手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

暮れ 正月

暮れ 正月

 

 昨日(24日)近所のコンビニの店頭で、一日中アルバイトのお兄さんお姉さんがケーキを販売していました。クリスマスイヴですから、ケーキ販売も当然でしょうし、お店もある程度売れると見込んでの販売なのでしょう。

 然し、一日外に立ってケーキを販売するのは大変な仕事です。駅に行く途中、コンビニでバイトのお姉さんがサンタクロースの衣装を着て立っていました。大きなケーキや小さなケーキ、シャンパンなどいろいろ並べて販売しています。

 立ち止まって近付いて、一瞬、一つ買おうかと思いましたが、どうせ夜になれば娘が有名店のケーキ屋さんからケーキを買ってくるはずです。

 そうなると私が思い付きで買ったコンビニのケーキなど、目もくれないはずです。「 余計な物を買わないで」。とあっさり否定されそうです。スィーツに関しては私が関与しないほうがいいのです。「そう思うと買えないなぁ」、と、そのまま駅に行きました。

 買い物を済ませ、数時間して戻ってくると、同じ店に、今度はバイトのお兄さんがサンタクロース姿で、立っています。

 何か買って少しでもバイトを楽にさせてあげようかな。と思い、商品を物色しますが、その都度女房と、娘の顔が浮かび、買ったら苦情を言われるに違いありませんから、結局眺めるだけです。

 それでも私がこうして立っていれば、つられて買おうとするお客さんもいるのではないかと思い。少し物色する振りをして立っていました。考えれば大きなお世話なのです。結局私は買わずに帰りました。

 私は小学生のころマッチ売りの少女と言う童話を呼んだことがあります。子供心に感動して涙を流しました。その話は、ヨーロッパのある街のクリスマスイヴの話でした。

 

 寒いクリスマスイヴの日に、少女が街頭でマッチを売っています。少女の売っているマッチは、幾つものローソクに火を灯しやすいように、長い棒状に作られた特別のマッチです。

 少女は道行く人に声をかけますが、一本も売れません。夜は更けて来て人通りもなくなり、朝から何も食べていない少女は空腹と寒さで耐えられなくなります。

 道端にしゃがみこんでしまった少女は、余りの寒さから、売り物のマッチをこすって火を付けます。

 火は、とても暖かく、手先や顔を温めてくれます。然し、やがて消えてしまいます。もう一本火をつけると、また暖かくなり、死んだ父親や母親が出て来て、かわいがってくれた日々を思い出します。その思い出も、マッチの炎が消えるとともに消えてしまいます。慌てて少女はマッチを燃やします。

 そうして少女はすべてのマッチを燃やしてしまいました。翌朝、クリスマスの日に、道端に、マッチの燃えさしが散らばった中で、倒れている少女をがいました。少女は凍死していました。その顔は幸せそうでした。

 

 子供心にこの話は心に響きました。少女を助けてあげられない自分にもどかしさを感じました。何とかしてやれないものか。とずっと考えていました。

 そんな思いがこの年になるまで心の中に残っていて、クリスマスになると店頭でケーキを販売するバイトのお兄さんに協力してあげたくなるのでしょう。でも結局買わないのですから、ただの冷やかしです。金も出さなきゃ助けもしない、いやな親父です。

 

 そして昨晩私の家の食卓は、シャンペンに鶏のもも肉と、海鮮サラダ、フランスパン。そしてケーキはブッシュドノエルを頂きました。

 ブッシュドノエルは今までも何度か見たことはありますが、食べるのは今回が初めてです。丸太の形を模したケーキで、ロ-ルケーキの一種でしょう。クリスマスに食べる物だそうです。欧州の暖炉のある生活から生まれた丸太状のケーキなのでしょう。

 とても贅沢な食事でした。鶏モモ肉のローストチキンは勿論旨いのですが、私にとっては、都城の牟田町の酒場で食べた鶏モモに塩を振って、炭火で焼いただけの、あの鶏の半身の方がうまいと感じました。但しそのことは女房や娘には言えません。秘密です。

 店中炭火でいぶされて、もうもうと立ち上る煙の中で、焼酎と共に食べたあの鶏の半身、あれを超えた鶏は今までお目にかかったことがありません。

 「また、都城に行きたいな、行ったら必ずあの鶏の半身を食べるんだ」。そんなことを心に思ってクリスマスイヴを過ごしました。同時に、ブッシュドノエルを食べつつ、その素材の良さに感動しましたが、あのコンビニのお兄さんはまだ声を枯らしてケーキを打っているのだろうか、と頭の中をかすめました。

私はこうして暖かい部屋の中で家族と幸せにクリスマスイヴを祝っているけども、バイトのお兄さんはどうしているのか。

 

 寒い冬の夜中に、ケーキが売れずに、声も枯れ、空腹になり、道端にしゃがみこんだバイトのお兄さんが、売り物のケーキを一口食べ、「あぁ、昔、母親がケーキを買って来てくれたなぁ」、と子供のころを思い出します。

 ふるさとの母親を思い出し、母親に可愛がってもらった日々を思い出し、ここで働いたバイト料で故郷に帰り、正月には母親に孝行してやろう。と思います。

 然し、余りの寒さに耐えられず、売り物のシャンペンにまで手を出して、ついついシャンペンを飲みだします。飲めば機嫌が良くなり、クリスマスソングの一つも歌い出します。

 そうなるとシャンペンは止まりません。次々に栓を抜き、飲み干して、外で上機嫌になっていると、店長がやって来て、カンカンに怒ります。そこでバイトのお兄さんは、

 「いいじゃないですか、僕がケーキとシャンペン代を払えばいいんでしょ」。と、居直り、バイト料と相殺にして、さっさとサンタの衣装を脱ぎ捨てて、寒空の中を去って行きます。

 一人駅に向かって歩きながら、「あーぁ、これでバイト代もなくなった。今年も故郷に帰れそうもないなぁ。でも、ケーキとシャンペンでクリスマスイヴを祝えたのだから、まっ、いいか」。と、将来の不安よりも、今の気分を優先させて、鼻歌を歌いながら帰って行きました、その顔は幸せそうでした。

 現代童話「ケーキ売りのお兄さん」終わり。

 

明日はブログを休みます。