手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

インプラントの

インプラント

 

 最近テレビコマーシャルで、リズミカルな音楽で「インプラントのきぬた歯科」と言う宣伝が流れて来ます。ここのオーナーの歯科医師は宣伝活動に熱心で、中央高速道路の立て看板もたくさん建っています。

 ところが不思議なことに、これほどたくさん宣伝するからは、日本各地にきぬた歯科の系列病院があるのかと思うと、八王子に一軒あるだけなのです。これは驚きです、たった一軒の歯科医院のために、連日テレビでコマーシャル宣伝をして、高速道路沿いに立て看板を立てて、果たしてそれで経費が見合うものなのか。

 テレビ宣伝と言うのは、対象とするマスが、けた違いで、例えば、自動車会社とか、ビール会社とか、何百万人何千万人を対象にコマーシャルをかける会社が、テレビ宣伝をするならわかるのですが、たった一軒の病院がすることだろうか。と、訝しく思いました。仮に、テレビ宣伝が好評で一度に百万人のインプラントの申し込みが来たならどうするのか。私などは、この攻め方は間違っていないかと勘繰ってしまいます。

 無論、宣伝をかける方は、そうしたリスクを計算した上でしていることでしょうから、狙い通り、適度に患者さんが来て、うまく行っているのだと思います。

 

 インプラントとはご存知とは思いますが、通常の入れ歯とは違い、入れ歯そのものを、歯茎ではなく、あごの骨に穴をあけ、入れ歯と顎をボルトで固定して、一体化させてしまう方法で、これだと歯ががっちり固定されるために、何を食べても通常の歯と同じに噛めますし、噛んだ触感も、本物の歯とほぼ同じに味わえます。それまでの入れ歯とは根本的に違う手法の治療なのです。

 但し、外科手術であるために、これまでの歯科医のやり方とは根本が違います。大きな手術のために費用がかかります。手術の方法で躊躇する人もあって、大きく発展してこなかったようです。それがきぬた歯科の積極的な宣伝のお陰で、インプラントが日常に聞かれるようになり、手術を受ける人も増えたのでしょう。そうした点では大きな効果を上げたと思います。

 

 それにしてもたった一軒の歯科医院が宣伝をして、広告料が支払えると言うのは、どうしたことでしょう。案外今のテレビ宣伝の料金は安いのではないかと邪推してしまいます。

 テレビという媒体が、ネットに勢力を奪われて、大きく視聴率を落としているとはよく聞く話です。逆に価格が下がったことをメリットとして、今まで宣伝できなかったような小さな企業がテレビに進出してくることは当然の流れです。

 つまり、テレビの影響力が下がったことで、町の歯科医院や、レストラン、スイーツショップなど、より細やかな企業が、テレビに進出してくるようになるのでしょう。テレビにとってはあまりよい流れではないのかも知れませんが、大きく宣伝をかけて見たかった小企業ににとってはチャンスが生まれたことになります。

 これまでも、高須クリニックであるとか、湘南美容外科であるとか、幾つかのチェーン店を持つ病院がもう何十年にもわたって、テレビ宣伝をしてきたことはありました。それでも、何十件ものチェーン店を持つ整形病院がコマーシャルを打つなら、何とか広告料を支払っても見合うと素人でも納得します。それが最近になって、小さな企業で宣伝できる状況になって来たと言うのは、チャンスの幅が広がって来たと言うことでしょう。

 

 そうであるなら、例えば、私が藤山マジックスクールなどと言うものを建てて、それをテレビ宣伝をかけることもそう難しいことではないのかも知れません。

 いや、それどころか、マジシャンがマジシャン自身を宣伝して、仕事を取るために自己PRのためのテレビコマーシャルを出すのもいいのかも知れません。要はショウのギャラとテレビ宣伝料金との釣り合いが取れるなら、マジシャンのコマーシャルもOKなわけです。

 とはいえ、コマーシャル費用と、マジシャンのギャランティではかなり開きがあります。やはりここは、もっと多くの人の興味を集めるような事業でないと、収益は難しいと思います。

 

 マジックスクールを開催するとしても、マジシャンを育てる。と言うのでは、余りに興味の対象は少ないでしょう。 プロのマジシャンを育てることは無論大切ですが、マジシャンになりたいと言う人は恐らくある一定の数、(50人とか100人)の希望者しか集まらないだろうと思います。

 ましてや、私のやっている日本の古典奇術、手妻の維持継承などと言うことことになると、それ以上にコアな世界になってしまいます。

 マジックスクールとは言っても、マジシャンを要請するだけでなく、むしろ登校拒否児童などを集めて、社会とのつながりをマジックを通して少しずつ馴染ませてゆくことを教えるとか。

 初対面の人との付き合いをどうしたら円滑に行えるか、或いは言葉の繋がらない人とコミュニケーションをとるための方法としてのマジックなどと言う考え方から指導をして行けば、マジックの活用の幅が広がるのではないかと思います。相手の立場に立って人を見る姿勢を教えて行くなどと言う授業は価値があると思います。

 

 常々思っていたことですが、マジックを、芸能芸術として捉えずに、その現象面のみにスポットを当てて見たなら、かなり明確な現象を比較的簡単に表現することができます。これは例えば、音楽や演劇を習得して、観客に見せようとすると、いきなり技術的な問題に直面してしまこととは対照的です。また、音楽の技術を習得したとしても観客に喜んでもらえるようなものには簡単にはなりにくいのです。

 つまり一般の芸能芸術は完成を見せるにはハードルが高いのです。比較的簡単な練習で、人に見せられると言うのは、授業には持ってこいの素材です。但しそれだからマジックのレベルが低いわけではありません。マジックを芸能から切り離して現象のみを見た時の考え方です。

 でも、心を開くとか、コミュニケーションを指導するための材料としては、マジックは達成感を作りやすい芸能です。ここを広めて行ったなら、マジックの新たなる発展は充分あると思います。そうなら、一つ、マジックスクールを始めるのも面白いかも知れません。インプラントのきぬた歯科を見て、一瞬、行動を起こすべきかと、誘惑がよぎりました。

続く