手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

安倍首相の辞任

 今日は朝から一人指導があり、午後から三人学生さんが習いに来ます。結局、一日指導をします。この数年、指導に掛ける時間が舞台の半分ほどになりました。年齢的にやむを得ないのかと思っていました。ところが今年になって、舞台が激減し、今では指導が80%になってしまいました。これも、コロナウイルスの影響を思えば、やむを得ないのかと思います。

 教えるということは自身が過去を振り返ることです。人にマジックを教えながらも、自分が習った時にことを思い出します。物によっては50年も前のことを思い出します。その思い出はほとんどは楽しかったことの思い出です。

 結局のところ、私は優れた指導家に恵まれ、好きなだけ稽古をし、舞台に立ち、他の仕事をしないで今日まで生きてきました。全くアルバイトなしで生活できたのです。旨く生き抜いてきたと思います。幸い私には50年以上の蓄積された知識が残されました。これを後輩に伝えて行こうと考えています。それが私の残された人生の活動の一つと考えています。

 

安倍首相の辞任

 安倍晋三首相が昨日首相を辞任されました。この人は政界のエリート中のエリートで、祖父が岸信介元首相、叔父が佐藤栄作元首相です。父君は、安倍晋太郎故人で、総裁候補と呼ばれていながら、病で亡くなった政治家です。安倍晋三さんは、この父君の政治秘書となり、政治家の勉強をしていたのですが、父君が病気で亡くなると、その地盤を受け継いで政治家となります。1993年のことです。この時点で、晋三さんは、首相になるべき政治家として、父君の遺志を継いで活動を始めます。

 この人と私は同じ年です。1954年生です。同い年で、同じ年月生きては来ても、安倍氏が経験した世界と、私が見てきた世界とでは全く違う世界だったと思います。

 父君の遺志を継いで衆議院議員になった頃、政治家のパーティーで、氏を拝見しました。私は氏を見て、「あぁ、こういう人が日本の首相になって行くのだろうなぁ」、と思っていました。岸、佐藤、安倍晋太郎と続く、日本の保守本道の中で育った人ですから、若いころからタカ派の人で、自衛隊の容認、憲法改正靖国参拝など、かなり右寄りの活動を続けていました。

 それまでの多くの政治家が、何となく周囲に遠慮して、正々堂々と物が言えなかったのに対して、戦後生まれの晋三さんは、かなりストレートな物言いをして、世間を驚かせました。それかあらぬか、氏の右寄りの発言を嫌う人もいて、今一つ安定した支持が得られなかったようにおもいます。ところが、ある時期から、首相になることを目指してからか、右寄りな発言を控えるようになりました。以来、氏の支持層は広がり、自民党の顔として広く認知されるようになって行きます。

 その後晋三さんは2006年に、小泉純一郎首相の後を受けて首相に就任。首相にはなりましたが、氏の強気な発言の裏で、氏はかなりデリケートな性格のようで、第一次安倍内閣の末期に大腸の病気に罹り、2007年に首相の座を降りることになります。当人としては痛恨だったと思います。実際これで首相の目は亡くなったかと思われました。

 その後2012年に再度首相に選ばれ、今日に至ります。そして昨日、全く前回と同じケースで、氏は思い半ばで首相の座を降りたわけです。歴代首相の任期としては最長記録を作ったのですが、その実思いは複雑だったでしょう。

 氏は、在任中に。憲法改正を果たし、自衛隊国防軍に昇格させたかったでしょう。実際それぐらいの勢いが2年前にはあったように思います。然し、森友問題や加計問題に押しまくられて、評判が下がり、憲法改正はトーンを失います。

 また、拉致問題に熱意を見せていたにもかかわらず、大きな実りは得られませんでした。ロシアのプーチン氏とは粘り強く北方領土問題を交渉したにもかかわらず、体よくあしらわれて、北方四島は結局帰らずに終わっています。

 祖父の岸氏が日米安保を維持し、叔父の佐藤栄作氏が沖縄返還を果たしたのに対し、安倍氏はなかなか大きな成果が果たせなかったことは、痛恨だったろうと思います。

 それでも、8年の長きにわたって日本の経済を安定成長にもっていったのは大きな成果であり、更に、ご当人のルックスの良さは、歴代総理大臣の中でも、佐藤栄作氏、中曽根康弘氏と並んで、堂々トップのインスタ映えを見せたと思います。海外の首脳と渡り合っても引けを取らないばかりか、日本の重要性を強く印象付けたことは大きな成果だったと思います。

 

 また、このことはあまり多くの人が語らないことですが、今首相を辞めるということは、長い日本の歴史の中で、安倍氏はとても恵まれた選択をしたと考えられます。

 なぜなら、この先、コロナウイルスは1年では解決しないでしょうし、オリンピックも中止になるでしょう。経済は最悪な状態で、回復までには3年や4年はかかるでしょう。そうなら、次の首相は初めから貧乏くじを引くことになります。安倍氏が今やめたことは、安倍氏にとっては天の采配ともいうべきもので、大変な幸運だったと思います。逆に次の首相はとても困難な立場に立つことになるでしょう。

 いずれにしても、氏はまだ66歳です。本来ならそれくらいから首相の地位を狙う頃なのだと思います。それが8年もの長きにわたり、首相を務めての66歳ですから、人並み優れた人であったことは間違いないと思います。同い年でありながら目いっぱい大きな活動をした安倍氏に敬意を感じます。お疲れさまでした。

続く