手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

初音ミケ Ⅱ 6

初音ミケⅡ 6

 

 「ミケは来ますかねぇ」。時間は10時40分。ラーメン屋さんのお兄さんは私の家の前に来て座っていました。「多分来ると思うよ。ミケは時間に正確だし、幸い今日は晴れているから、きっと来るよ。但しねぇ、私と君がここにいたら、ミケは遠慮して近付いて来ないかも知れないよ。11時になったらきっと来るから、その頃を見計らって、そっとドアを開けて外に出て見たらいいよ。静かにしていないとミケは嫌がって帰っちゃうから気を付けてね」。

 私は一階のアトリエの風邪取り窓を開けて、暖房の用意をしました。11時5分。やって来ました。いつもの通り、道の真ん中を歩いて、ドアの前にぴたりと座って、小声でにゃあと鳴きました。「あぁ、ミケか、来たね」。私は椅子をドアの入り口近くに持って行って座りました。

 「最近は寒くてあまり出歩けないの。今年は地面が思いっきり冷えていて、素足だと寒いわ。陽だまりばかりを縒って歩くんだけど、そうもいかないところも多くてね、ここに来るのも苦労したわ」。と言いつつ早速手足を舐め始めます。

「ねぇ、お前は以前に私とお前が通じ合えるのは、猫シンパシィがあるからだと言ったよね。その猫シンパシィが何なのかを教えておくれよ」。「それはね。あたしも何かはよくわからないんだけど、テレパシーとか、読心術とかとは違うものだと思うわ。現象だけで理解し合えるものとは違うんだと思うの。もっともっと相手を理解し合って、相手を愛した上でなければ理解し合えない世界だと思うわ」。

 「それはそうかも知れないけども、私とすれば、お前のオヤミケや、お前をそこまで愛して、心の底から理解しているとは思えないんだ。これと言って深い愛情もないし。私程度の猫に接している人は、世の中に何百万人もいるだろう。そうした人たちと私はどう違うんだろう」。

 そんな話をしていると、向かいのラーメン屋さんの裏口が開き、お兄さんが出て来ます。ミケは気付いて後ろを見ますが、別段逃げる風もありません。お兄さんはブロックに腰を下ろして、我々の会話を離れてじっと見ています。無論、会話は聞こえません。私とミケは全く無言です。

 「先生は上手いこと人畜無害な立場に入り込んだのよ。敵でもなければ見方でもない。いてもいなくてもどうでもいい立場に立ったのよ」。「何だ、私はいてもいなくてもどうでもいい人間なのか」。「それは猫の社会での話よ。先生は無害だから、あたしらは無理に気を遣う必要がないのよ」。「なるほど、でもそんな人は世の中に山ほどいるだろう」。「それはそう。その上で、先生は自然自然にあたしらとコンタクトを取り工夫を始めたのよ。初めのうちはあたしも先生が何を言っているのか全くわからなかったわ。それでオヤミケに聞いたのよ。『先生と毎日何をやっているの』ってね。そうしたら、オヤミケが言うのは、『お話をしているのよ。でも声には出さないでお話をしているの。それは、無理に分かろうとしないで、黙って静かにしていなさい。きっと聞こえて来るから』って言うの。そうしたら聞こえてきたのよ」。

 「それは私の経験と同じだ。私もお前のオヤミケとある日突然言葉がつながったんだ。それはちょうど、ラジオのチューニングで、突如として海外の電波な繋がったのと同じような体験だったよ。子供のころ、全く予期しないときに予期しない国の放送がつながってびっくりした経験があったけど、それと同じことなのだろう。以来オヤミケとは心の奥で話が出来るようになったんだ、それからミケとも話が出来るようになった。でもねぇ、話が出来たのはオヤミケとミケだけなんだ。他の犬猫とは全く話が出来ないんだよ。どうしてだろう」。

 「ウフフ、どうしてだかわからないの?」ミケは背中の毛繕いを始めました。お兄さんはじっとその様子を見つめています。私が思うに、あの人は上手くすれば、ミケとの交信が出来るようになるかもしれません。私よりも動物との接点を作るのがうまいかもしれません。ミケに対して相当に積極的に眺めています。

 「それはねぇ、あたしも長いこと分からなかったんだけども、私とオヤミケはほかの猫よりも知能が高いのよ。多くの猫は、あれ食べたいと思うと食べることばかりに気持ちが集中して、ほとんど本能で行動しているわ。食べたい、寝たい、愛し合いたい、それだけで生きていては人との交信は出来ないのよ。人はもう少し知能が高いのよ。少しでも人との知能に合わせないと人との交信は出来ないと思うの。あたしとオヤミケは猫の世界のリーダとして生まれて来たの。そう言う猫は1万匹に一匹だと思うわ。リーダー猫なのよ。そう言う猫でないと猫シンパシィは出来ないと思うわ」。

 意外な話でした。今その目の前にいる猫が、1万匹に一匹のリーダー猫だったとは。猫シンパシィが出来たのは、私に才能があるかどうかではなく、猫が優れているかどうかによって話が出来ていたようです。

 「つまり、君が優れた猫だから交信が出来たのか」。「まあね、でもそれだけではないの、先生の技能も必要なのよ」。「へぇ、それはどんな技能?」「それを聴きたい?」。と言った時に、ラーメン屋のお兄さんが立ち上がって店に入って行きました。それを気にしたミケが、「あぁ、あたしもう少しパトロールしてくる。それじゃ又」。と言ってそそくさと去って行きました。大切な話を聞きそびれて、又もチャンスを逃してしまいました。

続く