手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

時代が変わること

時代が変わること

 

 今までよかった仕事が急激に売り上げを減らし、かつて勢いのあった職業が力を失い、逆に、それまで全く知られていなかったジャンルが急に脚光を浴びて、世界中で活躍するようになる。そんなことが今、あらゆる社会で頻繁に起こっています。物の価値がどんどん入れ変わっています。

 テレビ局は、このコロナ不況と、インターネットにシェアを奪われて、ダブルで力を落としています。テレビの今の現象を見ていると、かつて、実演の舞台が、映画にシェアを奪われて行った時代とよく似ています。

 

 サーストンと言えばアメリカ人で知らぬ人がないほどの有名なマジシャンで、20世紀の初頭、50人もの一座を率いて、アメリカ中のAランクの劇場に出演し続けていました。然し、彼の晩年は、映画にその地位を奪われ、長らく、一晩に一回のフルショウを演じていたスターが、晩年は一日三回ものショウを繰り返す、安価な劇場に出演しなければならなくなりました。やがて病に侵され、亡くなる間際の彼の言葉は「疲れた」。と言うものでした。

 同時期に生きた日本のマジシャン、松旭斎天勝も同様で、明治、大正、昭和初期に活躍した天勝は、常に映画の台頭に怯えて興行していました。彼女が昭和10年に引退発表をしたのも、映画によって徐々に仕事を奪われて来たことへの諦めだったのかも知れません。

 

 私が子供のころ、昭和30年代は映画の人気は大変なものでした。大田区の池上にあったごく普通の映画館でも、日曜日は満席で、朝から席取りに並ぶほどでした。ゴジラも、加山雄三若大将シリーズも、みんな駅近くの映画館で見ました。

 私の生まれは昭和29年、テレビが放送されたのは昭和27年ですから、昭和35年ころはすでにテレビは放送されていました。ところが、テレビの受像機(すなわちテレビ)のが高価すぎて、私の家も近所の家もテレビが買えなかったのです。

 それが、普及し出したのが昭和35年以降でした。すると、テレビと入れ替わるかのように、映画は観客を減らして行きました。やがて大映、日活が倒産しました。子供だった私にはそれがどれほど大きな問題だったかは知りませんでした。絶対の優位にあった映画産業が、もろくも崩れて行ったのが昭和40年代です。

 そしてテレビの時代がやって来たのですが、今やテレビはネットに王座を奪われています。私が子供の頃には、パソコンも、携帯も、コンピューターゲームもなかったのです。全くなかったわけではないのでしょうが、少なくとも、私らの生活環境の中には存在しなかったのです。

 それが今や、コンピューター産業も、製造メーカーも、ソフト関連の会社も、数え上げたらとんでもない数の人が働いています。

 私の限られた人生の中ですら、実演の芸能から、映画、テレビ、コンピューターと、首位がいくつも入れ替わっています。その都度、大きな会社が倒産したり、規模を縮小して、労働者とストライキを起こしたりして世間を騒がせました。

 この先がどうなるのかは私にはわかりません。テレビ局の一社、二社が倒産する可能性はあるかも知れません。それでもすべてのテレビ局が消え去ることはないでしょう。かつての視聴率の半分、三分の一になっても、テレビの便利さは誰もが認めていますから、この先10年、20年は残って行くでしょう。

 

 さて、そうなら、マジックはどうやって活動して行ったらいいのでしょうか。先ずマジックは、芸能としては、全く原点に位置する、実演の世界にいます。実際、マジックの面白さは実演にあります。映像でマジックを見せると言うことは、いくらでもカメラ処理をしたり、アニメーションを加えたりして、不思議を作り出すことが出来てしまいます。

 現に、今までもテレビのマジックショウの中で、カメラを切り替えたりする隙に、マジックを解決してしまった番組は何度かありました。ただそれが画像処理のまずさから往々にしてばれてしまっただけのことでした。それでも、今の時代なら、フイルムに着色をしたり、別の絵柄をはめ込むなどして、視聴者に分からないように加工することは十分可能です。

 そうしたときに、このマジックは決して画像処理をしていない、などと、主張することに何か意味があるでしょうか。元々、人のわからない方法や、小道具を駆使することで不思議を作り出していたマジシャンが、それがフィルムに着色するだの、フイルムに線を書き足すのはルール違反だと言い張れるのかどうか。

 いかな方法を駆使してでも、タネが分からなければ、それは新たなタネと言えませんか。そんなやり方はインチキだと言う人があるなら、「あなたのしていることがインチキでない証拠を見せてほしい」と突っ込まれたら、どう答えるのでしょうか。

 つい一昔前までは、糸でタネを引っ張り取っていたマジシャンが、コンピューター処理をした画像を指して「それはマジックではない、ルールに外れている」。と言えるのかどうか。糸でタネを引っ張る作業をしているマジシャンが、自分こそが本家本元だと居直ったとしても、それは過去の栄光にすがっているだけではないでしょうか。

 

 この問題の解決はどうすべきか、実は、マジックの画像処理の解決は、マジシャンがするのではなく、お客様がどんなマジックを見たいのかにかかっているのだと思います。お客様が、コンピューター処理をした画像を見て、そこにマジックを感じたなら、それは新たなるマジックなのだと思います。不思議を作り出すためにどうしても糸で小道具を引っ張らなければならない、或いは、カードをトップに持ってくるために、薬指に不自然な動作を加えなければならない、と言うものではないはずなのです。

 時代が変われば演じ方も変わり、解決の仕方も変わるのです。

 と、もっともなことを述べて来ましたが、本当にそうなのか、明日は逆の立場から世の中の進歩とマジックを見て行きます。

続く

 

 アゴラカフェ

 8月7日、12時から。日本橋マンダリンホテル、二階、アゴラカフェにて、マジックと手妻のショウを開催します。出演は、藤山新太郎、藤山大成(前田将太)、穂積みゆき、小林拓馬、せとな、入場料5000円。食事飲みもの付き。事前にご予約ください。6262-6331.当日、前田将太の改名披露も致します。