手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

文七元結

文七元結(ぶんしちもっとい)

 

 一昨日(6日)は、鎌倉芸術館で柳屋三三(やなぎやさんざ)さんと落語会の出演。弟子の朗磨が不慣れなことと、舞台が、高座台が高くて、演技をしにくいため、ひと工夫しなければならないために、3時からの公演であるにもかかわらず、午前10時30分に、大船の芸術館に到着。それから、道具作り、リハーサルなど、細々済ませて12時30分まで打ち合わせ。それからお弁当を頂き。少しすると噺家さんたちが楽屋に入って来ました。

 幸せだったことは、舞台の裏方さんで、かつて四ツ谷の区民ホールにいらして、20数年前に、私の芸術祭大賞受賞の際の舞台を手伝って下さった人がいました。懐かしがってくれて、とても親切にしていただきました。

 また、舞台監督に五十嵐さんと言う、松尾芸能大賞の際に受賞を担当してして下さった方もいて、まるで私の歴史が走馬灯のようによみがえりました。長くやっているといいことがあるのですね。

 

 鎌倉芸術館は何度か出演していますが、客席数恐らく600人くらい入るのではないかと思います。然し、見やすいいい劇場です。私は昨年に続き二度目の出演です。鎌倉在住で、作家の秋山真志先生が主宰となって公演している会で、年に数回開催されているようです。

 看板は、柳家三三さん、柳屋小三治師匠のお弟子で、小三治師匠は気難しい師匠で、なかなかお弟子を取らない中で、気に入られただけあって、古典落語のエリート中のエリートです。

 3時開始。初めの二つ目の与一さん。「おしの釣り」なかなか寄席では聞けない大物の話。次に三三さんです。素人が講釈を語る話。そして休憩の後、私の出演。

 私は、初めに傘出しを演じ、傘出しのお終いに人力車に乗って引っ込む演出を加え、その後、植瓜術(しょっかじつ)。そして蝶のたはむれ。

 植瓜術だけでも優に15分ありますので、傘出しと蝶を併せると35分あります。ボリュームある演技です。全部演じるにはきっかけも多く、弟子の朗磨は覚えることが多いため、頭の中がかなり混乱しています。特に植瓜術は福井で演じたのが初めてでしたから、まだあまり慣れていません。セリフも素人臭く、時々現代語の喋りが出てしまったりします。弟子も必死ですが、私も失敗しやしないかと冷や冷やしています。

 傘出しのきっかけは先ず先ずでした。人力車での引っ込みがスピードが遅く、少しも前に進みません。歩く方が早いくらいです。

 そのあと口上を言い、植瓜術。やたらとセリフの多い演技ですので、セリフを飛ばされると話が狂います。いつもはもっとスピードを付けて語るのですが、朗磨が心配ですので、少しゆっくり話しました。朗磨の喋りはどうにも素人臭くて、まるで学生アルバイトを使っているようです(実際大学生ですからその通りです)。こんなことなら大成を連れて来るんだったと悔やみますが、大成ばかりを使っていてはいつまでたっても朗磨が仕事を思えないので、仕方なく朗磨に任せます。

 1300年続く、古典中の古典ですので、何とも古風な雰囲気が出て来ればいいのですが、それを朗磨に望むことは出来ません。それでも何とか15分乗り切りました。

 お終いが蝶のたはむれです。蝶はもう1000回以上も飛ばしていますので、今更どうと言うものではありませんが、入念にリハをしました。蝶は雰囲気を出すのが難しく、しかも蝶の飛び方が毎回変わるため、一瞬も油断の出来ません。お終いの千羽の蝶が飛び立つまで気を緩めることができません。緊張の芸です。

 幸いお客様が喜んでくれまして、拍手が絶えませんでした。昨年ご覧になったお客様から、もう一度蝶が見たいと仰るお客様が多かったそうです。有難いですね。人が求めて下さるのは最高の名誉です。

 「是非あの人のもう一度呼んで下さい」。と言われるのと、「絶対にあの人だけは呼ばないで下さい」。と言われるのとでは大違いです。一回一回の舞台が次の舞台のショウケースです。一つが成功しなければ次の出演はないのです。

 

 私の後、再度三三さんが出られて、落語の大曲、文七元結を演じました。この話は、江戸から明治にかけて活躍した三遊亭圓朝の作品です。噺家には何代目円遊とか、何代目小さんと言った人がいますが、さすがに圓朝を名乗ろうと言う人はありません。それだけ名前が大きいのです。マジックで言うなら天一、或いは柳川一蝶斎に匹敵します。

 その圓朝は、人情噺をたくさん書きました。塩原太助一代記だとか、牡丹灯篭だとか、名作は数々あります。圓朝は作品が素晴らしいため、しばしば歌舞伎に取り入れられています。この文七元結も良く歌舞伎で演じられます。

 実際、落語で語るには、登場人物が多くて、仕分けが難しい落語です。笑いも多くはなく、きっちり演者が構成を建てて演じないとだれてしまいます。

 私は何度か歌舞伎座でこの芝居を見ましたが、博打で身を持ち崩す左官の長兵衛役が先代の尾上松緑で、その演技は立派なものでしたが、姿かたちが立派過ぎて、とても博打で身を持ち崩す人には見えませんでした。芝居が巧けりゃいいと言うものではないと言うことが良くわかりました。

 歌舞伎座で演じると、舞台が大きすぎるがゆえに、長兵衛の長屋の一間がまるで御殿のように大きく。外から声をかけるのも、武家屋敷のようでした。三三さんの話は、その点「入るよ」、「いや、あの、今取り込んでいまして」。と、噺の距離が近いところが如何にも、長屋の薄い壁一枚の生活を感じて臨場感があります。

 この話は、長兵衛さんと言い、女房と言い、娘と言い、吉原の女郎屋の女将、文七、商家の大旦那、一人として悪人が出て来ません。みんな善意の人なのです。そうした人が集まって、長兵衛さんの心意気を褒める所が気持ちのいい芝居です。

 暮れが押し迫って、金がなくて苦しんでいる晩から、翌朝に年が明けて正月になると、まるで福の神が降りて来たようにすべてが解決して行くさまが正月にふさわしい話です。久々いい落語を聞かせていただきました。

 

 公演が終わると、今日見て下さったお客様が楽屋に訪ねて来てくれました。正月早々賑やかな楽屋になりました。さて、全て片付いて18時50分。それから車を飛ばして、なんと、1時間で高円寺に着きました。

 一日気を張り続けていた朗磨を少し労ってやろうと考え、ピザ屋さんの窯鉄に行きました。文句ばかり言っても気の毒です、まだ19歳ですから。ピザとステーキを旨そうに食べています、私はハイボールを呑んで、ようやく初春の舞台を終え、幸せな気分になりました。めでたしめでたし。

続く