手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ギャラは言えない 1

ギャラは言えない 1

 

 私は毎年、幾つかのショウを企画しています。その都度、なるべく若い人に出てもらいたいと思い、あちこちのマジシャンに声をかけて出演依頼をします。

 その際に、若いマジシャンの中には、初めてコンタクトをとる人もいます。私は相手のことをあまりよく知りません。

 漠然とネットの映像とか、断片的なテレビ出演したときの映像を見て、連絡する場合もあれば、ただ人の噂だけで実際の演技を見ないで連絡をする場合もあります。

 状況はいろいろですが、確実なことは、私に、何らかのインスピレーションが働いて、そのマジシャンに興味を持ち、咄嗟に「使えるかも知れない」。と思い、連絡を取ったのです。

 これはとても重要なことです。人が興味を持つと言うのは、論理からではなく、ほとんど単なる思い付きからです。それだけに、興味は長時間持続しません。興味はほんの一瞬に生まれ、同時に一瞬で離れてしまいます。

 然しながら、その一瞬によって、30年50年とお付き合いする関係が生まれることも事実なのです。人の興味をつないで成功につなげられる人は、人の興味を思いつきに終わらせずに、しっかり生かすことが出来る人なのです。

 

 例えて言うなら、私が果物屋さんの前に立ち、あれこれ物色をしているうちに、ふと、一つのリンゴに目が行って、「あぁ。このリンゴは色がいい、形も立派だ、食べたらおいしいかな」。と思って手に取ったのと同じことです。すなわちここまでが先ず興味の始まりです。

 但し、問題はここからです。私が、店の親父さんに値段を尋ねると、「600円です」。と言われます。私の財布には1000円しかありません。晩飯のデザートにリンゴを買おうと考えていたのですが、ここで600円支払ってしまうと、残り400円で晩飯の材料を揃えなければなりません。メインの食事よりもデザートの金額の方が上回ってしまいます。これは甚だバランスの悪い結果になります。

 そこで、私はデザートを諦めます。一度手にしたリンゴを元に戻し、3本房でつながっている100円のバナナを買います。単に甘味が欲しいだけなら、これで十分間に合うわけです。

 

 ここで私が何を言いたいかお判りでしょうか。ものの値段は売り手の意向だけでは決まらないのです。生産した側にすれば、ここまで育てた手間と時間を考えたなら、当然600円取ってもいいと考えるでしょう。うまさと言い、栄養価と言い、申し分のないリンゴだと胸を張って言うでしょう。

 ところが、買い手の私は、全くそれとは違った価値観で買い物を考えているのです。ここで言う重要なポイントは2つ、リンゴは主食ではないと言うことです。仮に、主食になるなら、800円出しても買おうと考えるかも知れません。然し、リンゴはあくまでも脇役なのです。

 そして、私の晩の食費は1000円であると言うことです。その1000円の中で、リンゴがいかにバランスよく収まるか、という点が、リンゴの売れ行きを決めるのです。

 生産者は、リンゴが甘い、旨い、だから高いと言います。でもリンゴが甘いか、旨いかはその先、実際に食べた後のリピートにかかわることであって、初めの決断には何ら影響を及ぼさないのです。このことを忘れないでください。

 こんな話をしていると私が何を言いたいのか感のいい人は薄々感付いて来ると思います。

 

 ある10代のマジシャンに、ショウの出演依頼の話をすると、相手は、「ギャラはいくらですか」。といきなり聞いてきました。そう聞かれても全体のバランスから算出する話ですから、いきなりいくらとは言えないのです。すると、「僕は10万円以下では出ません」。と言います。

 強気です。でも、そんな若手マジシャンが結構いるのです。世間を知らずに自分の価値観でしかものを見ていないのです。こうした人は自称プロだと言っても、実際の舞台活動をしていない人がほとんどです。

 自分は10万円の価値があると信じている。だから10万円だ。と主張します。彼らは価格が相対的な状況から算出されることを知らないのです。

 

 そこで私は話をします。「先ずあなたは今回の催しに出演したいですか」。出演したいと言えば、話はつながります。出演したくないと言えば私との縁は終わります。ここでは出演したいと言ったとします。

 「今回のショウをする劇場のキャパは200人です。お客様からは一人4000円の入場料を頂きます。すると満席で80万円の収入です。これを70%の入場者数で考えると、56万円です。

 つまり、われわれの収入は56万円と言うことです。そこに会場費、音響照明費、設備費がかかります。それを30万円とします。宣伝費発送費として10万円かかったとします。他に、飲み物代、昼食代などの費用が2万円かかったとします。健全にショウが運営されたとして、42万円が経費で消えてしまいます。

 残りは14万円です。さぁ、そこからギャラを出して行かなければなりません。出演者は8本です。均等に割っても一人2万円になりません。そこに看板スターが出ます。看板と言っても法外なギャラは支払えません。せいぜい5万円です。いいですか、看板でも5万円ですよ。

 私も出演します。私はいくら取ればいいですか、例えば3万円としましょう。スターと私で8万円です。あと残りの6万円を6人の若手が分け合うことになります。

 そこであなたに質問です。あなたは看板スターですか?。あなたは私のポジションに立てますか?。あなたは、若手の順位の中で何番目に位置しますか。そうならあなたのギャラはいくらが適正ですか。

 いいですか。ものの値段は周囲の価格が決めます。あなたが幾ら10万円必要だと言っても、周囲がそれを認めなければ永久に出演依頼は来ませんよ、無論あなたに実力があって、あなたが出演するなら、それだけで100人余計にお客様が来るなら、あなたの言う値段を出してもいいでしょう。本当に100人呼べますか。仮にあなたがそれだけのギャラを望むなら、例えば、チケット40枚お渡ししますから、それとギャラを相殺しませんか。人を呼ぶ力があるなら、40枚くらいのチケットは難なく捌けるでしょう。それならあなたにぜひ出演してもらいたいと思います」。

 こう言うと若手マジシャンは黙ってしまいます。入場者数からギャラを算出していないのです。多くの若手は、自分の無知を詫びて私の話に乗ろうとします。それならその後の縁は続きます。逆に、いつまでも自己主張だけしているなら、手に取ったリンゴは元に戻され、私の興味は消え、その後一瞥もくれることはないのです。

続く