手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ショウの活動開始

ショウの活動開始

 

 福井から帰って、さて舞台活動のために、道具の修理や、手順の直しをしよう。と考えていると、仕事の依頼が二件来ました。御贔屓さんからの依頼です。私を忘れられていなかったことにほっとしました。大きなイベントではありませんが、お名指しで依頼され、それで活動して行けることは有り難いことと思います。

 11月6日(日)は、アゴラカフェで自主公演があります。日本橋の本通り、ホテルマンダリンの二階にあります。とてもきれいなお店で、高級感があります。ここで12時からショウをします。私の他には、ケン正木、和田奈月、藤山大成が出演いたします。

食事付きで入場料が5000円です。(子供は半額)、日曜日の昼にゆっくり食事をして、じっくりマジックを楽しむ。贅沢な遊びです。周辺が町ごとリニューアルして、散策できるように色々なイベントが開催されています。半日日本橋にいて、お店を見て歩くだけで結構充実した時間を過ごせます。ぜひアゴラカフェにお越しになって、日本橋をぶらりと散歩してください。

 

 出演者のケン正木さんですが、私とケンちゃんとは浅からぬ縁があって、初めは互いに10代でしたから、もう50年の付き合いになります。私とケンちゃんは2歳違いで、学年は 一年違いです。私は学校に行きながら舞台をしていました。ケンちゃんも同じく学生で、アマチュアとして活動していました。私は学校卒業後すんなりプロ活動を始めました。ケンちゃんの家族は、マジシャンになることには大反対。そのため大学卒業後、やむなく大手電気屋さんに就職します。

 ところが、マジシャンになりたい夢は捨てられません。よく私の仕事先にやって来て、どうしたらプロに成れるのか、自分に何が必要なのか、などといろいろ聞かれました。その都度、マジックの指導をしたり、お客様との応対の仕方を話したり、仕事先との付き合い方を話したり、喋りのマジックの大切さを話したりしました。

 やがてどうにもプロに成りたくて、どこかプロマジシャンに弟子入りしたい。と言い出します、「紹介はしないものではないけども、一旦紹介したからには、親がだめだと言うからやめる。と言うことは出来ないよ」。と言うと、当人は「絶対にプロに成る」。と宣言をしたため、私は渚晴彦師を紹介しました。

 会社をやめ、渚師につき舞台活動を始めますが、一時期、親との争いが絶えなかったようです。ある日、私のリサイタルにお母さんが来て、「どうしたらいいでしょう」。と言って涙を流されました。私は、「ケンちゃんの選んだ道ですから、ケンちゃんを信じてあげて下さい」。と言いました。実は私が仕組んだストーリーですから、私も共犯者です。お母さんには大変に酷なことをしたわけです。

 弟子入りするにあたって、本名の正木慎一では平凡な名前なんで、何かいい名前が欲しい、と私に言って来ました。別段私がケンちゃんに名前を付ける理由はありませんが、それでも頼られたなら何とかしようと、いろいろ考えて、

 「ゲン正木か、ケン正木がいいんじゃないかと思うんだ。正木と言うのは濁りのない名前だから、耳で聞いたときに記憶に残りにくい。どこかで、音便(おんびん=ん、とか小文字を入れた音。きゃ。きゅ、きょ、など)。或いは濁音を入れると名前が締まるよ」と言って、ゲン正木、ケン正木の二つを紙に書き渡しました。

 元が正木慎一ですから、シン正木でもいいのですが、シンよりもケンかゲンの方が語感が強いので。強い印象を与えるためにケンかゲンを考えました。名前の配列も、正木ケンでは当たり前になりますので、アメリカ人二世のように、ケン正木としたのです。紙を見て彼はケン正木を選びました。

 ケンちゃんは熱心に私の仕事先に来ては喋りや受けネタを勉強していました。然し、これから渚師の弟子になるなら、余り私に依頼心を持って寄ってくるのは返って渚師に失礼になるんじゃないかと考えました。都合よく先輩に摺り寄って来て、どっとつかずの付き合いをするようになってはいけません。そこで、

「ケンちゃんねぇ、渚さんの弟子になったら、まず第一に渚さんの教えをしっかり学ばなければいけないよ。だからもう僕は君にマジックを教えない。これからは渚さんから習うべきだ」。と言いました。

 日頃、何かにつけて親し気に寄って来て、自分の演技をビデオに撮って、私に意見を求めたりしていたものが、突然、私から絶交宣告のような言葉が出たため、ケンちゃんはびっくりしていました。でも、あのまま私とべったりと付き合っていたなら、渚師との関係は悪くなっていったでしょう。あれでよかったのです。

 但しその後も、私の舞台の代演を手伝ってもらったり、私のリサイタル公演には頻繁に出演してもらいました。そして昨年からケンちゃんは奇術協会の会長に就任しました。

 ケンちゃんは意欲を持って臨んでいますが、今、協会の会長になると言うことは大変なことです。舞台活動は制限されていますし、プロがアマチュア化してしまって、プロらしいプロが育たない現状で、何がプロなのかと言う根本が問われています。どうやって奇術協会を維持して行くのか。

 特に彼には持病がありますので、会長職が寿命を縮めるようなことがあっては心配です。補佐役がしっかりしていればいいのですが、これも不安材料です。正直私は彼の会長就任には反対しました。

 然し、彼は精力的に協会運営に携わっています。まぁ、なってしまった以上、仕方ありません。何とか応援をしなければいけません。

 最近はじっくり話をすることもなくなりました。今度の11月6日は楽屋なり、終演後なりにゆっくり話をしようと考えています。50年の仲間は大切にしなければいけません。と言うわけで、11月6日は、面白い取り合わせのマジックショウになります。どうぞ皆さんお仲間お誘いの上、アゴラカフェにお越しください。

続く