手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大阪の反応と福井の天一祭

大阪の反応と福井の天一

 

 さて、土、日の報告もせずに、日曜日はブログをお休みをしたために、書くべきことが2日間溜まっています。

 昨晩(28日)は福井のショウを終えて、夜10時に帰宅をして、さぁ、それからブログを書こうと思いましたが、特急列車の中で焼鯖寿司でハイボールを飲んだら、いい気持になったため、結局何も書けずに就寝。

 翌朝(29日)、すなわち今です。順に溜まったお話しを書いて行きます。

 27日の朝7時に新大阪のレストランで朝食をしていると、ザッキーさんとサクさんがやって来ました。そこで一緒に食事をすると、昨晩(26日)のショウを見たお客様がものすごく興奮して深夜にネットでえらく盛り上がっていたそうです。

 大阪の公演は、私の判断で、後半5本にリーサルウェポンをぶつけてやろうと計算を立てて、強力メンバーを配しました。すなわち、一部のトリがハンナさん、そこから、二部の頭に私、次が鈴木駿さん、バーディーさん、伝々さんです。

 狙いはピタリとはまって。お終いの5本はどれもものすごい拍手。そしてショウ全体が終わった後も拍手鳴りやまず、お客様は帰ろうともしないでずっとっ劇場に残っていました。去年もそうでしたが、マジックセッションは、大阪のお客さんの心をしっかり掴んだと確信しました。

 ネットのの興奮に驚いたザッキーさん、サクさんも、「こんな凄いショウに一緒に出演できて幸せです」。と大喜び。

 いい経験ですね。いいショウに出演することは確実に当人の技量を上げます。冴えないショウに出演すると心の中まで荒(すさ)んできます。誰と付き合って生きて行くかは、人生でとても大切な選択です。

 そして、午前10時に福井フェニックスホール着。列車でハンナさん親子(お母さん)とも合流。前田将太のみ一人1時間前に列車で先乗りして、楽屋の準備。

 前田はこの数日ほとんど寝ていないでしょう。1日中忙しく動き回り、舞台監督やかたずけや、人の手配までして、休まず働いています。それでいいのです。どんなマジシャンの弟子になっても、これほど連日舞台があって、それも国の補助金をもらっての責任の重い自主公演をして、優れたマジシャンばかりを集めてショウをする機会などまずありえないのです。

 辛い、苦しいと言う前に、この仕事をさせてもらっていることを喜びと考えなければいけません。それは大樹も同じだったのです。大変な仕事を山ほどやったからこそ今日の大樹の成功があるのです。と、私は弟子に恩を着せます。

 

 27日当日。先日の大阪は、半数以上が若いお客様で反応も良かったのですが、福井は、切符の売れ行きも悪く、お客様の年齢層も高いため、反応はどうかなぁ。と心配していましたが、どうしてどうして、やはり福井のマジック愛好家も、この日を待っていたのです。大阪にも負けないくらい熱い反応が返って来ました。

 ステージのリハーサル中、別室ではクロースアップショウ。そして峯村さんのレクチュアー、そしてショップが4軒出ました。

 

 一本目は前田将太。卒なくこなしました。二本目はサクさん、これもいい反応です。三本目はザッキーさん。リングの音楽で皆さんのお手拍子までいただき、すっかりお客様に愛されています。ここまで三本とも好評でした。

 四本目が福井の天一祭会長の岡田透さん。スライハンドの花のプロダクションに始まり、お終いはダンシングハンカチーフ。大きな舞台にはちょうどいマジックです。お客様の乗りもよく、随分受けていました。

 そして、一部のトリがHannah(ハンナ)さん。舞台照明を生かして幻想的にダンシングケーンを演じました。恐らく福井のお客様は初めて見たのでしょう。すごい拍手でした。

 休憩をはさんで後半3本と一部トリ、ハンナさんの4本が今回のメインです。頭が私。傘出しから人力車まで、そして蝶のたはむれです。この手順は私の全くのメイン手順です。

 そのあと福井のマジシャン、Masayo(マサヨ)さん、世界大会で入賞したロープアクトです。ストーリーを作って、舞踊を生かしてのロープマジック。大きな舞台にはよく生えます。地元の応援もあって、すごい拍手でした。

 そしてトリが峯村健二さん。2000年のリスボンで一位になった演技。彼のメインアクトです。常に完璧。見る人をうならせます。

 フィナーレに全員並んで、天一祭の発表。無論、峯村健二さんが楯を受賞しました。これで今年の天一祭は幕を閉じましたが、お客様は大喜びで、終わってもロビーに随分残っていました。このレベルを常に提供していれば、福井でのマジックショウもどんどんお客様を増やして行けるでしょう。私としても、十分手ごたえを感じました。

 

 夜8時から、駅前の料理屋へ、私、峯村さん、ザッキーさん、サクさん、前田の5人。まずはせいご蟹、メスのズワイガニで、体は小さいのですが、腕から、身から、かに味噌から、卵まですべて食べられて、それぞれに味の変化が楽しめて、酒飲みにはもってこいの料理です。

 そしてノドグロの塩焼き。適度に脂が乗っていていい味です。ぶりのかま焼、大きなぶりのえらのところの肉を箸でほじくって食べます。ソ-スかつ、つくね、いろいろ頼んで、お終いはおろしそばで締めました。話の内容は、ばかばかしい話ばかりでしたが、ショウを終えた後にはこれくらいの内容でいいのです。

 そしてホテルに泊まり、翌日(28日)10時に、こども歴史文化館に伺いました。公演は14時スタートです。セットをしていると、地元のサイキックKさん、ロイヤル山口さんが楽屋に来て、昨日の話の花が咲きました。そしてへしこのお土産を頂きました。

 

 ショウは、前田、サクさん、ザッキーさん、私。私は二つ引き出しからサムタイ、そして蝶を演じました。サムタイはこれまでここに8回出演して必ず演じています。それは天一祭の一環として、天一さんの得意芸であったことを説明したうえで披露しています。

 全ての公演を終えて、5時35分の特急で米原へ、そこから新幹線に乗り換えて東京へ。途中、福井駅焼き鯖寿司を買い、みんなに渡しました。ホームの売店で売っている焼き鯖寿司ではなく、駅の構内の専門店の鯖寿司がけた違いのうまさです。ハイボールと一緒に列車で食すのは至福の時です。と言うわけで、大阪福井の3日間の旅は終わりました。

 大阪も福井もかなりの高評価だったため、きっと来年もたくさんお客様が集まるでしょう。何とか今やっていることが大きく発展するようにして行かなければいけません。どうぞご支援お願いします。

続く