手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

あがり症って何 2

あがり症って何 2

 

 昨日(10日)私があがり症であると言うことを書きました。しかし実際、私が、出番前にがちがちに上がって、手が震えたり、声が出なかったりすることはありません。普段の舞台でも、緊張することは少ないのです。それは、自分で自分をコントロールする方法を覚えたためで、過度な緊張はしないものの、心の中では今でも小さな緊張はしています。

 

 昨日、私が子供のころ、誰に対しても愛想のいい子だったと言う話をしました。私はそれを自分の性格だと思っていました。然しそうではなかったようです。私が15歳くらいの時に、母親が、ふと、

 「お前は昔から誰とでもすぐに仲良くなって、とても愛嬌がある子だったけども、ある時、占い師の人が、お前を見て、『お宅のお子さんは長生きしませんよ』。と言ったんだよ。『どうしてですか』、って聞いたら、『人に気を使いすぎる。あんなに幼くて、人に気を使っていたら神経をすり減らして、長生きできなくなりますよ』。って言うんだ。あたしはてっきりそういう性格の子供なのかと思っていたけど。お前は早くから人に気を使っていたんだね」。

 と言ったのです。この言葉はショックでした。なんとなく幼いうちから処世術を身に着けて、人に愛想よくしていたことが、本心ではないと見抜かれていたのです。そんな生き方を長く繰り返していると、本心からしていることなのか、作っているのか、自分自身でも気づかなくなって行きます。

 スマイル(笑顔)なのかプレゼンテーションスマイル(愛想笑い)なのか。自分自身ではよくわからないまま、相手が喜ぶから自分を押し殺していい顔をしていたわけです。それを幼いうちから私は身に着けていたのです。

 ところがその実、私は昔から、初対面の人にいらぬ緊張感を持ちます。表向きは、にこにこ笑って、人との話の共通点を探して、誰とでも仲良くなろうと努めるのですが、人と会った後、とても疲れるのです。そして後で余計なことを喋ったことを一人後悔するのです。

 でも、私は人と会う、人と話をすることと言うのはそういうことなのだと思っていました。然し、実際はそうではなく、自分が人にいらぬ気を使っていることに気付いて行きます。

 人はこれを二重人格と言うのかも知れません。でも10代の頃は自分が何者なのかがわかりませんから、どちらが本当の自分なのかが判別できません。分からないままいろいろな役を演じているうちに、自分自身が一層見えなくなってなって行ったのです。

 

 いいプレゼンテーションスマイルを見せることは、営業マンだとしたら、とてもいい武器を持ったと同じことです。もしアメリカ人だったら、それだけで成功のチャンスを掴めます。それを知らず知らずに身に着けている子供がいたなら、その子は成功間違いなしの人生が約束されています。

 ところが、私は、思春期に母親からそんな話をされて思い悩みます。よくよく考えて見れば、私は常に自分を隠して生きて来たのです。別に何かを隠そうとしたわけでもないのですが、心の奥を探って行くと色々隠すべきものを持っていました。親が芸人で家が貧しかったこと。本当の私はものすごく気が強く、人との折り合いが良くなかったこと。適度に才能があって、人よりも先に答えが見えてしまうこと。それらのことはすべて自分にとってマイナスな性格だと思って隠していました。

 人より先に答えが見えてしまうなどと言うのは、優れた才能だと思う方もあると思いますが、実際には、目端の利く子供と言うのは周囲からは愛されないのです。子供のくせに人の間違いを指摘したりすると、先生や、チームのリーダーから疎まれます。仮に、私の言ったことの方が正しかったとしても、あとでのけ者にされます。

 馬鹿なリーダーは、自分が失敗すると、反省をするどころか、自分の恥を隠すために正解を言った人間を攻撃します。そんなことで何度もいじめを経験すると、「世の中は、考え方が正しいかどうかが価値基準ではなくて、間違っていても、人と同調して生きることの方が大切なんだな」、と知ることになります。

 

 私は幼いころから、自分の心の中に相当強い意志があることを知っていました。然し、何か言うたびに周囲とうまく行きません。そうなら、人から愛されるように、意思を押し殺して、にこにこ笑って生きていることのほうが得策だと知りますが、それがやがて心の中で葛藤を生みます。

 そんな中、親父がやっているお笑いの世界を見ていると、芸人は、生活が苦しいにもかかわらず、実に素直に自分を表現して生きています。当時まったく売れていなかった北野たけしさんなども、ものすごく強い意志を持ちながら、収入にならない舞台活動を繰り返していました。でもそれがめちゃくちゃ充実した人生に思えたのです。

 私は絶対この生き方のほうが自分自身を伸ばせると考えました。やがて学校を卒業して、プロマジシャンになったときに、周りをきょろきょろ見渡しながら、人のまねをして生きるのでなく、もっと、心の中の自分を素直に押し出して生きて行きたいと考えるようになりました。

 芸能とは本来そうしたもののはずなのです。誰に遠慮が必要なわけではないのです。ところが、実際マジシャンになってみると、そこも一般社会の縮図でした。周囲の先輩に遠慮をして、人の言葉に同調して、いいも悪いも自分で判断せずに、世の中の流行に合わせて、ただ人のするマジックを真似る人ばかりだったのです。「そんなの芸能じゃぁない。そんな生き方をするためにこの道を選んだわけじゃない」。

 そう考えて、国内では毎年リサイタルを開催したり、アメリカに行ってマジックキャッスルに出演したり、自分のしたい人生を歩むようになりました。然し、肝心の自分が一体どんなマジシャンなのか、なかなか見つかりません。

 自分が見つからないまま、自分のマジックを作り上げようと思って、リサイタルを開きます。が、その演技は矛盾の塊です。演技の最中にも、今いるお客様を喜ばせなければいけないとか、自分の演技は結局自己満足なのではないかなどと邪心が過(よ)ぎり、あれこれ考え、葛藤して、一人心の中で緊張感を煽り、次の出番のセットを急がなければならないにもかかわらず、楽屋で吐き気を催すほどに緊張していたのです。結局最大の敵は自分自身なのです。

続く