手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

面白て やがて悲しき お笑い芸 1

面白て やがて悲しき お笑い芸 1

 

 去る5月11日、上島竜兵さんが自殺をされました。その原因が何であるか、私は知りません。縁もないものがとやかく言う話ではありません。そう思うがゆえに、このニュースをブログでは取り上げませんでした。

 然し、お笑い芸人を父親に持ち、多くのお笑い芸人を見て育ったものとして、お笑いと言う芸は、とても危険な芸であることを私は知っています。この文章が、上島竜兵さんの苦悩とつながるのかどうかは知りませんが、お笑い芸についてお話します。

 

 人を笑わせ、楽しませ、常に明るく陽気な芸でありながら、お笑い芸人のその心の奥は常に不安で、後ろ暗く、例えようもない寂寥感を抱き、常に自らを死の淵に追い込もうとします。

 私は子供のころから劇場などで、お笑い芸人さんを見て来て感じたのですが、彼らは舞台では面白いことを言ってお客様を沸かせるのですが、終わって楽屋に戻ってくるときになると決まって寂しそうな、気難しそうな顔をします。舞台が陽気で賑やかである分、まるでその反動であるかのように、素に戻った時の顔が暗いのです。

 それは楽屋での着替えを終えて、劇場の裏口から出て行く時も、これがさっきまで舞台で派手な喋りをしてお客様を沸かせていたタレントとは思えないほど、暗いのです。世の中の裏側に隠れてひっそり生きているかのような、実に後ろめたい表情をしているのです。私は親父や、仲間の芸人を見て、お笑い芸人は「笑いとは恥の芸」。と理解しているのではなかと感じました。

 それでもまだ若くて、時流に乗って、マスコミに頻繁に顔を出して、よく受けているときはけっこう明るいのですが、50、60と年齢が進んで、笑いがずれ始めて来ると、顔は一層険しいものになります。本来なら、30年40年と同じ芸能を続けていれば、たくさんの技術が蓄積され、その技術で笑いを作り出せるはずなのですが、そんな風にはなりません。実際の笑いは、時流と密着しているために、作り置きが効きません。昔作ったネタはもう使えないのです。つまり技術の蓄積がしにくいのです。

 しかも始末の悪いことに笑いはその人の性格に密着しています。一度、バカとか、無責任とか、ほら吹きとか、個性的なキャラクターが出来て、お客様認知されると、それを一生演じ続けない限り笑いは作れません。

 一度評価された役を演じ続ける限り、お客様は付いてきてくれます。然し、お客様はそのキャラクターから少しでも違った性格を認めようとしません。バカで売ったなら、一生バカであり続けなければなりません。

 芸人にとってこれほど苦しいことはありません。一度バカで売ってしまうと50を過ぎてもバカを演じなくてはなりません。道を歩いていても、酒を飲みに行っても、常にバカであり続けなければいけません。「それが仕事なんだからそれでいい」、と思っていても、50を過ぎて、同級生が会社経営者になったり、社会的な地位が上がって行っても、自分はパンツ一枚で馬鹿を演じ続けなくてはいけません。

 子供が出来ると子供は、「学校でバカにされるから、あのギャグはやめて」。と真剣に懇願してきます。年齢が進むにつれて、自分のしていることに疑問が生まれ、もっと違うところに行きたいと思うようになります。

 お笑いタレントで、コメンテーターになったり、ニュースキャスターになったりして、立派な意見を言う人が出て来ます。私は「彼らの中にも葛藤があるんだろうな」。と慮(おもんばか)ります。転身できる人は幸せです。

 

 

 時は流れ、もう自分の作ったキャラクターが飽きられてきたことは見えているのに、お客様は一つのキャラクターを求め続けます。求めてくれることは有り難いのですが、このまま行けば、仕事がどんどん少なくなってきて、以前ほどみんなが笑わなくなって来て、すべてが終わってしまうと分かっていても、キャラクターを変えられません。

 お笑い芸は、古典落語や、狂言の笑いとは違います。笑いは常に時流に密着し、なおかつ当人のキャラクターからぴったりくっついていて、個性から離れては存在しません。

 マジック、ジャグリング、楽器演奏などと言うような、技術が前面に見える芸能には長く続けるほど蓄積が生きて来ます。若いころ覚えた技術がそのまま50年経っても使えます。カード、コイン、リング、鳩、それらは50年経っても仕事に生かせるのです。

 然しお笑いはそうはいきません。ベテランが、技術を駆使して作った笑いは、若いお客様には受けが悪いのです。なぜ受けないか、技術で笑わせるのでは作為が見えるからです。若い芸人で、感覚的に超えた才能のある芸人の笑い、つまり予測不可能な笑いに、より多くの若いお客様は集まります。先ずは時流を掴まない限り、人は集まらないのです。

 逆に言えば、センスのいい若者がお笑いを目指せば、それほどの技術を持たなくても、荒稼ぎが出来ます。然し、そうした生き方では長く生き残れないのです。そのため、笑いに固執せず、受けなくなれば、さっさとほかの道に行ってしまう芸人もたくさんいます。そのように生き方を変えて行ける人はむしろ幸せなのです。

 

 ところが、笑いを愛し、一生この道で生きて行こうとすると、かなり難しい生き方を強いられます。古くなったキャラクターを続けていると、「あいつはいつも同じことをしている」。と言ってバカにするお客様が出てきます。そしていつしか「時代遅れ」、のレッテルを張られます。それでも何割かのお客様は古いスタイルに固執します。

 支持者がいて仕事がつかめるのは幸いなのですが、同時に「流行遅れ」と言われ続け、軽蔑されます。それでも舞台で受けて、お客様が喜んでいるうちはいいのですが、ある日全く笑わないときがやって来るのです。

 それが、技術的な巧さで笑いを取っているならまだしも、パンツ一枚で出て来て、捨て身で笑いを取るような芸をして、まったくお客様が笑わないとなったとき、悲劇が始まります。それはさながら、自ら地獄の窯の蓋を開けて、中を覗き込むことになります。

 私の親父もそうでした。昔からやっていた数え歌などを舞台で聞かせているうちに、ある日、お客様は全く笑わなくなります。そんな時、50過ぎのお笑い芸人は、世間から疎外された気持ちになり、これまで培ってきた笑いの技術が全否定されたことを感じるのです。

 そこにいたお客様は高々100人か200人に過ぎないのですが、それでも、受けると信じて見せた得意芸が、全く相手にされなかった時、一瞬にして世界中の人からすべてを否定されたような気持ちになります。それはまるで、株で儲けていた投資家が、株の暴落で全財産を失ったかのような絶望感に似たものだと思います。

続く