手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

たばこ

たばこ

 

 私は、家で煙草を吸う人がいなかったせいか、私自身煙草を吸った経験がありません。然し、子供のころから、随分煙草の煙で濛々としているところへは出かけていました。私の子供のころは、世間一般が、禁煙者よりも喫煙者の方が多かったように思います。

 先ず、楽屋です。演芸場の大部屋などは、いつでも10人も20人も芸人が集まって、世間話をしていましたが、みんな煙草を吸っていました。小学生だった私が、楽屋に行っても、誰も子供への配慮などせずに目の前ですぱすぱ吸っているのです。

 数人で輪になって、トランプ博打をしているところなどは、灰皿に煙草の吸い殻が山のように積まれ、なおかつ、トランプに興じている人の口にそれぞれ火のついた煙草が咥えられていました。環境の悪い場所でした。

 親父がよく行く麻雀屋なども同様でした。もう部屋中スモッグのように煙が上がっていました。そんな部屋で徹夜でマージャンをするわけですから、体にいい訳はありません。親父はタバコも吸わないのによくそんな場所に入り浸っていたものだと不思議に思います。

 

 楽屋で出演者は、出番前に衣装を着けて、舞台に上がる直前の廊下に大鏡があって、そこで、衣装をチェックしながら、気を落ち着かせるためにタバコを一服吸います。みんながそこで煙草を吸うために、バケツが一つ置いてあり、たばこの吸い殻でバケツはいつもいっぱいでした。

 出演者は普段はくだらない話をして、およそ緊張感などない人たちでしたが、舞台に上がる少し前になって、みんな、かなり緊張をしていて、その緊張を緩和するためにタバコを吸っていたのです。

 ステージと言うのは、異次元の世界を作り上げる所です。そのため、自らが自分自身と決別して、別の世界に行くのだと言う決意が必要です。自分の心の中にある、別の人種を呼び覚まし、上手く別の人間に乗り移れればいいのですが、なかなか乗り切れないときには人知れず苦しみます。自分を鼓舞したり、奮い立たせたりします。当然緊張が高まります。緊張のあまり余計なことを考えてしまいます。

 いつもいつも見事に変身して、全然違った自分にはなり切れないのです。そこで緊張を和らげるために、煙草を吸うわけです。子供のころから芸人を見ていると、お笑いの芸人はタバコを吸う人が多かったように思います。絶対に毎回受けると言うネタでも、日によっては観客全員がクスリとも笑わないときがあります。結局お笑い芸と言うのはどこまで突き詰めても、その日のお客様が笑うか笑わないか、お客様次第なところがあります。

 15分の舞台で、お客様が誰一人、初めから終いまで全く笑わないと言うこともあるのです。そんな舞台はやっている芸人も、脇で見ている子供だった私でも辛いものです。

 漫才コンビなどは、よほどのベテランでも、全く受けないときがあります。そんな時は、あれやこれや、ネタを振って、着地点を探しますが、シーンとした客席を見ながら、二人とも額に脂汗を流して、筋ネタに入れずに右往左往して、結局形にならない漫才をして終わってしまうことがあります。

 笑いの芸と言うのは笑いが起きなければ何もなくなってしまいます。何十年もの努力が全否定されます。そんなことにならないように、出番前に、あれこれ、自分の引き出しを確かめます。将棋指しの如くに、「ああ来たらこう言おう」、「受けなかったら、こんな筋を振ろう」、と頭の中で筋をまとめます。

 いつもやっていることだから、そこまで真剣に考えなくてもよさそうなものですが、一度考え出すと、次々に問題点が見えて来るのでしょう。そうなると不安が高まり、その緊張が頂点に達すると、もう体は自身で維持できなくなりますから、ひたすら煙草で気持ちを落ち着かせつつ、いらぬ配慮をします。マッチポンプの如く、自ら緊張させて、それを冷ましてを繰り返して行くわけです。 

 人によっては、矢継ぎ早に、今吸っているタバコが消えるか消えないかのうちに、次の煙草を出して火をつけていました。こうなるともうタバコ中毒です。当然そうした芸人は肺癌になりやすく、寿命も長くは生きられないでしょう。

 私は子供心に、そんな体に悪い仕事をしていて、本当に楽しいのだろうか、と思いました。いやいや、この刺激が楽しいのでしょう。別次元の世界に飛び込んで行く瞬間。そこから日常で体験したこともないような世界が待っているのです。その上、お客様に喝采で迎えられ、スター扱いをされたら、もう何もいらないと思うのでしょう。

 国立劇場の楽屋を見ても、長唄の三味線方などは楽屋でひたすら煙草を吸っています。黒紋付に袴を着けていながら、喫煙室で、ひたすら煙草を吸いまくっています。三味線はすべて暗譜です。何十番もの曲を記憶だけで弾いて行きます。その緊張はすさまじいものでしょう。当然煙草の量は増えます。

 

 私自身は煙草を吸いません。然し緊張はあります。そんな時にどうやって緊張を緩和しているのか、と考えると、結構楽屋で人と話をします。余り極度に自分の手順を考えないようにしています。今この場で疑問が生まれたとしても、どうになるものでもありません。そうなら、余計なことは考えずに、今迄してきたことをそのまま演じられるように、極力普段の気持ちを維持して、「平常心」で演じるように心がけています。

 然し、どうでしょう。人生でこれまでも、緊張のあまり、食べたものを吐いてしまうような舞台を何度も経験しています。そんな時は舞台に上がることが苦痛です。それでも、苦しい舞台を経験すると、緊張感のない舞台を百辺するよりも、多くのことを学んだような気がします。「今のままではいけない」。「厳しい人たちが見ている」。「これを越えなければ成功はない」。そんな瀬戸際の舞台を経験することは絶対必要なのです。舞台は楽しいもの、面白いもの、などと考えていると、ある日そのしっぺ返しがやって来ます。とんでもない地獄の舞台がやって来ます。そんな時、煙草で気持ちが整えられるならまだ幸いです。どうにも自分の隠れ場所がなくなり、とことん追いつめられる時が来ます。そうした局面を経験すると、芸は一回り大きくなり、少し深まって行きます。「深まらなくてもいい」、「大きくなくてもいい」。そんな風に考えていても、必ずその時はやって来ます。借金の返済のようなもので、遊んだ末の後始末は必ずやって来るのです。

続く