手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コメンテーター

コメンテーター

 

 テレビ番組で、お笑い芸人が、コメンテーターになったり、ニュース番組の司会者になったり、様々に活躍しています。お笑いの中には頭のいい人もいるでしょう。そうした人たちがコメントを述べることは悪いことではないでしょう。

 然し、彼らに専門知識があるのでしょうか。ちゃんとコメントをする資格を持って話をしているのでしょうか。何でも思ったことを言えばいいと言うものではありません。

 特にニュース番組の場合は、正確な情報を提供しなければいけませんし、公平な立場で語らなければいけません。自分の好みでものを言うことはできないはずです。先日の選挙速報を見ていて、爆笑問題の太田さんの発言は見ていて不快でした。

 

 断片的にしか見ていませんので、私がここで詳細に述べることはできませんが、お笑いタレントがお笑いの世界でものを言うなら多少のことは許されるでしょうが、ニュース番組で政治家に対して失礼な物言いをすることは許されません。

 選挙報道という政治家にとっても国民にとっても極めて重要な番組で、根拠を示さず政治家を侮辱する発言は許されません。

 このところのお笑いタレントや俳優は、自身の活動の枠を超えた発言が目立ちます。そもそも、なぜタレントを起用するのか、また、なぜタレントの責任のない発言をテレビ局が許すのか首をかしげてしまいます。

 ニュース番組は、茶化したり、皮肉を言う場ではないはずです。そもそもお笑いタレントが引き受ける仕事ではないはずです。よほど専門知識があって言うならともかく、ただ出て来て、しどころのないまま笑いにもつながらないことを言い続けることに何の意味があるのか、いぶかしく思います。

 人気があって、収入がある人たちですから、自分たちの発言が社会で通るように考えているのかも知れませんが、勘違いをしているとしか思えません。お笑いやアイドルがどんどんいろいろな番組に進出して来て、お笑いタレントの社会的地位が向上してきたように感じられ、めでたいことだ、と思っていたのですが、どうも底の浅さが目立ちます。そもそもコメンテーターなどと言うポジションは曖昧で、あまり人の役に立っているとも思えません。タレントがこんな仕事をしていると、案外、先行きはそう長くは続かないような気がします。

 

昼散歩

 昨日(3日)は、朝のうちは部屋のかたずけをして、昼からは高円寺の駅前に出て、買い物をし、どこかで食事をしようと外出しました。高円寺の商店街を見ていても5年10年と続いている飲食店は少なくて、店は頻繁に変わります。

 アーケードでカレー屋さんを見つけました。比較的新しい店だと思います。店の表にはインド人と思しき人がニコニコしてランチを売っています。店頭に並んでいるナンが大きくて旨そうでしたので、ナンとチキンカレーを食べて見ようと思い、店に入りました。

 まぁ、インド人が経営している店ですし、まずいカレーを売っていてはインド人としての存在価値はなくなってしまいます。ナンもチキンカレーも彼らは嫌と言うほど作って食べているはずですから、そうそうはずれはないだろうと信じていました。

 私が外でカレーを食べることはめったにありません。正直それほど好きな食べ物でもないのです。なんせ私は辛いものは一切駄目なのです。カレーを注文するときはいつも甘口を頼んでいます。甘口を頼んでも、辛いときがあります。この店は初めてです。辛いカレーが出てきたら困るなぁ、と思いながら料理を待ちました。

 

 結果を言うならはずれでした。ナンはただ小麦粉の味しかしませんでした。旨味を感じません。チキンカレーは量があまりに少なくて、大きなナンに対して、カレーが足らず、結局ナンを半分も余らせてしまいました。全部食べたいと思うほどのナンでもありませんでしたので、結局残しました。初めに出て来たキャベツのサラダも、申し訳程度のもので、あってもなくてもどうでもいいような付け合わせでした。

 結局旨いと思ったのはラッシー(羊のアイスミルク)だけで、それも歩いて駅まで来たため、のどが渇いていたから旨いと思ったのでしょう。

 ランチのカレーとラッシーを追加して、合計770円。値段的には普通でしょう。然し、少しもいいところがありませんでした。

 神田明神脇のネパール人が経営するカレー屋さんが絶品で、弟子の前田がその店の大ファンで、私も神田明神に出演するたびにそこで昼食をとっていて、カレーファンになっていたのですが、高円寺で裏切られてしまいました。

 この先、よほどのこともない限り、初めてのカレー屋さんには入らないようにしようと心に誓いました。インド人だからと言って信じてはいけません。

 

読書

 家に帰ってから、太平洋戦争の本を読みました。「決定版大東亜戦争新潮新書)」共著で、内容が濃いためなかなか読みこなせません。かれこれ2か月かかって読んでいます。

 面白いのは、中国側から見た太平洋戦争が書かれています。一方的に攻められていた日中戦争から、英米との戦いである、太平洋戦争に至ったときに、中国は、初めて泥沼の戦いから、抜け出せたと判断をしたようです。逆に言えば、日本が、中国との戦いを解決せずに太平洋戦争に突き進んだことが日本の敗北の原因となったわけです。明らかにまずい戦いをしたことになります。

 もう一冊は、昔買った、「クラシックのCD名盤」。宇野功芳先生の著作です。私はこの本のお陰でいい演奏家のCD と出会えたのです。今また読みなおしてみると、宇野先生の熱き文章がよみがえってきます。

 特に最近はネットで昔のレコードが聴けるようになり、同じ演奏家の同じ作曲家の曲でも、録音した年代が違うとかなり違った演奏の仕方をしていることが分かり、興味が倍増しました。やはり、指揮者も年齢とともに、演奏の解釈が深まっていくのです。

 しかし同時に若さが失われて行きます。若く溌剌とした演奏がいいのか、高齢化して巨匠となった演奏がいいのか、聞き比べると一概に老練な演奏がいいとは言い切れないところが芸術の面白さです。

 宇野先生は、その都度、年代とCDの違いを指摘して書かれていますが、買う立場とすれば、同じ演奏家で、同じ作曲家の演奏を、年代別に、そうそう何枚も買うことはできませんので、いくら勧められても、予算上、買うことを諦めていましたが、ようやく足らない分はYouTubeで聞くことが出来て、著者の意図するところが分かって幸せです。

 それでもブルックナーの8番のシンフォニーなどは一曲で一時間以上ありますので、何人もの指揮者の演奏を聞き比べるとなると、体力と精神力と悠久の時間が必要とされます。日にちを変えて聞く以外ありません。

 それでも連日、オイゲンヨッフムや、チリビダッケ、朝比奈隆さんなどの名指揮者を聞き比べるのは何とも贅沢です。まさに壮大な宇宙を旅している心持です。こうした時間を持てることが幸せです。

続く