手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

梅雨のさ中に

梅雨にさ中に

 

 連日雨が降るのは梅雨(つゆ)の季節だから致し方ないとは思いますが、どうもこの5,6年は、梅雨になると土砂降りの雨になって、それが必ずと言っていいほどがけ崩れが発生したり、川の土手が決壊して災害をもたらします。自然災害がいとも簡単に、住宅を呑み込んで行きます。

 私が子供のころの梅雨と言うのは、ひたすらしとしとと雨が降ったり、時雨と言って、一時わずかに雨が降って地面を濡らし、雨が上がった後はカラッと晴れて、生け垣の紫陽花が雨の水を得て生き生きとし、決まって大きな葉にでんでんむしが留まっていたのを記憶しています。そんな風景が梅雨の雨だったように思います。

 その頃は、川の土手が決壊するような梅雨は考えられず、台風でもなければ洪水は起こらなかったように思います。

ところが最近の雨は極端です。降れば必ず死者が出ます。死者は決まって老人や障害者です。

 この老人と言う人たちが、以前の私なら全くの他人ごとだったのですが、テレビで放送されている被災者の年齢を見ると、60歳、70歳と言った人たちです。

 60歳なら私よりも若いではありませんか。「私よりも若い人が、家の中にいて崖崩れに巻き込まれるとは、素早く逃げ出す手段はなかったのか」。と勝手に推測しますが、実際はそんな状況ではなかったのでしょう。

 

 恐らくがけ崩れに遭った人は、家のテレビで大雨のニュースを見ながら、「大変だなぁ」。と、呑気に構えていたところを、突然裏山が崩れ出して、逃げる間もなく一気に押しつぶされたのでしょう。

 当人にすれば、映像を眺めていたらいきなり現実に遭遇したわけです。ホラー映画を見て、喜んでいるうちに、後ろに本物のジェイスンがチェーンソーを持って立っているようなものです。気付いたときにはどうにもならなかったのでしょう。

 

 でも、日本ほど生活程度が高く、社会資本がしっかりと充実している国が、大雨のたびにいとも簡単に人が死ぬと言うのは何とも理解しがたいことです。もう少し死者が出ないようにはならないものでしょうか。

 日本には、山の迫った地域に住んでいる人はたくさんいます。また川沿い、海沿いに住んでいる人もたくさんいます。そして雨は毎年降ります。

 雨が降れば必ず災害が起きて死者が出ます。それを何とか事前に避難を呼び掛けることはできないものでしょうか。

 何もかも市や県に任せて、堤防や、砂防ダムを作らせるのは実はあまり得策ではないと思います。ダムも堤防も必要ではありますが、近年の集中豪雨を見ると、どんな堤防も豪雨に合ったらひとたまりもありません。

 がけ崩れも、昔のように、山林をこまめに植林したり間伐をしたりする人手がいるならまだ崖崩れも防げるでしょうが、今、日本中の山林を車で飛ばしてみるとわかりますが、山林は倒木が放ったらかされたままで、山は荒れ放題です。手入れをする人が足らなすぎるのです。

 昭和40年代くらいから、東南アジアやカナダの安い材木が入って来るようになると、日本の材木製造は、やって行けなくなります。加えて業界の高齢化が一層人手不足につながっています。日本の山林は優れた松、杉、檜が育っていながら、価格が見合わないために放置され、それが倒木となり、腐るにまかせています。

 昔、山持ちで、杉、檜を切り出して、町に出荷していたなどと言う人は村の中でも大金持ちだったのですが、今はもう誰も手を出さない業種になってしまったようです。

 それでも最近、国産の材木で家具を作る。建築資材を作る会社が出て来たようです。こうした会社を支援すれば林業は復活するでしょう。然し、如何せん、日本全体の山の荒廃には追い付かないのでしょう。

 災害のたびに堤防や、砂防ダムを作れと大騒ぎをしますが、市町村がすべての住人に安全を提供するのは不可能です。

 むしろ、初めから、「ここは絶対に危険な地域です。ここに家を建てるなら、自己責任で住んで下さい」。とはっきり言うことの方が正しいと思います。無論、大雨の際には非難は呼びかけるにせよ。守り切れない場所も必ずあると言うことを事前に住人に伝えておくことは重要でしょう。

 

 ところで私が多少なりとも山林に知識があるのは、実は私を支援してくださる社長が、松茸山を持っているからです。高上征夫さんと仰って、岡山市に住んでいらっしゃいます。岡山の有漢町(うかんちょう)に山林をお持ちで、毎年10月ごろ、仲間を集めて山に登り、松茸採りをしています。私もたびたび呼ばれ、採れるときには背負篭に一杯松茸が取れます。

 高島屋デパートなどで見ると、一本、二本、小さな笊に乗って一万円とか二万円とかする松茸が、山に入るとそこかしこに生えています。嘘のような話です。それを集まった有志がみんなで採って回ります。

 傾斜のきつい山中を一時間も歩き回ると、汗びっしょりになります。そこで、山林の中で、採った松茸と、持参の牛肉で焼き肉パーティーをします。ビールを飲みながら、今取った松茸を焼いてほおばるのは最高の喜びです。

 松茸はなかなか採れないと言われますが、実は、山の世話をする人がいた時代はいくらでも採れたのです。傾斜地で適度に湿気を含んでいる山で、落ちた枝をこまめに拾って、地面の通気性を良くしておけば、松茸の菌が繁殖して幾らでも松茸が採れます。

 その昔は、薪に使う小枝を村の人が熱心に拾っていたため、黙っていても山は奇麗に管理されていたのです。それが人が山の手入れをしなくなると、地面の湿気が多すぎて、松枯れ病が発生して松を枯らし、枯た木が倒れ、放置されるに及んで山林は死滅します。

 知人の社長は、しょっちゅう山に登って、自身の山を掃除しています。年に一、二度、仲間に松茸を取らせて人の喜ぶ顔が見たいがために、日頃せっせと山に登って山の手入れをしているのです。まったく善意の塊のような人です。お陰で篭一杯の松茸が取れます。

 よくよく考えて見れば、昔に戻って、山の地面の下草を刈って、枝を集め、ほんの少し掃除をしてやれば、その見返りに松茸は育ち、木は枯れず、病気も出ず、倒木を防ぎます。そうなれば山の地肌は強くなり、がけ崩れも起きないのです。

 国産の材木を建築資材として使えば、世界的な資源の枯渇を防ぐことが出来て、輸入を減らすことに役立ちます。その上、がけ崩れも起きにくくなり、人の災害も減るわけです。

 元はと言えば、山に入って落ちた枝をまめに拾うことがすべての基本なのでしょう。それがあらゆる人の生活を好循環にするわけです。決して砂防ダムや、堤防を作ることが安全対策ではないのです。

続く