手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リングの思い出

 今日は朝からアトリエの倉庫のかたずけをしています。長くこの仕事を続けていると、引き出しの中に、今では、もう使うことのない道具が、堂々既得権を持って居座って、収まっています。

 リングの引き出しを整理していると、私が12歳の時に買った直径21㎝の6本リングが出て来ました。今はなき天地(天地奇術研究所)製です。このリングは20歳になるまで舞台で使いました。その後12本リングを演じるようになってから25㎝のパイプリングを使うようになり、天地の丸棒リングは引出しにしまい込まれました。21㎝のリングは、手で荷物を持って移動していたころは、軽くて持ち運びに便利でした。その昔の奇術師が使うリングはみんなこんなサイズでした。今見たなら迫力のないちゃちな道具です。でも、思い出深いリングです。

 久々取り出して見ましたが、今見ても全く錆がありません。叩いた傷はあっても、今も現役で使えます。処分するには忍びないので、また引出しに収めておきます。

 

 このところ12本リングを習いたがる人が急に増えました。それはいいことだと思います。私が習い覚えた当時は3本リングが主流で、あのスローな演技を芸術的だとか言うアマチュアが多く、本数の多いリングは敬遠されていました。

 しかし、私は、「お客様に改めさせないリングは不思議ではない」。と思っていました。マジシャンが自分の都合で持ってきた3本のリングをどんなに上手く扱って、つなげはずしをしたとしても、多くのお客様は、「あれは、一瞬どこかが開くのだろう」。と推測をします。

 無論そんな都合のいいリングなどありません。然し素人は、「どこかが開くんだ」。と勝手に納得をし、それ以上の興味を持とうとしなくなります。結局演技は、ただ漠然と眺めるだけです。そのため、イベントの主催者は、

 「藤山さん、あの3本のリングだけはやらないでください。お客さんがダレますから」。とくぎを刺されます。無論私は3本リングはしません。他のマジシャンが、自己陶酔をしながら悦に入って3本リングを見せたのでしょう。然し、マジシャンの思いとは裏腹に観客をしらけさせたのです。

 それゆえ私は、改めのないリングは意味がないと考えていました。これは私の考えではなく、ダイ・バーノンの考えです。バーノンはシンフォニーオブザリングの解説の中で、リングは観客に渡さなければ不思議さは伝わらないと述べています。あの口下手なバーノンですら、リングを観客と喋って、やり取りをしつつ渡しています。

 私が12本リングに着眼したのは、初めにリングを全てお客様に渡して、改めて見せるところです。このインパクトは他の手順に代えがたいものです。これはすごい手順だ。これを生かさない手はないと思ったのです。

 

 ところが当時の、殆んどの日本のアマチュアは12本リングを馬鹿にしました。「今時、リングで造形なんてやっても意味ないよ」。と言われたのです。確かに、12本リングはいくつもの矛盾のある手順でした。つなぎ外しの技法はごくわずかで、殆どが造形作りに費やされましたし。全部バラバラにして見せる技もありませんでした。演技中に造形の説明を入れるため、演技は間延びして、冗長に見えました。

 然し、そのいくつかの問題をクリアすれば、この手順はきっと面白いものになる、と私は判断しました。実際、松旭斎千恵師匠から習いながらも、頭の中ではすでに改案がすらすらと浮かんでいました。「ここさえ直せばこの芸はきっと受ける」。と、確信していました。その後舞台で12本を演じてみると、観客の反応の良さに自分で驚きました。自分の判断に自信を深めました。以来、20年。私のショウの中で、12本リングはドル箱を稼ぎあげる手順になりました。

 私にとって、手妻で水芸や蝶が定着するまでの35歳までの稼ぎは、イリュージョンと12本リングとサムタイだったのです。実際それでビルが一棟建ったのですから間違いはありません。

リングもサムタイも、わざと喋りの技術を要するもので、まさに私の手順でした。

 20代でここに特化したことが仕事を安定させました。しかし、如何に私の仕事が順調でも、多くの奇術家は12本リングを高く評価しなかったのです。リチャード・ロスを代表者とする3本リングの影響がずっと後まで続いたのです。

 ところが、ここへきて、リングの評価が変わってきました。3本リングも6本リングも、演じる人が減ってきたのです。そうした中で、12本を見ると、派手で、不思議で、よく受けるということで、ようやく面白みが関係者の間に伝わったようです。12本リングを愛するものとしては、良い流れになったと思います。

 

 私の演じる12本リングは、かつての12本の手順とはかなり違います。今残されている手順は、あくまで私の解釈による12本です。しかし今ではこれを古典の12本リングだと思い込んでいる人がかなりいます。と言うよりも、これ以前の手順がどんなものだったのかを知っている人が殆どいません。そのため皆さん勝手に私の手順を演じています。

 アマチュアがビデオを見て、勝手に演じるのは致し方ありません。然し、プロで演じるなら私に許可が必要です。それは道義上の問題です。無論、実際に許可を求めて来る人もいます。それに対して私は、許可をしています。許可料も取ってはいません。あくまで黙認です。書付が必要なら紙にも書きます。

 但し、「一回でもいいから私に直接習ったほうがいいですよ」。と申し上げています。ビデオで覚えて真似するレベルはアマチュアのすることなのです。プロが得意芸にするなら、直接習って、その奥書を聞き出さなければだめです。やはり芸能は、直接習わなければ伝わらないことが多々あるのです。

 私が遠くの国に住んでいる人であったり、既に亡くなっている人なら、もう習うことは不可能ですが、まだ現役でいるなら、一度縁を持って習うことはプロとしては絶対に必要です。そこがわかるかわからないかがプロの真価を問われるところなのです。習っていなければその人の存在は、偽物なのです。偽物のままビデオをなぞって演じていてもどこまで行ってもアマチュアなのです。

 

 と、古いリングを眺めながら、様々なことを夢想しました。12歳の頃のリングに触れながら、あれから53年が経ったことが現実なのか夢なのか、判然としません。確実なことは、指の感触がかろうじて昔を思い出します。それも私の記憶のかなたのことです。

続く