手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

時流を読む 5

時流を読む 5

 

タンバ快進撃

 一昨日(27日)は富士、昨日は名古屋の指導でした。指導は3時に終わり、4時からは名古屋駅で辻井さんと待ち合わせて、軽く一杯と言うことになりました。柳ケ瀬の飲食店がどこも休業になっていますので、辻井さんはやむなく名古屋に出てきたわけです。

 駅の14階に神田の藪そばが出店していますので、そこで菊正の樽酒を頼み、卵焼きや、焼き鳥でちびちび始めました。まったく昔ながらの江戸っ子の酒の飲み方です。

 そこで出た話は、一週間前に、将魔さんが主宰するマジックショウが一宮で開催され、そのショウの内容が良かったこと、将魔さんが、国から支援金をもらい、その費用でアワードを作り、各賞の受賞者を表彰し、同時に演技をしたそうです。

 出演者は、タンバ、上口龍生、片山幸宏、鈴木大河、桂川新平、などなど。つい3か月前に将魔さんと柳ケ瀬で飲んだおり、将魔さんが近々ショウをすると聞いていましたが、国から支援金をもらってアワードを企画するとは知りませんでした。然し、いい金の使い方です。出演者にとっても、お客様にとっても良い刺激になったと思います。

 

 中でもタンバさんの面白さがとびぬけていて、その日の一番人気だったそうです。彼のことは、ネットなどで、イギリスの番組で好評を博したことなどを私も見ています。まだSAMジャパンが健在だったころ、彼はフラフープの演技で入賞して、その流れで、マジックキャッスルに推薦し、一緒に出演したことがあります。

 タンバさんは渚先生のところで10年も弟子修行していて、このままでは永久に下働きに終わるんじゃないかと心配していたのですが、ある時期から海外の仕事先に積極的に出て行って、オーディションを受けるなどして、海外の舞台チャンスをつかもうとしていたようです。

 私は彼の活動を知って、「ようやく、コンベンションに頼らないプロマジシャンが出てきた」。と思い、期待しました。その後、マジックセッションなどの出演依頼をお願いしたのですが、時間が合わず、出演の機会を逃しています。然し、どこに出てもいいのです。こうした人がどんどん知られて、知名度を上げて行ったなら素晴らしいと思います。

 彼の演技は風船呑み、かみそり呑み、フラフープ、どれも昔からあるマジックばかりですが、彼のこだわりと自分流の演技の読み込みが作品を飛び越えています。このため何を演じてもタンバ流になっていて、たちまちお客様は理屈を飛び越えてタンバの世界に引きずり込まれてしまいます。

 いつもおどおどしていて、物静かな男がどうしてこうまで強い個性を持つに至ったのかは謎ですが、彼の生き方こそが、まさに私が今回「時流を読む」で長々お話ししている話の答えそのものなのです。実にタンバさんは今の時流にタイムリーな出現の仕方をしたと思います。昨日の飲み会は私としても充実した内容の話でした。

 

時流を読む 5

 

 「時流を読む」、も長くなりました。いろいろ書いたことをまとめてみると、

以下の3つに要約されます。すなわち、

 1、マジック愛好家の評価ばかりを求めない。

 2、コンベンションやマジックの会合から抜け出て、一般客をつかむ。

 3、不思議から少し離れてマジックを芸能として見直す。そして自分を見つめる。

 

 先に、私はマジシャンはマギー司郎さんの生き方をもっと見るべきだ。と書きましたが、今見るなら間違いなくタンバさんを見るべきでしょう。多くのマジシャンが不思議の上に不思議を重ねて、必死にお客様の興味を集めようとしていますが、実はお客様はそれ程多く不思議が見たいわけではないのです。

 どんなにうまいラーメンでも、もう一杯出されたら敬遠されます。同様に、お客様にすればそういくつもの不思議が見たいわけではないのです。むしろ数見たなら、不思議の感動は薄れてしまいます。私が観客としてマジックショウを見に行くときも、マジシャンが次々に繰り出す不思議が「お客様の許容の限界を超えているなぁ」、と思うことがしばしばあります。

 どんなに一作一作のマジックの出来が良かったとしても、種がばれずに上手に演じられたとしても、お客様にすれば、マジックを見続けていると、延々とルールを知らないゲームに引きずり込まれ、一方的にたたかれまくっているような、被害者意識に襲われて来るのです。

 始めのうち、一つ二つは面白そうだと、ゆとりをもって見ているお客様も、「カードを一枚引いてください」。と言うセリフが繰り返し続くと、お客様は自分がマジシャンの引き立て役に立たされているということに気付きます。それはお客様が好んでなろうとした立場ではありません。やがて、今の状況がばかばかしくなって来ます。

 ところがマジシャンは自らそうした状況を作ったにもかかわらず、お客様がこの状況をアンフェアだと思っていることに気付かないのです。マジシャンはお客様はマジックが好きだと信じて疑いを持ちません。

 ここで確実な話をしましょう。マジックショウが10分を過ぎたときに、お客様はこの先に起こるマジックがどんなものかは予測できません、しかし結末は知っています。結果はマジシャンの優越に終わるということをです。

 これはマジシャンにとって都合のいい状況でも、お客様にとって一番嫌な状況かも知れないのです。私がしばしばマジックを見ていると、お客様はとっくに飽きてしまっているにもかかわらず、これでもかと不思議を見せ続けているマジシャンを見ることがあります。これはすなわち、うまいラーメンだからと言って、もう一杯、もう一杯と出してくるラーメン屋さんのようなもので、そうしたラーメン屋さんは決して流行らないでしょう。そんなラーメン屋さんが世の中に存在しないのはお分かりのはずです。然し、マジックショウではこれが普通に存在するのです。これでマジシャンが安泰に生きてゆけると思いますか。

 

 ではなぜそうしたマジシャンがたくさんいるのかと言うなら、恐らくマジック以外のことに興味のないマジシャンが多いからだと思います。マジシャンの興味がマジックだけで、ほかの芸能に理解がない。世相にも疎い。なおかつお客様のことを考えていない。こうした人がひたすらマジックを見せ続けて、結果マジックをつまらなくしているのです。

 思い出してください。30年前、私がイリュージョンチームをもって活動していた時に、ある日突然、「なぜ人を浮かせなければいけないか。なぜ人に剣を刺さねばならないか。なぜ人を消さなければいけないか」。と思い悩んだ末に、今していることがすべてばかばかしくなったという話を。この時私は芸能が何であるかに気付いたのです。明日はそのまとめをお話ししましょう。

続く