手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

言葉の壁 1

言葉の壁 1

 

 一昨日の島田師を偲ぶ会の追悼の文章を作るにあたって、古い資料を色々調べているうちに、島田師の心の奥にある大きな悩みが見えて来ました。無論取材中もそのことは気付いてはいましたが、どうしても文章で発表することは出来ませんでした。日本で、島田師のことを書く時には必ず、輝かしき成功話を書かなければなりません。

 人の一生は、光だけではその人を語ることは出来ません。光と影があって人なのです。影の部分にしっかり踏み込んで、当人が如何にして影を克服したのかを書くことこそ、成功談になるはずなのですが、然し、結局影を書くことは出来ませんでした。島田師にとって、人生の影とは何か。それは言葉の壁です。

 

 先ず、島田師は、東京の両国に生まれています。父親は新発田サーカスの事務方をしていたようで、後に、新潟の新発田市で映画館の支配人になります。島田師は母親とともに生後しばらく両国にいたようですが、いつのころからか新発田に移って、親子揃って暮らすようになります。

 赤ん坊のころに新発田に移ったと思いますが、母親は東京の人ですから、幼い島田師の言葉の中に東京弁が混ざっていたと思います。その後、地元の小学校に入ると、子供たちは、島田少年のことばを聞いて、違和感を覚え、いじめの対象にしたのではないかと思います。

 これは私の推測として書いていますが、マジックと出会う、15の歳までのことは、私には一切話をせず、何とか話を簡単に済ませたかったようです。ここに島田少年の第一の言葉の壁があったように思います。

 両親の夫婦関係が上手く行っていたのかどうか、地方都市で無事に学校生活を送れたのかどうか。島田師が秘して語らぬ部分でした。生まれたのは昭和15年ですから、生まれて二、三年で新発田に行ったとして、昭和17年。太平洋戦争のさ中で、東京では食べ物が足らなくなり、生活して行くには大変な時代です。母親が島田師を連れて疎開するのは当然の流れなのでしょう。

 それが昭和30年で夫婦離婚。母親は島田師を連れて東京に戻ります。帰京の目的は高校進学ですが、中学を卒業せずに東京に出て来ると言うのは、家庭内に何かあったのだと思います。入試までには半年ブランクがあります。中学を中退したまま何もしていなかったようです。恐らくここでも言葉の壁があったのでしょう。新潟の新発田の言葉は当時ならいじめの対象に合うことは想像できます。

 子供の頃の島田少年を知る人たちは共通して、「無口で、いつもにこにこしている少年だった」。と言います。私にはこれが幼い島田少年の処世術だったと思います。喋ると田舎弁丸出しになる。バカにされる。だから、なるべく喋らないで、相手に不快感を与えないようにするには、にこにこ笑っているしかなかったのでしょう。

 そして、やがてマジックと出会います。島田少年にとっては、まさに生きて行くための魔法の技を手に入れたのだと思います。マジックの中でも特にスライハンドに熱中します。それは一言も言葉を発しなくても出来る芸能だからです。

 新潟から出て来て、友達もなく、ただ何かを求めて東京をさまよっていて、そこでマジックの売場を見て感動します。そしてその年のうちに、販売員として売り場を手伝うようになります。当時の販売の先輩が、引田功。後の引田天功で、当時は日本大学工学部の学生です。但し、マジックにのめり込み過ぎて学校に行っていませんでした。

 天功の販売を手伝いつつ、やがて天洋に入社、入社と言っても松旭斎天洋師の自宅に住み込みです。高校入学はそっちのけでマジックにはまり込みます。後に天洋師が、心配して、島田少年を夜学の高校に入れてくれました。

 ここで初めて島田少年は、何のこだわりもない開放的な世界を体験します。内向的な性格も、少しづつ明るさが出て来ます。後に、マジックの販売から離れて、舞台のみで生活して行くようになると、八つ玉や鳩出しで売り出して行きますが、舞台での喋りはほとんどしていません。初めから喋りは不得意と決めていたようです。ここまで見て来てお分かりのように、島田師がスライハンドの道を選んだのは、自らの言葉のハンデだったのです。

 

 やがて、オーストラリアに行き、ステージ活動をしますが、ここでも言葉の壁が立ちはだかります。英語の問題です。幸いにオーストラリアで結婚をしたディアナさんが言葉を教えてくれて、日常会話は出来るようになりました。

 ところが、オーストラリアで生活していたと言うことが、後にアメリカに渡り、大活躍するようになると、アメリカのアッパークラスの社会で島田師の評価を下げます。そのことは、あるアメリカ人がマジックキャッスルで、私に話してくれたことなのですが、「島田さんの英語はアメリカのアッパークラスでは通用しない」。と言うものでした。それは島田師に問題があるのではなく、最初に渡ったオーストラリアの英語に問題があったのでした。

 オーストラリアは、移民と船乗りと囚人によって築かれた町でしたので、言葉が悪かったのです。ロンドンの波止場近くで話している言葉の訛りがそのまま国語になっています。サンデイ。マンデイ、がオーストラリアでは、サンダイ、マンダイ、になり、一事が万事訛っていて、あまりきれいな言葉ではないのです。恐らく、ディアナさんも島田師もそのことには気づいていたとは思いますが、それでも所々出てくる言葉の問題は、島田師がアメリカで成功するに及んで大きな壁となって行ったようです。

 そもそも師の英語は文章で覚えた英語ではなく、耳で聞いて覚えたものですから、曖昧な言葉も多く、いい言葉も悪い言葉も一緒くたで、知性ある階級のパーティーでは不釣り合いなこともあったようなのです。実は、そのことで、40代になってから島田師はとんでもなく苦労することになります。

続く

 

 大阪マジックセッション、10月28日、29日、道頓堀ZAZA、前売り、S席4500円、一般4000円。6時30分スタート。出演、峯村健二、SORA、高重翔、キタノ大地、藤山新太郎、藤山大成、橋本昌也、すぎけん、29日、昼マジックコンテスト、入場料1500円。お席あります。東京イリュージョンまで、03-5378-2882

 今年から2日間の開催です。大阪の最も繁華なところでのマジックショウの開催です。今回は初の試みとして、コンテストが催されます。このコンテストのために東京からもチャレンジャーがやって来ます。白熱のコンテストをお楽しみください。

 福井天一祭。10月30日。13時30分から、繊協ビル10階ホールにて。ディーラーショウ、レクチュアー。16時、ステージショウ。全体通し券。5000円、当日5500円。ステージショウのみ、前売り4000円、当日4500円。出演者。伝々、十文字、SORA、藤山新太郎、岡田透、サイキックK、キタノ大地、藤山大成、橋本昌也、

 天一祭も10年目を迎え、北陸で定着している唯一の公演。充実のマジックショウ。お席希望は、東京イリュージョンまで、03-5378-2882まで。

 

 11月6日(日)アゴラカフェ。手妻公演。12時から、食事付き、出演、藤山新太郎、ケン正木、和田奈月、藤山大成、入場料、5000円。ご予約はアゴラカフェへ。6262-6331。

 日曜日の昼に食事をしながらじっくりとマジック、手妻、を楽しんでいただく至福のひと時。お早めにお申し込みください。