手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

テアトルbonbon

テアトルbonbon

 

 昨日(14日)は、日曜日ですが、朝9時から太鼓の稽古。そして、3月9日のチラシを発送するためのデスクワークです。朗磨が封筒詰めをせっせとやっています。

 午後から、小林一誠さんの芝居を見に行きました。朗磨は演劇が大好きなようです。場所は、中野のテアトルbonbon。実はこの劇場は私の家から歩いて10分くらいのところにあります。中野駅からもそう遠くはないのですが、細い商店街を歩いて行くため、見つけるのに少し時間がかかるかも知れません。

 私は何度かこの劇場でマジックや芝居を見ています。中央線沿線にいくつかある小劇場の中では、見やすくて、舞台も広くて、いい劇場です。古林一誠さんは、度々私のブログに出て来ます。毎月私のところでマジックを習っています。

 この人が、劇団お座敷コブラを 主宰されていて、年間数回公演をしています。今回も、1月10日から14日まで、8公演をしています。人気の劇団らしく、見に行くたびに満席です。この日も、60席くらいの客席が満席でした。年齢層は若く、演劇ファンと言うのが確実にいて、観客が育っているのが分かります。

 

 3時30分開始の公演に20分前に入りました。舞台は緞帳なし。アパートの一室が作り込まれています。かなり綺麗にできていて、舞台装置に費用が掛かっているのがわかります。多くのマジックショウは背景なし、暗転とカーテンだけで展開する場合が多いので、芝居の大道具小道具を見ると、マジックはお手軽感が否めません。

 

 さて、今回は古林一誠は脇役に回り。梶原航が主役、女優の小林未往が主役の沙織役。恋敵を常盤美妃が演じます。筋は、仲の良い男女が同じアパートで暮らしていて、沙織が交通事故で亡くなってしまいます。

 ところが、沙織は梶原に未練があり、幽霊となって死んだ後も一緒にアパートで生活をします。然し、ある日から、梶原の視界から沙織が消えてしまいます。沙織は梶原が自分が見えていないことに気付き、この裏には、別の女がいると思い込みます。実際、もう一人の女性、常盤美妃がいて、幽霊の沙織と、常盤との間で恋の争いが起こります。

 互いが降霊をしたり除霊をしたりして、飛んでもない世界を演じ、古林一誠は梶原を助けて呪いをして幽霊を鎮めようとします。そこにもう一人の梶原の友人である西村優が話に巻き込まれ、二人の女性の恋の戦いに翻弄されます。

 どうも、この劇団は、二人に女性の間で、もててもてて仕方がないと言う主役が良く出て来ます。男優にとっては嬉しい役です。梶原は二枚目役でありながら、初めは芝居を押さえていて、少し主役には力不足に見えましたが、女性の争いが霊界にまで発展して、鏡や呪いを使って相手を倒すところへと発展をします。

 その女同士の争いが激しく、壮絶な戦いになります。そうなると、間に立って、まとめようとする役に梶原の存在はちょうどいいんだと気付きます。抑え気味で束ねの演技が結局芝居全体をまとめています。

 

 何も考えずに、ただ芝居を見ていれば、結構面白いストーリーです。奇妙な呪いが出てくるところも、受け入れてしまえばすんなり入って行けます。音響照明のきっかけもしっかりしていて、ドラマとして見てもよく出来ていると思います。8回の公演の最終回を見たので、息のあった芝居でした。でも演じる人たちは、本当なら1か月でも演じていたいところでしょう。

 荒唐無稽の話でも、きっちりやり込んで芝居をしているので見ていて安心して入って行けます。私などは、「ここまで作り込むのはさぞや大変だろうなぁ」。と、ついつい芝居をする側に立って見てしまいます。

 わずか5人の出演者で、一幕物の芝居ですが、そこに多くの時間と工夫が込められています。こうして時々、いろいろな芸能を見ることは大切です。マジックのようにやり込んものを繰り返し演じるのでなく、常に、新しい作品に自分を投資して行く姿は見習わなければなりません。

 恐らくお座敷コブラと言うのは、小さな劇団としては評判のいい劇団なのでしょう。こうした人たちがこの先どう発展して行くのか、興味です。

 

 さて、帰りに中野で一杯やりたいところですが、この日はおとなしく家に帰ることにしました。いい料理でうまい酒を呑みたいところですが、呑むと帰るのがおっくうになります。なまじ隣町だけに、歩いて帰るのは面倒です。そうなら飲まずにこのまま帰ることにします。何とも慎ましい生活です。朗磨もそのまま帰ったようです。

 朗磨は、私のところで手伝っていると、いろいろな芸能を見る機会があり、また多くのマジシャンと接する機会があります。19歳の朗磨とすれば、その日々が面白いのでしょう。私がマジック愛好家と話をしている時もいつも熱心に脇で聞いています。

 考えてみれば、私もそうでした。よくわからないながらも先輩の話を聞いているうちに、いつの間にかマジックのことが一通り分かって行きます。マジックはただマジックが出来るだけではだめんだと言うことが分かりますし、そのマジックも何を考えて演じなければいけないかが分かって来ます。ただ表に見えていることを見せるだけでは人の興味は集まりません。感動もしないのです。

 演じる人のこれまでの人生がマジックの演技中にほの見えて来て、マジックの演技プラス、演者の人生が見えたときに、初めてお客様は知らず知らずに演技に引っ張られて行き、ありもしないマジックの世界を信じて行くのです。

 私に影響を与えて呉れたアダチ龍光師や、天洋師、初代天功師はもうなくなって40年以上経ちます。然し確実に私の記憶に残っています。マジックとは種仕掛けの継承ではなく、人の継承なのです。さて朗磨は今何を学んでいるのか、その答えは40年先に出て来るのでしょう。私の知り得ない世界です。

続く