手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

福井 天一祭

福井 天一

 

 10月30日は福井市天一祭が開催されます。市内中心部にある繊協ビル10Fのホールで開催します。13時30分からディーラーブースがオープンし、ディーラーショウ、レクチュアーなどあり、16時からステージショウが開催されます。形式はミニコンベンションですが、東京などのコンベンションを期待されて来ると少々がっかりすると思います。

 ショウの出演者は、伝々、SORA、十文字幻斎、藤山新太郎、岡田透、サイキックK、キタノ大地、藤山大成、橋本昌也、かなり実力者揃いのメンバーだと思います。

 

 天一祭は、今回で9回目(二年休み)の開催になります。事の始まりは、私が、松旭斎天一の伝記を書くべく、12年前に福井を訪れたことから始まります。天一の生まれ故郷である福井を訪ねて、色々資料を集めたのですが、実際には天一は8歳までしか福井にはおらず、その後四国で僧としての修業をし、更には芸人となって関西を転々とし、やがて西洋奇術師となって名を上げて行きます。

 そうなら、天一の資料などと言うものは福井にはほとんどないと思われますが、実は、名を上げた後、天一は度々福井を訪れ、訪問するたびに地元で興行し、毎回福井市に多くの寄付をしました。今では考えられないことですが、明治時代の天一の名前は当時の芸能の世界にあってはとにかく有名で、福井にあった800人も入るような芝居小屋(昇平座)で興行すると連日満員になり、10日間も15日間も興行して大入りが続いたと言います。

 明治時代の福井市なら、恐らく人口は3万人程度でしょうから、仮に10日間で8千人の観客を集めたとするなら、街の25%の人が集まったことになり、驚くべき成果です。天一は、福井に両親の墓を作ったり、藤島神社に大きな灯篭を一対寄贈したりしています。更には、福井市内に自分の娘を嫁がせるなどして、福井との縁を絶やさないように配慮しています。

 

 天一と言う人は、松旭斎の初代になります。自身の本名、服部松旭(はっとりしょうきょく)の松旭を取って、松旭斎と名付けました。とても字画数の多い名前で、当時の人にとっては難しい名前だったと思いますが、それでも一般によく普及し、マジック、奇術の代名詞として松旭斎の名前は普及して行きます。

 弟子に松旭斎天勝がいて、彼女が10代の頃から美貌で、大人気だったため、一座は天勝見たさに観客が押し寄せ、天一、天勝の二枚看板で人が集まったのです。そして、明治34(1901)年からは足掛け4年にわたる、アメリカ、ヨーロッパ公演を果たします。

 明治時代に海外公演をすると言うのは、現代で言うなら月旅行をするのに匹敵します。相当な資産と、覚悟がなければ成し得ないことでした。天一はそれまで稼いだ収入をすべてはたいて、座員を引き連れてアメリカに渡ります。そしてアメリカの興行師と契約をして、アメリカ各地のステージを踏み、そこで大金を稼いで、ヨーロッパに渡り、欧州各地の王侯貴族に連日のようにパーティーに招かれ、勲章などをもらって帰国をします。

 帰国後は日本中の芝居小屋で凱旋公演をし、それまで以上の人気を博します。浮き沈みの多い芸能の世界にあって、天一は、興行の勘(ショウビジネスの才能)が鋭かったのか、行く先々の舞台で常に大当たりを繰り返しました。そうした一座には当然良い人材が集まり、前述の天勝、芸養子として迎えた、天二、又従兄弟の天洋、一座の中で西洋音楽を演奏していた天海、などなど、綺羅星の如くスターを輩出することになります。

 現在でも松旭斎は日本の奇術界で大きな勢力を持っています。そうした松旭斎の元祖が生まれた土地に、石碑を立てたのが11年前です。場所は、大名町の交差点、福井銀行本店前です。東京で言うなら大手町の交差点の角に石碑を立てるようなものです。

 実は、この福井銀行のある場所が、江戸時代は、狛(こま)家と言う、福井藩の家老の屋敷跡で、天一の父、海野海平はこの屋敷の中で生活をしていました。生家の位置を見つけ出し、近くの土地を拝借することを、市長や県知事に請願して、その後、マジック愛好家から寄付を募り、ようやく石碑は出来ました。

 私自身は、天一の伝記(「天一一代」、NTT出版)を発刊し、石碑を立てたことでとにかく一つの目的を達成したことになります。然し、こうして一年以上、福井での資料集めや、石碑の建設のために、6度に及ぶ福井行きを繰り返すうちに、福井市内のマジック愛好家と仲良くなり、「天一先生の名前を消さない意味でも、毎年一回マジックの催しをしましょう」。と言う話になりました。そこで、「天一祭」と銘打って、マジックショウを開催することになりました。会長は岡田透さん。市内で「空」と言うバーを経営してらっしゃいます。

 毎年ショウを開催する中で、顕彰もしています。天一賞と言うのがそれで、一回目はクリストファー・ハート、二回目は前田知洋ふじいあきら、きら、ムッシュ・ピエール、(六回目は該当者なし)、HIROSAKAI、峯村健二、と続いてきました。

 

 小さな組織ではありますが、福井のマジック愛好家は、外に向かってきっちりと交流を果たしています。もう少し大きくなって、コンテストなどが出来ればいいな、とは思いますが、北陸3県の中での開催にはいろいろ制約がありますし、予算も限られています。

 

 さて、同日午前中には、福井市内の子ども歴史資料館で天一祭が開催され、天一先生ゆかりの資料などが展示されます。そして、毎年、歴史資料館の中のホールでマジックショウが開催されます。出演は、藤山新太郎、藤山大成、キタノ大地、の三組です。

 

 この催しも毎年のことで、地域の親子連れのマジック愛好家を対象に催されています。こうした活動も10年を超すと、それなりに実績が上がり、そこで育った子供たちの中から、マジックシャン志望が生まれて来る可能性もあります。私はそうした新たな発展が生まれることにほのかな期待をしています。何にしても、10月30日の福井公演は楽しみです。

続く