手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

芸を受け継ぐということ

 さて今日は、午前中に弟子の前田将太に稽古をつけ、

午後はマジックを習いに来るアマチュアさんに指導をします。

その間の時間は、二か月も神田で使った仕掛の修理をしたり、

少し新しいアイディアを加えて、道具の作り直しをします。

結局一日中手妻にかかわっています。

 

 私は12歳で舞台を踏み、以来52年間、

ずっとマジックと手妻一筋に生きてきました。

ほかのアルバイトなどを一切せず、かかってくる舞台依頼の電話だけで

今日まで生活を維持してきました。

そうして生きてこれたことは別段、私に才能があったから出来たのではなく、

周囲の皆さんが手妻と言う芸能を温かく育ててくれたお陰だったのです。

 もし貧しい国に生まれていたなら、芸能だけで生きてゆくなんて、夢の夢だったはずです。日本に生まれ、幸いに芸能を理解する方々の支援あったからこそ、

私は心置きなく自分の想像する世界を形にできたわけで、

日本の社会に対して深く感謝しています。

 

 ただしこの先、マジックなり、手妻なりをする人たちが、

私と同じようにステージ活動だけで生きてゆけるかどうか、となると、

将来は不安です。それは、この先のお客様が、何を夢や憧れと考え、

何に、喜びや悲しみを感じるのか、そこが読みにくい時代になってきているからです。

世の中の価値観は、少しずつ変わりつつあり、

いかに古典芸能とはいえ、お客様の求めている世界に対して、

今ある芸能が多少ずれてきている部分があるのです。

そこを常にマイナーチェンジして、なおかつ元の形が崩れることなく、維持してゆかなければならないのです。

 

 そのことを、次に時代に手妻を演じる弟子たちにどう教えるか、

どう演じたら彼らの生活が成り立つかを指導してゆかなければなりません。

そこを間違えて、かたくなに変革を拒否したり、

逆に安易に世の中に流されて伝統の良さを失っていったなら、

手妻は十年とたたずに消えて行ってしまいます。

 

 かつて、私は十代の時に、手妻の演じ手が年々亡くなって行く姿を見て、

不安になりました。でも、若かった私には、

何をどうして行っていいかもわかりませんでした。

暗中模索の内に、試行錯誤をしながら、何とか今の手妻を残すことに成功しました。

 成功と言いましたが、さっき申し上げましたように、

今日まで残ったから、それで成功というものではありません。

消えるとなれば十年もかからずに消えてしまうのです。

 

 私が常々考えていることは、古典は『残す』のではなく、

『生かす』ことだということです。

博物館の陳列ケースにしまっておいて、それで残ったことになるなら、

手妻は何も変える必要はありません。

そうではないでしょう。実際に手妻を演じて見て、お客様が面白いと思うかどうか。

それを日々問われるのが仕事です。手妻を仕事とする以上、

多くのお客様から、常に手妻が求められているものでなければ残らないのです。

演じる側が『残す』と言うことにこだわるのは、お客様の側から見たなら、

演じ手の飯の種、すなわち自分の都合に見られてしまいます。

 いくら古典芸能は残すべきである。と声高に手妻師が言っても、

それは自分の都合を世間に主張しているだけに聞こえます。

 そうではないのです。『残すべき』を語る前に、それそのものが世間の役に立っているということを実証して見せなければ、人の共鳴は得られないのです。

 共鳴を得るとは何か、それが『生かす』ことなのです。

どんな古典も現役でなければ残す意味はありません。

今見ても面白い、価値があるものだ。と思っていただけるお客様がいれば、

古典は何も語らずとも残ります。

 

 弟子が来ない。仕事がない。と嘆く前に、自分のしていることが人の役に立っているかどうかを常に見極めていないと。どんなに歴史のある芸能も消えてゆきます。

そのことを思いつつ、次の時代の若い人に芸能を教えてゆかなければなりません。

日々そんなことを考えながら、ご指導をしています。

さて今日も一日アトリエに缶詰めで仕事をします。