手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

針呑み

針呑み

 

 針を呑んで、糸を飲んで、体の中で針を糸につなげて口から出す、と言う芸は日本に古くからあります。中国にも、欧州、アメリカにも伝わっています。必ずしも日本のオリジナルとは言えないかもしれません。ただ日本の歴史も古く、日本では江戸時代にしきりに演じられていました。

 基本的には大道芸として、大道の物売りが人集めによく演じていました。針売りが人寄せに針を吞んで、糸でつなげて見せて、その後で針を売ったようでもありますし。他の物売りがこれを演じたこともあるようです。又、座敷芸として、手妻師が座敷でお客様に招かれて演じています。ものとしては持ち運びが便利で、費用的にも比較的安価で出来ますから、けっこう流行ったのでしょう。

 

 アメリカでは脱出王と呼ばれたハリー・フーディーニがこれを得意芸にしていて、彼は針呑みを1000人も入る劇場でも演じていたそうです。1000人の劇場で針が見えるのか。と疑問を覚えますが、実際には、スポットライトをきつく当てることで、口から出て来る針がキラキラ輝き、遠くの観客にも見えたのです。無論、証人の一人としてお客様を舞台に上げて、糸の片方を持ってもらって確認してもらいつつつなげて行ったわけです。

 フーディーニは若いころからサーカスなどに出演していて、テントの興行になれていましたので、こうした危険な芸能はむしろ得意芸として演じていたのでしょう。

 

 実はこのところ私のところに習いに来るマジシャンで、針呑みを覚えたいと言う人が何人か来るようになりました。私が時折座敷などで演じた際に、珍しい作品として記憶していて、習いたくて来るわけです。それにしてもなぜ今の時代に針呑みか。これはどこかで別のマジシャンが、急に演出を変えるなどして注目を浴びて、話題になっているからなのかなぁ、と考えましたが、詳しいことは分かりません。

 私はこれを17歳の時に覚えました。教えてくれたのはプロマジシャンでしたが、A先生とします。この人は天海師(石田天海)から直接習っています。但し、天海師はこの時既に老齢で、習った時には針も糸も持参して来ずに、口だけで説明して、絵まで書いてくれたそうです。但し、その内容は微細にわたり丁寧な解説だったそうです。

 私は天海師とはわずかな年代の差でマジックを習うことが出来ず、私が今覚えている天海氏の作品は、すべて天海師から習ったマジシャンから間接的に習ったものばかりです。

 当時私は何でもかでもマジックを覚えたくて、手当たり次第にいろいろな人から習っていました。針呑みもA先生が演じていたのを見て、不思議で不思議で何としても覚えたくて、何度か教えてほしいと頭を下げましたが、断られました。然し、諦めずに頭を下げているとついには教えてくれました。この時、私は人に何度も頭を下げれば教えてもらえるものだと知りました。

 その時、私は1万円の謝礼を支払いました。今から50年前のことです。恐らく50年前の勤め人の給料は2万円くらいだったのではないでしょうか。今から考えると法外な値段です。でもその時代は何かマジックを習うのに1万円を出すことは普通にしたことですので、私はそんなものかと思っていました。

 ただ、これは習ってよかったと思いました。と言うのも、天海師の教えてくれた針呑みは江戸時代から綿々と続く、日本のやり方でした。それは天海師がそう言ったと言うので、いまだにそれを信じています。アメリカ式やヨーロッパ式の針のみがどんなものなのかは知りません。大体に於いて大きな違いはないと思います。ただ、細かな工夫、針の寸法、道具の保管、扱い方まで詳細に習えたことが幸いでした。

 教えてくれたA先生はもう亡くなりました。弟子も育てなかったようです。悲しい話ですが、マジックは芸を受け継ぐ人がいなくなればどんな財産も消えて行きます。すなわち江戸時代から続いた針呑みはたまたま私が習ったことで継承がなされたことに成ります。実はマジックと言うものはそんなあやふやなつながりで続いています。昔から普通に見ていたマジックがある日、マジシャンの死と共永久に無くなって行くのです。

 

 これ以降、私は時折針呑みをしました。支払った授業料は簡単に元が取れたのです。

 針呑みのような、ともすれば事故を起こしかねないマジックは、矢張りいろいろな昔からの口伝を習った上で演じないとうまく行きません。生半可な覚え方をするのは危険です。

 但し、天海師は指導の最後に、「この芸は決して自慢して、得意芸にして頻繁に演じてはいけない」。と言ったそうです。A先生が「なぜ得意芸にしてはいけませんか」。と問うと、「それはね、見る人が見たら高物芸(たかものげい=見世物芸、奇人変人の如く、口からガソリンを呑んで火を噴く。金魚を飲んで口から出す。碁石の白黒を呑んで客の注文で白黒より分けて吐き出す。そうした危険術の類)に見えるからだ」。と言ったそうです。

 「つまりね、世間はそうした芸を卑しいものとみる人がいるんだ。無論針呑みが卑しい芸であるわけはない。それそのものは立派なマジックだが、そう見る人もいる。でも、ひとたび卑しい芸と評価が付いてしまうと人格まで疑られてしまうから、これを演じる時は、よほどお客様を選んで、自分の芸の評価を理解して下さる人で、芸能を温かく見て下さる人を選んで演じなくてはいけない」。

 これは蘊蓄(うんちく)のある言葉で、とかくマジシャンは受ければ何でもやる。不思議なら何でもやると言う人が多いのですが、どんなマジックでもTPOがあって、いつ、どこで誰に見せたら一番効果があるかをよく考えた上で演技をしなければいけない。と言うのは天海師の卓見です。

 

 と言うわけで、私も人に教える時には、「決して得意になって頻繁に演じてはいけない」。と説教を垂れて教えています。但しこの芸は受けます。強烈なインパクトがあります。口から呑んで口から出して行く芸ですので、飲み方次第できれいにも汚くも見えます。

 人によってはお客様の指を口に入れさせて、口の中に何もないことを証明したりします。一番やってはいけない芸です。針のみには口伝がたくさんあります。それが演じる際には大いに役立っています。

 私も稀にクロースアップを頼まれることがありますが、私にクロースアップの依頼をしてくる人はほぼみんな、針呑みを求めます。座敷でも同様です。お座敷芸で針のみを演じると、お客様一同がみんな魂を抜かれたように唖然としてしまいます。

 それほど受けが強烈すぎて、全てのマジックを飛び越えてしまうのです。「これはよくよくの時にしか演じてはいけない芸なんだ」。と得心します。

続く

 

明日はブログをお休みします。