手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

打ち水

打ち水

 

 人生なんて何が起こるかわかりません。亡くなった私の母親の誕生日が8月16日でした。16日の朝、駅前に行って買い物をし、散歩をしていて、母親の誕生日を思い出しました。普通はそんなことを思い出しません。「そうだ、花を買って供えよう」。

 珍しく殊勝なことを考えて、ささやかな花を買い、仏壇に供えて手を合わせました。すると、午後になって、Sさんから久々に電話がかかって来て、「指導に来てください。関西方面へはいつ来られますか」。「はぁ、今週の20日ですが」。「それでは21日に来て下さいますか」。「いや、行くのはいいですが、大丈夫ですか日程は」。「今から抑えます」。話はとんとん拍子にまとまりました。滅多に習う機会のない人ですので、「せっかくですから。出来れば5時間くらい習いたい」。と言うことでした。

 5時間はオーバーでも、それだけの指導内容を私自身が復習することが大変です。道具もまとめなければいけません。早速スーツケースに詰め込んでみると、バッグで二つ。久々大道具です。と言うわけで20日21日関西に指導へと向かいました。

 

 私は神様の導きなどと言うものを信じません。そもそも私は社寺にお参りするときでも、何かを願って手を合わせたことがありません。手を合わせるのはただ手を合わせるだけです。何かして貰おうとしてしているわけではありません。

 しかし、不思議です。滅多に考えもしないことを思い出し、花を供えたたすぐ後に、突然指導の話が降って湧いてきました。然し、この話につながりはありません。ここに因果関係を求めてはいけないのでしょう。いろいろ生きて来たことの中から巡り合わせが良くなっただけなのです。

 そういうわけで、21日に予定していたスケジュールをすべて飛ばして、私は関西に出かけました。(実はこれが少々大変でした)。20日は富士の指導を終え、大阪に着いたのは夜7時30分。それから食事をして、一杯だけハイボールを呑みました。

 翌日の指導の稽古やら、段取りやらをしているうちに眠くなり。12時過ぎに就寝。

21日朝はゆっくりデスクワークが出来ました。そして午前10時に難波駅へ。本当はZAZAに寄って打ち合わせをしたかったのですが、まだ劇場がオープンしていません。少し買い物をして、11時。近鉄電車に乗って、奈良へ。11時50分、奈良駅

 さて、奈良は食事に困ります。数か月前、シチューと言えないようなひどいシチューを食べた時の悪夢がよみがえりました。これはと言った店がありません。以前に近鉄駅の8階の中華レストランに入ったことを思い出しました。「百楽」広くて、眺めのいい店です。味はまぁまぁです。

 ランチ一セットで、小鉢の付いた酢豚を頼みました。とにかく中は混んでいました。それでも忌まわしきビーフシチューを思えばどれほどましか。

 食事を済ませてS宅へ。この人は大変なマニアです。私のビデオや道具はみんな持っています。残念なことに奈良ではSさんのようなマニアはいないのです。従ってネットで話し相手を探す以外話が出来ないようです。生のマジシャンに会いたい、そしてじっくり習いたい。更にマジックの話をしたい。その思いがひしひしと伝わって来ます。

 例によって、道具をたくさん並べ、順に順に疑問点を質問し、稽古して行きます。稽古はビデオによってかなり練習されていて、ある程度はこなしています。私は細かな点を指導するだけ、至って淡々と話が進んで行きます。それでも、蒸籠から連理、お椀と玉、四つ玉、プルギミックと進行して行くと、私の頭の中はフル回転です。四つ玉の手順一つでもそう簡単には出来ません。

 尤も、私自身も、古い手順などは、こうした機会がないと練習しませんから、いい機会ではあります。さてすべての指導を終えて、廊下に出ると、広いお庭の植木が奇麗に刈られています。指導の間に俄雨(にわかあめ)が降ったのでしょう、庭石や飛び石が濡れています。植木も生き生きとしています。自然の世界で雨を嫌うのは人間くらいのもので、他のすべての生き物は雨を喜びます。但し雨と言っても東北の集中豪雨のようなものはみんなが困ります。「激しかれとは祈らぬものを」。なかなか程よき雨は得難いものです。

 俄雨で、気温が下がり、いっぺんに過ごしやすくなりました。「いい眺めですね」。「えぇ、でも維持するのが大変です」、「そうでしょうね。大変贅沢な生活ですね」。

それにしても一面軽く濡れた庭は素晴らしい景色でした。ふと、「打ち水」と言う言葉を思い出しました。私が子供の頃はよく暑い日は、庭や、路地に、打ち水をしたものです。打ち水用の柄杓(ひしゃく)があって、年寄りは、日に何度か、バケツの水を柄杓でもって「サーッ、サーッ」と水を撒いていました。

 これがやってみると簡単ではありません。子供の私がやると、すぐに水たまりが出来てしまいます。乾いたところと水たまりがあってはいけないのです。路地一面に薄く水がかかるようにしなければ見た目もきれいにならず。打ち水の効果もありません。

 水を汲んだ柄杓を、横に力を入れずにスライドするようにして水を撒くと、水が広がるようです。何でも簡単なものはありません。打ち水一つでも技術があります。クーラーのない時代は、庭や路地に打ち水するだけで気温が下がり、スーッと涼しくなりました。今では見ることのない風景です。奈良のお庭を見て、子供の頃を思い出しました。

 

 帰りは近鉄電車で京都に出て、新幹線で帰りました。本当はもう一日大阪にいて、千房さんやら知り合いを訪ねて10月28日29日のマジシャンズセッションの挨拶回りをしたかったのですが、明日のことを思えばそれも出来ません。とにかく東京に戻ります。

 京都駅で、ビールに、焼鯖寿司を買い込み、一人で晩酌を楽しみました。出来ることなら福井で売っているいい鯖寿司を食べたかったのですが、それは10月30日の天一祭までお預けです。飲んだらすぐに眠くなりました。目を覚ますと新横浜駅でした。疲れが出たのでしょう。ぐっすり寝てしまいました。

続く