手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

謎の人 3

謎の人 3

 

 結局ガダルカナル島は、全く成算のないまま戦いは続けられ、立案者の辻は戦いの途中、中支(中国中央部)に転身します。残された兵は、飢餓と圧倒的な米軍の猛攻撃の中、多くは戦死します。

 辻は中支で戦争を継続してゆくうちに、中国との戦いを続けたまま、アメリカとの戦争を続けていては勝ち目はないと気付いたようです。

 気付くのが遅すぎます。辻はすぐさま東条英機首相に、辻自身が蒋介石との直接交渉に出向いて和平交渉を成功させたい旨を伝えます。昭和17年のことです。

 考え方は正しくても、東条は辻を信用していません。何にしても辻は、東条のライバルである、石原莞爾の申し子のような男ですから、辻の案は否定されます。但し、この時既に、独自に蒋介石政府と交渉を続けていた辻は、蒋介石政府内に多少の人脈を得たようです。

 昭和19年に辻はビルマに送られます。ビルマでの辻は、作戦立案に奔走しますが、いよいよ日本の敗色が濃くなり、食料も弾薬も、飛行機の援護も足らないまま、兵のみで戦いを続けるうちに、イギリス軍の大反撃を受け、敗北を繰り返します。

 

 軍人としての辻の活動を見ると、企画立案には人並み優れた才能を発揮します。また、新聞社などへの説明も、弁舌さわやかですから、国民には人気があります。

 然し、それも、支那事変、上海事変、その後の太平洋戦争の緒戦で勝利した、シンガポール、フィリピンまでは良い仕事をしましたが、昭和17年半ばに至ると、無理な立案が目立つようになります。

 辻は口癖で、企画を説明するときに、余りに無謀な辻の作戦に疑問視する将官に対して、「これくらいの思い切った作戦をしないでどうやって米英に勝てるのですか」。と声を張り上げて怒りをぶつけたそうです。将官は武人で、口下手な人が多いのに対して、弁舌さわやかで、語気はすさまじく、理路整然と話す辻に将官たちは何も言えなかったようです。

 然し、無謀な作戦は無謀で、装備に劣る日本軍は常に英米軍の劣勢に立たされます。作戦の形勢が悪くなると、辻は別の戦地に転身してしまいます。辻の責任を引き受ける将官などいませんので、敗北の責任は各部隊に背負わせます。どこの戦地でも、兵は見殺しにされ、現場の責任者は自決、兵は餓死して終わります。

 ニューギニアでも、ガダルカナルでも、ラバウル硫黄島、フィリピン、沖縄、常に日本軍は善戦していながらも、食料も援軍も来ないまま戦死者を増やします。太平洋戦争では常に、日本軍は、アメリカ兵の損害に対して二倍以上の死者を出して敗北します。

 つまり装備や兵站(へいたん=食料や、生活物資、その輸送)を無視した作戦が無駄な死者を出してしまったのです。

 それを立案して、「思い切った作戦を立てなければアメリカに勝てない」。と言って、兵に無理を強いた辻の責任は大きく、第一級の戦争犯罪者とするのは当然と思います。

 

 私もここまでの辻の生き方を見る限り、辻を悪魔だと言う人の言葉は正しいと思います。ましてや、辻のもとで下士官として働いた山本七平からすれば、無謀な作戦に翻弄され、批判をすれば大声で罵倒する辻は悪魔そのものだったでしょう。

 

 さて、「辻政信の真実」はここまでがちょうど冊子の半分です。ここから先に辻のもう一つの人生が始まります。その生き方が謎に満ちていて、「この人は一体何者なのだろう」。と、まったく常識で測れない行為を繰返して、多くの人を煙に巻いて行きます。

 

 敗色濃いバンコクで、いよいよ敗戦と悟った辻は、「密林に籠って百年先の勝利のために活動する」。と、上官に伝え、了解を取りつけ、僧に身を変えて、部下で寺の僧だった青年将校数名を引き連れ、姿をくらまします。

 辻の戦線離脱を認めた上官の判断は理解に苦しみます。日本軍に見切りをつけて消えて行った辻は、先の見える人だったのでしょう。残っていたなら辻は確実に絞首刑です。

 

 密林に姿をくらました辻は何をしていたのかと言えば、重慶にいる蒋介石政府に連絡を取り、蒋介石政府を支援したいと申し出たのです。常識で考えたなら、そんな無謀な申し出を蒋介石が引き受けるわけがありません。辻は、蒋援ルートの破壊工作をしていた張本人なのですから。

 然し、これが通るのです。ここが辻の大きな謎です。但し、かつて中支で戦いをしていた頃、辻は、蒋介石の母親が亡くなったまま、葬儀も出来ずにいたことを知り、軍部に話をして、蒋介石の母親の慰霊祭をしたことがありました。蒋介石はこの日本軍の行動に感じ入ったそうです。

 またその後に、蒋介石政府と和平工作をする際に、蒋介石の幹部である戴笠と言う人物を知り、何かと連絡を取っていたと言います。この一縷の伝手を頼って、辻は密林を超え、重慶にいる蒋介石政府に接近します。

 私はこの辻の行動を見て打て、「この人は普通の参謀ではない」と思いました。彼には、始めから彼を指令する大物がいて、彼の表に見える活動とは別に、もう一つの密命があったのではないかと推測します。

 その片鱗は昭和17年蒋介石との和平工作に見えますが、それが成立しなかったため、一旦は消えかけていましたが、終戦に至って、蒋介石とのつながりを復活させ、辻は重慶政府でポストを手に入れます。

 然し、国民党軍の中に入って、軍を見ると、いかに国民党軍が三流四流の軍隊であるかを思い知らされます。自国の民に対して強盗強姦恐喝は日常茶飯事で、軍紀などはあってなきがごとしです。まったく野良犬、やくざ集団だったのです。同じ野良犬集団でも、共産軍には農民を守る意思がありました。その点において国民党軍は民の信を失っていたのです。

 蔣介石軍が、毛沢東率いる共産党軍に敗北して行くに従って、辻は蒋を見限り、中国から離れ、日本に密入国します。昭和23年のことです。

続く