手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナ時代にどう生きる 4

コロナ時代にどう生きる 4

 

 昨日(3日)は、「劇場があったらいい」、「マジックキャッスルが日本にも欲しい」。と思っていても、自分自身がお客様を集める力を持たなければ、劇場はできないし、出来ても維持できない。と言う話をしました。

 日頃、お客様とつながりを持って、小さな会でも維持している人たちが、寄り集まっているから寄席が維持されているのであって、何の努力もしないで、出演させてもらおう、と考えていても、それはそれは周囲に負担を与えるだけの人でしかないのです。

 どんな劇場でも何もしないでお客様が来るものではありません。マジシャンにに対して、「お客様を集めて上げましょう」。「出て下さったなら出演料をお支払いしましょう」。と言ってくる劇場はありません。話は逆で、出る以上は、劇場に利益をもたらすタレントでなければ劇場としても出てもらっても意味がないのです。

 私は長いこと、寄席と言うのは、人気者や、実力ある噺家が出ているから人が集まるのか、と考えていましたが、新宿末広亭の席亭が言うには、「別に看板らしい看板が出ていなくても、お客様は来るよ」。と言っていました。実際、人気者が出ていれば、確かに客席の入りはいいのですが、そうした人たちが出ていないからと言って、客席が極端に減るわけでもないのだそうです。

 そのことはつまり、お客様は特定の噺家を目当てに寄席に来ているのではなく、寄席の世界に浸りたくて来ている人が多いのです。こうした点で言うなら、寄席は既に文化になっていて、寄席と言う大きなくくりで、お客様に認知されているのです。

 結果として長い寄席の歴史が底堅い観客動員力を作り上げているわけです。しかしそれもこれも寄席を運営しているから、お客様がどこからともなく湧いて出て来るわけではありません。一人一人の噺家さんが、蕎麦屋の二階などで小さな落語会を開いてお客様とつながりを持っているから、わずかずつでも世間に落語が認知され、それが寄席の観客動員につながっているわけです。

 

 マジックの世界も、私の知るこの40年間でも、何度もマジックキャッスル構想が持ち上がり、実際小型の劇場が何度も出来たのですが、維持できずにどれも数年で終わっています。かつて千葉の舞浜にはウイザードと言うシアターレストランが出来て、日本のマジシャンプラス、アメリカからのゲストマジシャンが出演していました。しかしここも二年くらいで閉店してしまいました。資本家が、マジックに注目してくれることは有り難いことですが、せっかく劇場が出来ても維持できず、話題が広がって行きません。

 このことは日本ばかりのことではありません。アメリカも同様で、本家のマジックキャッスルの成功を見て、何度もアメリカ国内でマジックキャッスルに似たシアターレストランが出来ました。然しどこも長くは続きませんでした。先に申し上げたウイザードは初めにできたのはロサンゼルスだったのですが、そこも維持できませんでした。

 ラスベガスにも、かつてマジックの大きな施設が出来て、クロースアップから、イリュージョンまで、大きなドーム内を巡り歩いているうちに、いくつものショウを見られる企画が生まれましたが、残念ながら続きませんでした。アメリカですら、音楽のライブや、演劇、サーカスを見ると言う文化ほどにはマジックを見る文化が定着してはいなかったのです。

 日本のマジシャンも、アメリカのマジシャンもよくよく見ていると、マジックのエフェクトには興味があっても、目の前にいるお客様の心の奥を掬い取ることを考えていないのではないかと思ってしまうマジシャンを多々見ます。

 彼らマジシャンは自らが演じるマジックの不思議に没頭するばかりで、マジックを自分の世界に引き込んで自己の楽しみに浸っているように見えます。アマチュアならそれでもいいのですが、プロであるなら、まず目の前にいるお客様をしっかり見つめてお客様の求める夢の世界を確実に具現させてみなければいけないのです。

 自分にとって都合のいいマジックではなく、お客様の役に立つマジックをしなければいけません。役に立つとはどういうことか、それを日頃からお客様と仲良くなって、お客様の心の内を探っていなければわからないことです。

 お客様の気持ちに立ってマジックをするマジシャンが大勢出て、そのマジシャンが自らが住んでいる町で毎月ショウを開催し、ささやかでも観客を持つようになって、マジシャンが数多く結束して、ようやくが外部の資本家が、劇場建設を考えるのです。

 

 それを今、私はささやかながら、人形町玉ひでで毎月実践しています。そこからマジシャンが育ってきたなら、毎年劇場で開催している、マジックマイスターに出演してもらいます。更にそこで実力が付いてきたなら、これも毎年開催している、マジックセッションに出演してもらいます。セッションは東京と大阪で開催していますので、両方に出演するチャンスがあります。

 更に、毎年福井で開催している天一祭のゲストに出演してもらいます。また、私が年に一度開催している私のリサイタルのゲストにも出演してもらいます。何とか、次々と舞台出演をしてもらいたいと考えていますが、それには、確実にお客様が見えていて、お客様に喜んでもらえるようなマジックを演じられる人でなければ出演できません。

 自分の世界に閉じこもっていてはマジックは発展しません。私は残りの人生で劇場を一軒建てようと考えています。然しその劇場がうまく運営できるかどうかはマジシャンがお客様を呼べるかどうかにかかっています。イフェクトの研究も結構ですが、お客様とどう向き合うかを真剣に研究するマジシャンが現れない限り、マジックの専門劇場は、砂上の楼閣のごとく、出来ては消え、出来ては消えを繰り返すだけなのです。

コロナ時代をどう生きる 終わり