手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ネットとマジック 1

ネットとマジック 1

 

 コロナ禍でショウのチャンスが少ないために、多くのマジシャンがネットを利用して自らのマジックをアピールするために、画像を載せています。

 自分の演技を載せることも、指導料を取ってマジック指導をすることも全く効果がないとは思えません。種明かしはどうにも困ったものですが、ああした行為も、数いるマジックのマニアの中には、人の迷惑を顧みない人が出ることも致し方ないのでしょう。

 ただ、こうしたネットの利用の仕方が、マジックがネットを生かして新たな道を作っているか、マジックを素晴らしい世界だとアピールできているのか、と考えると、私はそうなってはいないと思います。

 

 いまマジックの世界が抱えている大きな問題は、第一にコロナですが、実は、コロナの感染がなくてもマジシャンの活動はこの10年、だんだん仕事場が狭められて来ています。レストランでも、バーでも、かつてのように、マジックだと言うとたくさんの人が集まったような時代ではなくなっています。ステージショウも劇場の数は大きく減ってきています。

 かつてのマジックには希少価値があったのです。なぜそれが失われたかは明らかで、マジシャンの数が飛躍的に増加して、マジックがそう珍しいものではなくなってしまったからです。

 

 いまマジックを覚えようとする人たちは、ネットでマジックを学び、ネットのショップからマジックを購入し、人から習うことなくDVDの解説でマジックを習得して行きます。

 そのやり方が良いとは思えませんが、私がそのことをとやかく言ってもこの流れは止まりません。そうした形でマジックを覚える人が激増した結果、全体がマジックの質を落としているのは事実です。時々とんでもない自称プロの噂を聞きます。そのことはここでは掘り下げません。

 マジシャンが激増したのに反比例して、マジックの支持者が減少しています。かつて組織立って活動していた各地域のマジッククラブはもう壊滅的な状況です。

 マジッククラブの会員は激減しても、未組織な、ネットのファンは増えています。そうなら、ネットのファンがマジシャンやマジックショウの支持者となるかと言うと、これが難しいのです。彼らは、簡単に種を知ってしまうため、マジックそのものを軽く考えています。

 かつて、「日本のマジシャンなんてろくなものはおらん」。などと言うアマチュアが存在しましたが、それは、種を金で手に入れられるようになったことの弊害でした。金があって、いくらでも道具が買えるような立場のアマチュアは、道具を持っていることで自身がマジシャンの一員なんだと勘違いをして、プロマジシャンを軽視しました。

 種仕掛けの販売はアマチュアを増加させましたが、同時に、アマチュアを尊大にさせました。然し、大多数のアマチュアは私らが行うマジックショウを楽しみに見に来てくれました。多くのアマチュアはマジック界を支えてくれていたのです。

 ところがネットのアマチュアはそうではないようです。安価な費用であらゆるマジックを覚えてしまい、その習得に人を介さないため、人とのつながりが薄く、マジック界とのつながりも持っていないのです。

 これはかつての金持ちのアマチュアよりも始末の悪い結果になってしまいました。彼らはマジシャンを軽視し、マジックの催しや、マジックショウに寄り付かないのです。ネットのアマチュアは、マジックを支えてくれないのです。

 

 話を戻して、マジシャンが仕事が少なくなった原因は、仕事としてのマジックの本数が減っているにもかかわらず、マジシャンの数が激増したためです。一つのパイをみんなで分けたなら、一人の取り分が減るのは当然なのです。

 こうした中で、自身の演技をネットに残すことに意味があるのかどうか、或いは、マジックの指導をすることに意味があるのかどうかをよく考える必要があります。

 最終的に、コロナが終息して、舞台やレストランでのマジックの場が復活し、元の活動が出来るようになったときに、自身の得意芸をネットに載せることも、マジック指導をすることも意味があるでしょうか。

 マジックショウが、実演の面白さを伝えることが目的であるなら、画像でマジックを載せることはほとんど意味がありません。自身がどこかで出演していると言う情報を流すなら、それなりに効果はありますが、その演技をすべてネットで見せてしまうのは、自身の芸能が只になってしまう結果にしかなりません。マジック指導も、種明かしも、結果は同じです。

 指導は、相手の人がどんな人なのか、人を見定めた上で指導をしなければ、指導した内容は悪用されます。

 かつて私は、たくさんのレクチュアービデオを出しましたが、あれは今になって思えば間違った行為だったと思います。それに気付いて以来ビデオ指導はやめました。顔の見えない状況での指導は必ず間違いを生みます。

 

 ネットはテレビ以上に巨大なマスなのです。一瞬で世界中の人に情報を伝えることが出来ます。それほどの機能が、個人所有できて、誰でも発信のできる時代になったのです。便利ではありますが、発信者は、よくよく考えた上で発信する必要があります。30年も40年も続けて来た演技が、お遊びの情報と一緒に扱われては寂しいでしょう。

 表芸を安易に載せるのも、種を安易に教えるのも問題です。それらはすべて、自分とマジック界を貶める結果につながると思います。自分自身が本当にマジックを愛していて、自分のマジックが価値あるものと信じているなら、決して誰だかわからないような人に種は教えないはずです。

 そうなら、ネットで何を語るべきなのか。それは明日詳しくお話しします。

続く