手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

溝の口劇場

溝の口劇場

 

 昨日(2日)は、私のマジック指導に通っている俳優の古林一誠さんの芝居を見て来ました。場所は溝の口劇場。溝の口と言う駅があることは知っていましたが、今まで縁がありませんでした。今回初めてその駅に行きました。田園都市線多摩川を超えたすぐの駅、南武線と交差する駅、比較的交通便利な地域ですから、人も多く、繁華な町のようです。

 然し、駅に降りて、まったく何が何だかわかりません。田園都市線の駅前を眺めても、大きな町なのか、駅前だけビルが並んでいるような見かけだけの町なのか、見当もつきません。新しい町であることは分かります。

 とりあえず、交番を探して尋ねようとしましたが、駅前の地図には交番が載っていますが、その交番がどこのあるのかがかわかりません。芝居の開始時間まであと30分ありますので、ゆっくり土産のケーキでも買って行こうと思っていましたが、先ず交番が見つからないのでうろうろしました。

 訪ね歩くと、東急線の駅前のロータリーに交番はなく、JR線のロータリーにあるそうです。駅前にある地図を見る限り、この町に二つのロータリーがあることの説明が出来ていません。とにかく階段を上がって、JR の駅まで行き、そこから交番を探し、交番で溝の口劇場を訪ねます。幸いすぐにわかりました。

 劇場は、喫茶店の地下にあり、キャパは50人程度。よくあるタイプの劇場です。幕はなく、舞台袖もほとんど取れない狭い劇場です。そこに大道具を作って、座員3人で芝居をします。チームが二つあって、それぞれのチームが交互に公演して数日間演じるようです。私は古林さん、宮森セーラさん、岡田彩花さんのチームを拝見しました。

 

 さて客席はほぼ満員です。よく人を集めます。若い人ばかりで50人、私が恐らく最高齢者でしょう。なかなか私と同年代の親父が来る場所ではないようです。私と同年代ならもう定年退職して駐車場のアルバイトか何かをしている年です。そんな親父はなかなか若い人の芝居は見に行かないのでしょう。そう考えると私は傍から見たら一体何者に見えるのか、怪しき観客です。

 今回の芝居は、前回のピノキオとはだいぶ様子が違います。作家(古林)にインタビューする出版社の女性(岡田さんでしょうか)が作家のアトリエを訪ね、そこでの対談から始まりますが、その対談のさ中にもう一人の若い女性(宮森さんでしょうか)がいます。相当に有名な作家らしく、いろいろなこれまでの作品の話が出て来ます。話は途中途中でカットされ、謎の女性の生い立ちが絡まって来ます。全貌はなかなか見えて来ません。

 最近、子供が山の中ではぐれて、死体となって出てきたニュースが世間を騒がせましたが、その事件に近い話が、語られ、実際誘拐されたニュースがしきりに芝居の中でナレーションで放送されます。 徐々に作家の過去が暴かれて行き、更にはインタビューをする女性の過去、謎の女性までもが解き明かされて行きます。

 かなりシリアスな芝居で、3人が丁寧に演じて行きます。インタビューをする女性も、記憶の曖昧な女性も、それぞれ役も性格も違いますが、声もはっきりしていますし、セリフも上手くて、自然自然に芝居の中に入り込んでしまいます。しかも、女性二人は共に美人です。古林さんがどこでこうした女性を探して来たのか、そんなことはどうでもいい話ですが、女性二人に挟まれてとてもいい芝居をしています。

 

 児童虐待の問題。逃げる子供を捕まえて手籠めにしようとする異常者、ドビュッシーの音楽の情緒不安定なメロディー。山荘の中だけで繰りひろげられるそれぞれの思惑。いろいろな問題を捉えて、ありそうでなさそうな芝居が展開されます。

 若い観客はこうした芝居を見てどう感じたのか、興味です。見終わって外に出たなら、溝の口と言う、新興住宅街の駅前繁華街の普段の生活が見えます。その一角で、こうしたシリアスな芝居が熱心に演じられている、と言うところが日本の面白いところだと思います。しかもそれをまた熱心に見ようとする観客が一定数いて、連日押しかけて来て、活動が成り立っているところが面白いと思いました。

 

 こうした芝居を通して、世間の皆さんにいろいろな問題を提起して、その上で、見ていて面白い作品を出して行ったなら、もっと一般客が次々に押し掛けて来て、やがて話題の劇団になって行く可能性はあると思います。

 児童虐待、貧困、登校拒否、差別、あらゆる問題が、あちこちにありながら、何となく世の中は平和に見え、問題が見落とされています。それを一つ一つ掘り起こして考えて見ると、人の共鳴する要素はたくさん生まれると思います。それでいて面白く、芸術的に鮮やかに語れるような芝居が出来たなら。演劇が定着して行くかもしれません。

 私も、こうした芝居を見ると、何かをマジックや手妻で作って見たくなります。単に不思議を見せるだけでない、もう一つ、観客の奥に伝わるような琴線を掴み取れば、マジックの専門劇場も夢ではないはずです。そうした意味で、人の舞台を見ることは大切だと思います。自分自身が思いもよらなかった世界が見えて来るからです。

 次の時代に何を提供できるか、と言うことに関しては、どんな芸能、芸術家でも考えていることなのです。そうした意味ではみんな同じスタートラインに立っています。その中で、誰が次の時代を掴むのか、それはいつでもアンテナを張っていなければ掴めないものなのでしょう。そう思うとどんなことでも他人ごとではなく、何でも勉強になります。

続く