの町にもマジッククラブがありました。

 そのクラブの会員には必ず医者や弁護士、政治家がいて、そうした人たちが、マジックを覚えたくてクラブを起こしていました。私が地方都市での公演に行って、事前に地方のアマチュアに手紙を書き、ショウに来てもらったり、アマチュアから指導を求められたりすると、その町一番のホテルの会議室を用意してくれていて、政治家や医者を相手に指導をしました。指導が終われば、ホテルで食事をして、その後はアルコールを出す店に行き、夜中歓待を受けて、タクシーで送られて、尊敬を受けました。

 地方都市で指導をすると言うことはそれが普通のことでした。当時のアマチュアはデパートや通信販売で売っているマジックの種を買って、それをただ繋ぎ合わせることでマジックをしていました。そこには手順と言う考え方もなく、ましてや、昔から続いてきた演技の型など知りもしなかったのです。

 それゆえに、手順の作り方を知っていて、なおかつ色々なハンドリングを知って演じる人がいると分かれば、誰もが争って近づいてきて、指導を乞いました。マジックを教えることにはが確実にステータスがあり、多くのアマチュアは、みんな私とつながりを持ちたがったのです。

 今の時代でも、一つの現象を成り立ちから解説をして、順々にマジックの構成を語って行ける指導家は貴重です。いつの時代でもそうして指導をすることが本来の指導です。指導をするには本気で習いたいと言う生徒がいなければ意味がありません。どうでもいい人に教えても結果はマジックが悪く広がるばかりです。

 

 ネットの種明かしも、最近は、ネットそのものが不景気で、収入が大きく落ちていると聞きます。そうそううまい時代は長くは続きません。多少小銭稼ぎは出来ても、種明かしで未来永劫生活し続けることは出来ないのです。

 確実なことは、マジックが安手になって、安手を求める人がいくら増えても問題ありません。騒ぐ必要はありません。10年待てばいいのです。10年待てば、浮わついた人は、あっという間にいなくなり、別の世界に行ってしまいます。

 いくら愛好家が減ってもいいのです。ちゃんと学びたい人、ちゃんとマジシャンとして趣味を持って生きて行きたい人だけが残ればそれでいいのです。いつの時代でもそうした人たちがマジックの世界を作っているのですから。

続く