手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ 4

初音ミケ 4

 

 このところ初音ミケが見当たりません。私が関西の指導などで留守をしている日もあったので留守中に尋ねて来たのかも知れませんが、少なくともこの7日間見ていません。以前ちょろちょろ顔を出していた、ロスケもロイクーも、初音ミケがいないとなると、まったく顔を見せなくなりました。

 初音ミケの留守を、オヤミケが守っています。毎日屋根の上で日向ぼっこをしています。オヤミケはどうやらこの場所を自分の住処(すみか)と決めたようです。オヤミケの一日のスケジュールは単純なもので、午前中いっぱいは裏のアパートの屋根の上で昼寝をしています。昼過ぎてから、町内をパトロールします。夕方以降は、裏のアパートの住人が用意してくれた、小さな段ボール箱の中で寝ています。

 パトロールはどこまで行くのかはわかりませんが、私の家の前には必ず来て、ドアの換気窓が開いているときには必ず中を覗きます。

 その時、オヤミケは義理堅く、「にゃー」、と鳴いて挨拶をします。「何だ、ミケか」、毛はだいぶ抜けています。色艶もあまりよくはありません。「餌は毎日食べているの?」。「はい、それは大丈夫です。良くしてもらっています。ただ年を取ると、動き回ることも億劫で」。「そうみたいだねぇ、いつも屋根の上にいて、じっとしているものね。ところで娘の初音ミケは最近見ないけどどうしたの」。オヤミケは何も言いません。「最近は、初音ミケを追いかけてきたロイクーも、ロスケも全く見なくなったね」。

 「ロイクーは東公園の近くの野良猫です。あたしの遠い親戚です。まだ二歳ですょ。最近色気づいて、娘のミケに寄ってきています。あたしはあいつは調子ばかりよくて嫌いです。ロスケは中野の住宅街の相当いい家で飼われています。あの家は放し飼いはしませんし、ここまでは遠いから滅多には来れません。この間は逃亡してきたのでしょう。ロスケの住処は私が世話になっていたお婆さんの家の近所です」。「へぇ、お前は中野で暮らしていたのかぁ」。

 「えぇ、親切なお婆さんがいたんですよ。別に飼われていたわけではなかったんですけどね、毎日餌をもらって、時々あったかいお湯で行水もしてもらいました。濡れた体を温めるために、こたつの中にも入れてくれました」。「いい身分だね」。オヤミケは少し上を向いて、「えぇ、お婆さんはとてもいい人でした。大きな家に一人で住んでいましたが、先月亡くなりました」。「そうだったのかぁ。お婆さんが死んだらお前も生きて行くのに困るね」。オヤミケは下を向いて、「えぇ、お婆さんもそう言っていました。『あたしがいなくなったらどうやって生きて行く?』って聞かれましたよ。でもねぇ、そう言われても猫が、『はい、それじゃぁこの先は技術を身に付けて生きて行きます』なんて言えませよねぇ。猫ですから、あたしは裏のアパートに暮らしている美佐子姉さんのところに戻ったんです。元々あたしはこの美佐子姉さんのところで生まれ育ったんですから」。

 オヤミケは饒舌になり話が止まらない。「美佐子姉さんは、昔、山形から出て来て、ずっと今も事務をしています。毎朝、煮干しや、キャットフードを濡れ縁にある皿の上に置いといてくれます。そして美佐子姐さんは会社に行き、夜遅く帰って来ます。姉さんの帰宅時間さえ間違えずに毎晩、顔を出していれば、姉さんは毎日餌を用意してくれますし、ブラッシングもしてくれます。ただねぇ、ここは数年前に娘に譲った住処です。一度譲ったところに戻って来たため、結局、娘のミケを追い出すことになりました。ミケは仕方なく高円寺の北口の住宅街の方で住処を探しています」。

 「猫の生活も大変なんだねぇ。そうだったのかぁ、で、住処は見つかったの?」。「それが難しいんですよ。せっかく親切な人が見つかって、餌にありつけたと思ったら、近所の人が通報して、捕獲員を呼ばれて、すんでのところで捕まる所だったんですよ。ミケはうまく逃げおおせたんですが、もう近所には戻れません。仕方なくもう少し奥の方の家を探しています」。

 「そうか、それで最近見なかったんだなぁ」。オヤミケは一通り喋ると。軽く会釈をして、やおらパトロールに向かいました。その翌日、今度は初音ミケがやって来ました。

 「昨日、お前の母親とお前の話をしていたんだよ。なかなか住処が見つからないようだね」。「上手く行かないことばかり。困ったわ。ねぇ、あたしをこの家で飼ってくれない」。「そんなの無理に決まってるだろう。お前たち親子が二階の玄関でおしっこをするものだから、すっかり女房が怒ってしまって、猫は目の敵だぞ」。「だからさぁ、飼ってくれなくてもいいから、段ボール箱の寝床と、毎日の餌だけはちょうだいよ」。

 「何調子のいいことを言っているんだ、それが無理なんだよ。お前たちは嫌われているんだぞ。飼ってもらえるわけはないだろう」。「そうなんだ。上手く行かないな」。と、ミケは不満そうに去っていきました。そのあと、裏のアパートの屋根に上がって、親子で日向ぼっこを始めました。そこへ、細身の黒猫が表を素早く通り過ぎました。「あ、ロイクーだ」。ずっと初音ミケをつけ狙っていたようです。

 

 一階のアトリエの奥に小さな書斎があります。そこの窓から裏のアパートの様子がよく見えます。天気のいい日は、私は窓を少し開けて、風を入れながら、書き物をします。昨日の朝、屋根の上にはミケ親子が転がっていました。「このまま親子で暮らすのかな」。と思っていると、今朝はオヤミケがいなくなりました。

 この日は朝から初音ミケだけが屋根の上にいます。午後になって、ロイクーがやって来ました。素早い動きです。ロイクーはアパートの下、私の書斎の前に座っています。そこから奇妙な声でミケに愛を語ります。甘い声で、語尾を伸ばしてラブソングを歌います。

 ミケは全く相手にしません。ロイクーは諦めず、裏の塀を登り、塀からアパートの庇に上がり、庇から屋根に上がって来ます。そして注意深くミケに近づいてます。するとミケは背中の毛を総立ちにしてロイクーに敵意を見せます。ロイクーは若いためか少しひるみます。それでも少しづつ進んできます。甘いラブソングは続きます。

 「あぁ、これが盛りと言うやつか」、猫の盛りをまじまじと見ることになりました。でも、ミケはロイクーが嫌いなようです。どうなるのかと注視していたら、いきなりオヤミケが飛び出してきて、ロイクーに飛び掛かり、猫パンチを数発食らわせました。ロイクーがびっくりして、屋根から落ち、私の書斎の壁にぶつかって地面に激突しました。ものすごい音でした。

 ロイクーは素早く逃げてどこかに行ってしまいました。屋根の上では何事もなかったかのように親子が寝そべっています。私が一部始終を見ていたことを、オヤミケが気付くと、オヤミケは恥ずかしそうな顔をして「ニャー」と言いました。

続く