手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

木造天守閣

木造天守

 

 日本中の都市には城郭があって、それぞれ多くの観光客を集めています。その城の多くは太平洋戦争の際の空襲で失い、その後、昭和の30年代くらいから再建するようになり、その際、燃えやすい木造から鉄筋コンクリート製にするようになりました。

 奇蹟的に木造建築のまま残った城は日本中でも20棟ほどもなく、姫路城や、松本城など、極めて希少です。

 姫路城などは外観はとても美しいのですが、内部は、柱と漆喰壁だけで構成されていて、まるで建築中の建物を見るような感じで、豪華絢爛なつくりと言うわけではありません。

 実際に天守閣は、城主の住む館ではなく、日頃は武器の倉庫に使っていたり、時折物見をするために上る程度で、およそ生活するための建物ではなかったようです。

 その構造は、窓があまり広く取れないため、室内は暗く、床は板の間で出来ています。最上階のみ、畳を敷いてあるところもあり、窓も広く作られていて、ここだけは快適です。恐らくここで稀に酒宴などもあったものと思われます。それでも、料理を運ぶためには、細い階段を利用しなければならず、相当に不便です。

 古い日本家屋の階段は、どんな大きな家でも、階段幅が狭く、しかも急です。階段と言うよりも梯子段に近く、傾斜がきつく出来ています。裾の長い着物を着ていた時代にこうした階段は使いにくかったろうと思われますが、結局、江戸時代は勿論、明治時代までも広い緩やかな階段は作られなかったようです。その影響かどうかは知りませんが、今でも一般家庭の階段は狭い家が多いように思います。

 

 さて私の子供の頃にあちこちの都市で城郭が作り直されて、その都度観光地となって人を集めました。私も仕事で地方都市に出かけると城郭を見に行きます。

 ところが、どうも、鉄筋コンクリートの城郭は、外観は昔ながらに復元されているのでしょうが、内部が、全く小中学校や、市役所のような作りそのままで、鉄のドアとか、内部の部屋を仕切るサッシの枠とか、蛍光灯とか、階段の手すりなどが、全く小学校を作っている業者にそのまま発注したかのように、全く同じ素材で同じつくりをしています。

 エレベータが付いていて、トイレも各階に備えてあって、階段幅も広くなっていて、それは江戸時代を思えば便利にはなっていますが外観の豪壮な建築物を見て、ある種の夢を抱いて中に入ると、全く市役所や小学校そのものの内部に期待が外れてがっかりします。しかも内部はほとんど博物館になっていて、刀や鎧がガラスケースに収まって展示してあります。

 内部を博物館にすることは悪いことではないのですが、そこには生活感が感じられません。昔の人がどう生活していたのか、このお城をどう使っていたのか、刀や鉄砲はどう保管していたのか。昔のままの生活様式が一向に見えません。

 博物館ならちゃんと博物館を作ればよく、城は城として作らなければ城の価値はないはずです。城と博物館を兼ねると言うは中途半端です。もしわれわれがヨーロッパに出かけて、城を見に行った際に、コンクリートで出来ていて、中は全く外観と違う作りになっていて、オフィスビルのようにできていて、ガラスケースの中に鎧や兜が飾ってあったなら、随分失望することでしょう。少なくとも観光地の建物としては失格です。

 観光と言うものは、そこに出かけなければ見ることのできないものがあるから観光なのです。日本中同じような小学校や役所のような作りの天守閣を作ったとしても価値はないのです。

 

 ところが、時代が平成になってくると、旧来の建築様式が見直され、昔のままに復元しようと言う機運が出て来ます。私の知る限りでは、掛川城がそうです。江戸時代の図面を基に、昔ながらの建築方法で木造の天守閣が出来ています。

 また、天守閣だけでなく、御殿まで本来の姿で建築をするところが出来ています。熊本城や、名古屋城がそれで、古い図面を基に、戦前まで残っていた御殿を復活しています。

 それは誠に喜ばしいことではありますが、ところでそんな風に木造建築を作って、火災の際には大丈夫なのでしょうか。当然スプリンクラーとか、外部から噴水などを設置して、見えないようにフォローしているのでしょう。

 名古屋城などは、昭和に作ったコンクリート天守閣を壊して、木造に造り替えると言う計画があります。これは、鉄筋コンクリートと言うものが、未来永劫頑丈で、壊れることなく使えるものではなく、内部の鉄骨が錆びたり、コンクリートがひび割れしたりして、崩れたりするため、コンクリート建築に疑問が出てきたようなのです。

 むしろ江戸時代の建築様式が見直され、火災さえ気を付ければ、木造の方が長い年月壊れずに使えると言うことに気付いたようなのです。確かに、神社仏閣など、平安時代奈良時代に作った寺が今も残っています。細かにメンテナンスさえしていれば、木造の建造物でも1000年使えるわけです。

 最近、昭和に作ったコンクリートの小学校などを、建て替える所が頻繁に起こっています。それは耐震基準に満たないためとか、鉄骨が腐食しているためなどと言って建て替えています。コンクリートなら絶対丈夫だ、と思っていたことが、何とも50年ほどで壊れてしまうと言うのが勿体なく思います。

 そうであるなら、私たちの子供の頃は、どこの学校も木造校舎だったものを、わざわざコンクリートに変える必要はなかったのです。木造は木造のままでよかったのです。世の中は巡り巡って元に戻っているように思います。

 税金で建てた公共物をわずか50年で壊してしまうのは勿体ない話です。ヨーロッパなどは駅舎でも市役所でも200年も300年も使っていますが、あれはいったいどうやって持たせているのでしょうか。日本もヨーロッパを見習って長く使えるような建造物は出来ないのでしょうか。

 天守閣や御殿が旧来の方式で建築するようになったことはいいことだと思います。但し、それを作れる職人を大切にしないと、この先どんどん技術者がいなくなってしまいます。ヨーロッパの大きな教会は、必ず石工を何人か抱え、その人たちが生活に困らないように、細かなメンテナンスを欠かさずしています。そうした活動が今後日本にも必要なのでしょう。

続く