手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

スプーン一杯

スプーン一杯

 

 この10年来、毎年、いったん雨が降るととんでもない集中豪雨になって、局地的に被害が起こります。こうした豪雨が起きると、日本は山が多く、人は狭い平地に集中して住んでいる地域が多いため、雨はたちまち狭い川幅にあふれ出し、低い堤防では防ぎようがなく、一度雨が降り出すとたちまち堤防が決壊したり、がけ崩れが起こったり、橋が流されたりして、被害が広がります。

 但し、こうした豪雨はこの10年のことで、それまではめったなことでこれほど被害の大きな雨は出ませんでした。集中豪雨になる前には、頻繁に、日中にスコールが来るような時代がありました。晴れて暑い天気であるのに、突然土砂降りの雨が降って、それも10分もするとカラッと晴れて何事もなかったかのように天気になりました。

 その時は、「まるで東南アジアのような気候だなぁ」。と思いました。「日本も温暖化で赤道直下のような気候になったのかなぁ」。と思っていました。ところがそうしたスコールも、その後見られなくなり、この10年は地域的な集中豪雨に変わりました。集中豪雨はスコールとは違い、一地域に雨雲が停滞して、2日も3日も雨が降り続きます。

 どんなに防災対策をしても、集中豪雨に何日も居座られてはどうにもなりません。堤防は決壊し、橋は流され、泥水が田畑や町中にあふれて大惨事になります。その様子を私はテレビで眺めているだけですが、家の中に流れ込んできた泥水をモップで流し、畳を上げて乾かしている姿を見ると、お気の毒に思います。

 およそ東京では河川の氾濫と言うのは見られません。全くなかったわけではなく、杉並区でも善福寺川などは度々水が溢れたようですが、川の底に貯水槽を作るなどして今では水害は起こらなくなりました。多摩川や墨田川、江戸川なども治水がうまく行っているようですが、それもこの20年くらいのことで、ようやく水害はなくなったのです。20年くらい前に多摩川が氾濫して、堤防が決壊し、近くの住宅が川に流されて行ったのをテレビで見たことがあります。

 それは、まるでスローモーションビデオを見ているかのように、家がゆっくり動き出し、そのままの形で多摩川に流れて行きました。テレビで見ているものにとっては、「あぁ、家と言うのはあんな風に家の形を残したまま、そっくり流されて行くんだなぁ」。と呑気に見ていましたが、持ち主の気持ちとしては心穏やかではなかったでしょう。なんせ、家だけでなく、家具も、小物も、自身の思いのつもったものすべてを流されてしまうのですから。

 人生をかけて集めたものを一瞬の集中豪雨で失って行くのはどんな気持ちでしょう。人生で家を二度も建てる人はよほどの人です。一度家を流されてしまったなら、もう二度と自分の人生で家を建てることは不可能でしょうし、家財道具を再度揃えることすら容易に出来ないでしょう。人一人が一生かかって蓄える財産などと言うものは知れたものです。しかしもう一度は出来ません。

 江戸時代に家を新築すると言うのは大仕事で、銀行のローンなどと言うものも当然ない時代ですから、資金を集めるだけでも大仕事です。恐らく親戚中借りまわってやっと資金を集め、家を普請したのでしょう。世間からは「それでこそ当主だ」、とか「立派な男だ」。とおだてられますが。親戚から借りた金が心の負担となり、親戚に頭が上がらず、多くの場合は家を建てた人は早死にしたそうです。借金の重圧は人の寿命を縮めるのです。

 

 蜜蜂は毎日暑い中、必死に働いて花の蜜を集めます。一匹の蜂が残す蜂蜜の量はスプーン一杯ほどだそうです。我々がパンケーキに一回蜂蜜をかける量が、蜜蜂の一生の労働なわけです。それを聞くと、蜂蜜を皿にこぼすことなど申し訳なく思います。

 

 蜂にとっての蜂蜜は、マジシャンにとっての不思議の作品なのでしょう。本を読んだり、稽古をしたりして作り上げた不思議は、掛けた時間に比べて、演じてしまえば一瞬の出来事です。それでもうまく出来て、舞台にかけられればいいのですが、使えないものも山ほどあります。何とか一瞬の作品を作り上げ、更にそれが手順となって行くために様々な要素を取り入れて、何十年も時間を掛けながら演技が出来て行きます。

 但し、マジシャンの作品と蜂蜜との決定的な違いは実体がないことです。得体のしれない演技を作って、それを私が毎回演じているから、「あれは藤山の作品なんだ」。と知られます。私が演じるからこそ作品として体を成しているんで、演じなくなれば何も残りません。長い時間かけて作り上げたマジックは実は何もないものだったと言うわけです。

 「いや、何もなくはない、作品は残る、道具は残る、弟子は残る、生徒は残る」。初めはそう思っていました。然し、いったん私の手元を離れればそれらは手に入れた人のものです。形は微妙に変わり、新たな発展をして行きます。私が古典を改案して行ったように、私から習った人は新たに改案をして、違った作品になって行きます。

 つまり、教えた傍から作品は自分のものではなくなって行くのです。蜂は偉大です。スプーン一杯でも作品を残します。私はそのスプーン一杯の作品が作り出せません。そんなことを考えながら、今朝もパンに塗った蜂蜜を食べています。私の好みからするとスプーン二杯くらいは塗りたいのですが、糖尿病を思うと二杯はいけません。一杯だって本来は駄目なのですから。「そうなら、この一杯の蜂蜜を大切に頂こう」。と有難く蜂蜜を塗ったパンを心して食べています。

続く