手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日本のマジシャンはだめか 1

日本のマジシャンはだめか 1

 

 コマーシャルパンフレット

 一昨日(4月3日)あきっとさんから、コマーシャルパンフレットが届きました。自分の演技を一冊の冊子にまとめて、オールカラーで紹介しています。手間と費用を考えるとなかなかの労作です。でも、自分の今までしてきたことを客観的に見て、それを多くのお客様に伝えることは大切なことです。

 コロナ禍にあって、何かをしなければいけないという気持ちがよく伝わってきます。こうした努力は、きっとこの先大きな成果を上げるでしょう。また彼と一緒に舞台をしたいと思いました。

 

 今の若いものは・・・

 私のところに一か月に一遍くらい電話をしてくるオールドマジシャンがいます。それも一人ではなく、複数でいます。もうマジックを30年も40年も続けてきたベテランの人たちです。そうした人が共通して語ることは、

 「テレビのマジック番組がつまらなくなった」。「今の日本のマジシャンは誰を見ても素人に見える」。「同じようなことばかり繰り返している」。

 と、こんな話を電話で延々話してきます。どんなマジシャンがいて、何を演じようと勝手ですし、それを見ているマジシャンがどう思って見るかもまた勝手です。ただ、それをなぜ私に電話をしてくるのかがわかりません。

 私はそうした電話に付き合うようにしています。昔から縁ある仲間ですし、私と話がしたいのでしょうから無碍(むげ)にもできません。彼らは30分でも40分でも話をします。彼らは私と話をしていることが快感なようです。話す相手がいないのでしょう。

 分かります。分かります。年を取ると話し相手が少なくなるのです。ましてや、「今の若いものは・・・」などという話は、若いものは絶対に聞きません。聞いてくれないから、私のような同年齢のものを探して話をするのでしょう。でも私に話をして何の意味があるのでしょうか。確実に言えることは、彼らは年を取ったということです。

 

 私が10代20代の頃も年を取ったマジシャンが、「今どきの若いマジシャンは・・・」と言いながらしきりに若手の駄目を話していました。いつの時代でも人は年を取ると、若いもののすることが何もかも駄目に見えるようです。そんな時私は、「あぁ、自分は年を取っても絶対、今の若いものは・・・と言うセリフを言わないようにしよう」。と心に誓いました。

 人の上に立って物を教えるような年齢に達した人が気を付けなければいけないことは、人を十把一絡げに見ないことです。つまり、今の若いものは、とか、日本のマジシャンは、などと大雑把な見方をしても何も解決しません。もし、人に何かを伝えたい。教えたいと考えるなら、個々にはっきりと伝えることです。とかくの話をしても何もなりません。

 

 私自身が、テレビを見たり、ひとの舞台を見たりして、マジックに接した時にも、決してすべてのマジシャンをいいとは思いません。むしろ良くないマジシャンのほうが多いと思います。

 それはある意味当然なことなのです。私はプロマジシャンなのです。私自身がプロマジシャンとして存在していると言うことは、ほかのマジシャンに対して違う考えを持っているから私が存在しているのです。

 当然、誰を見ても納得できないのです。ついつい「あれは違う、このやり方は間違っている」そう思って見てしまいます。だからと言って、すべて自分以外のマジシャンは駄目なのかと言うとそうではありません。

 否定からものを見ていては何も前に進みません。マジシャンがどんな演技をしようとも、マジシャンがどういう経路でこうした演技に至ったかを考えて、見なければならないのです。それが大人の見方なのです。

 そしてうまい演技であっても、うまくなくても、軽率にそのマジシャンを語ってはいけないのです。へたにはへたな理由があるのです。何かを言ってすぐに直るものではないのです。

 無論意見を求められたなら、少し語るのはいいでしょうが、それでも細心の注意で語るべきです。ほとんどの場合相手は無理解です。たった一つのことでも頑迷にわかろうとはしない人たちです。なぜそれがわかるかと言うなら、私がそうだったからです。求められてもいないものを親切心で語ることは親切にはなりません。あなたが預言者で、将来の見える人で、若い人に、「これをすると必ず失敗する」。と教えても、若い人は頑なに今の間違った道を変えないでしょう。若い人と同じ土俵に立って何かを言うことは間違いです。

 

 若いマジシャンがテレビに出ていたとして、それを「面白くない」、とか「あいつは素人だ」、と言っても意味はないのです。彼らは始めから面白くないし、素人なのです。そのことをいくら言っても無意味です。

 然し、よく考えなければいけません。もしそのマジシャンが本当に面白くなく、素人だとして、そうならなぜテレビ局は彼らを使うのでしょうか。なぜ老齢で演技のこなれたオールドマジシャンを使わないのでしょうか。

 本当は、我々より、彼らのほうがうまいし、いいセンスをしているのではありませんか。我々がテレビに出演しても彼らほどには視聴率が取れないのではありませんか。そうなら、彼らを否定するのではなく、彼らのどこに人の気持ちを掴む要素があるのかを学ばせてもらったほうが、我々にとってはメリットになるのではありませんか。

 

 オールドマジシャンが長々電話をしてくるのは、若手の否定ではなく、本心は、「なんで世間は自分を使おうとしないのか」。を訴えているように聞こえます。「自分を使え」。と言う心が本心なら、彼らは決して若いマジシャンを認めることはあり得ないでしょう。認めたなら自分がなくなってしまうと思っているからです。

 でもそうでしょうか。人を認めて自分が損をすることなどありえないでしょう。我を張って、高所からものを言ったり、何かにつけて相手を否定するようなことを言う年寄りは一番嫌われます。

 オールドマジシャンはどう生きたらいいのでしょうか。その答えは、昨日まで私が語っていた、深井志道軒が答えを出しています。いくつになっても悟ることが出来ず。男根の形をした擂粉木(すりこぎ)を持って、女との四十八手を舞台の上で実演して見せるような、どうしようもない芸をする80過ぎの年寄りのほうが貴重なのです。何かを悟ることが偉いのではなく、悟れない自分のありのままを見せることの方が偉いのです。

ばかばかしく生きることは素晴らしいことです。

続く