手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジック界の様々な問題

 先月8月には、マジック界で、思いもよらない問題がいくつか起きました。

なぜこんなことが立て続けに起こるのか、実は、それぞれの問題は、大元をたどれば一つのことにつながります。私のところに意見を求めてくる方も多いので、ここは丁寧に私見を述べようと思います。問題は大きく四つあります。

 

一つは、ネットでの種明かしの問題。

二つ目は、マジック団体会長の刑事事件の問題。(これはまだ未決のことですので、完全に結論が出てから、近々お伝えします。)

三つ目は、マジシャンが起こした詐欺事件。

四つ目は、これは私にもかかわることですが、アイデアの盗作、無断販売の事件。

 

 ひとつずつの話が、どれも多くの問題を抱えていて、簡単にお話しすることはできません。今日は「ネットの種明かし」について書きましょう。

 

 ネットで種明かしをすることはいいことか、悪いことか、いや、それを語る以前に、種明かしがいいか悪いか、実は、マジック界はここに基準がありません。

種明かしはマジックにおいて最も基本的な問題ですが、これまで明確な答えが示されていないのです。 答えがないまま、頻繁に起こる個々の問題を、個々の人が、自己の裁量で対処しようとするから、常に判断が分かれます。種明かしをした側からすれば、

「マジックの普及のつもりでしている。なぜこんなに言われなければならないか、」

とか、「あの人は怒られないで、なぜ俺だけが言われるのか」などと、不満が残るでしょう。第一種明かしがいけないと言っても、何ら罰せられることがありません。多くの場合、やったもの勝ちになります。陰で話がくすぶるだけで、苦情は苦情のままに終わります。結果として、種明かしは繰り返されることになります。

 

 私が奇術協会の役員をしていた時には、度々種明かし番組を作るテレビ局があり、その都度私や、北見マキ、松旭斎すみえは抗議に出かけました(今から20年前になります)。抗議をして、テレビ局から謝罪文も取りました。しかし、いくら抗議をしても、ほかの番組で新たな種明かし番組がされたなら、全く鼬ごっこになります。それでも抗議を繰り返しました。私が種明かしに抗議しているときに、多くのマジシャン、またはアマチュアは、「抗議なんて無駄だ。結局テレビ局には勝てない。」と言う人が圧倒的でした。しかしそうではなかったのです。効果は徐々に現れました。

 テレビ局は、我々が思っている以上に、視聴者の好みを気にしますし、事の善悪に対して敏感です。ひとたび、視聴者から種明かしがばかばかしいからやめろと、攻め立てられるようになれば、番組を変えざるを得なくなるのです。

 実際、何度もテレビ局に抗議に行くうちに、テレビ局の内部でも、「種明かし番組を作ることは、結局弱い者いじめをしていることにならないか」という雰囲気が生まれてきました。私は抗議をするたびに、「立派な大学を出たプロデューサーが、人生をかけてする仕事ではないでしょう」と言いました。この言葉はプロデューサーにとってはかなり堪えるセリフだったようです。内心自分たちも種明かしなどと言う低レベルの番組を作ることを恥じていたのです。局内でも種明番組が冷淡にみられるようになり、彼らは、局内での評判も下がっていったのです。

 こうした交渉で私が学んだことは、たとえ法に触れていないことでも、人が嫌がることをする人には、根気よく抗議をすることが大切だと言うことです。種明かしをされたらマジシャンが困ることは誰でも判断がつきます。それをわかっていながら人の嫌がることを繰り返していると、やがて番組制作者は、組織からからも冷遇されてゆきます。

 

 大切なことは、我々が、迷惑をこうむっているということを、はっきり何度も、何年も、繰り返して言うことなのです。マジシャンが本心、種明かしを望んでないなら、ひたすら地味な活動を続ける以外解決の道はないのです。

 アマチュアは種明かしの問題を、プロマジシャンに押し付けてはいけません。プロマジシャンは抗議のために生活している人たちではありません。むしろテレビ局とは仲良くしてゆきたいのです。あくまでプロマジシャンは、マジック界の表の顔として生きてゆく人たちなのです。本来、多くのアマチュアはプロを支えてやらなければなりません。(実は多くのアマチュアはこの意識が希薄です)

 本来種明かし問題に動くべき人達は、各マジック団体や、マジックショップ、マジックメーカーであるべきなのですが。彼らは個々でネットで批判するひとはいても、組織として動こうとはしません。不思議です。

 彼らは何のためにマジック組織を起こしたのでしょうか。日本各地にあるマジッククラブは、毎月2つ3つのマジックを習い覚えるためだけの組織でしょうか。彼らがマジックを趣味とするなら、その何割かの時間を割いて、奇術界のために活動することはいわば義務なのです。義務を果たさずに、権利だけを主張していると、やがてそこに、一層わがままな人間がやってきて、今ある組織を壊してゆきます。

それが近年のネットの種明かしにつながるのではないでしょうか。

 

 ネットの種明かしはいけないことでしょうか、いけないとしたら何がいけないのでしょうか。各マジッククラブが毎月会員を集めて種仕掛けの指導をすることとネットのマジック指導は何が違うのでしょうか。こうした問題になぜマジックの団体は傍観者でいられるのでしょうか。迷惑なことをされたならなぜ抗議をしませんか。

 

 マジックは秘密を公表しないという原則によって成り立っている芸能です。ここに、純粋に不思議を演じようとするマジシャンがいたとして、その脇で訳知りにそのトリックを吹聴する人がいれば、それはマジシャンにとって迷惑です。映画館や、劇場で、今演じている芝居の結末を大声で言うような人がいれば、それは社会的に通用しない人なのです。そのことは誰でもわかることです。

ネットの種明かしはそれと同じことをしています。 ネットは無料で、だれかれの区別なく種が公表されてしまいます。そのことはテレビと同様です。何の気なしにつけたテレビからマジックの種明かしがなされたら、マジックに興味も何もない人ですら種が知れてしまいます。多くのマジックに無関心な人が、種を知ると、「なんだ、あんなことでマジックがされているのか」とマジックそのものを軽蔑して見るようになります。「いや素晴らしい。これでできるなら私もしてみよう」そう思う人は実はわずかです。知らなくてもいい人たちにまでトリックを公表する必要がどこにあるでしょうか。結果として、種明かしはマジックの価値を下げて、自ら下衆に落ちる行為をしているのです。しかも、そのことで迷惑するマジシャンがいることに無理解です。

 ネットで種明かしをしている人は、マジシャンをつぶしているのです。自分が広い意味でマジック界の一員である意識がないのです。秘密を公開せず、共有するというルールからはみ出しているのです。それでいて、「昔からあるマジックを種明かしして何が悪い」と居直る人がいます。そうです。古いマジックには著作権がありません。権利で種明かしを縛ることができません。しかし、古典はマジック愛好家がみんなで秘密を共有して守ってゆくべきものです。著作者がいないからと言って、勝手に種明かしをしてよいものではありません。今もその作品を現役で使っている人がいることに無理解なのはこの世界で活動する人のすることではありません。そうした自己本位な考えが、純粋にマジックを演じようとする人の活動を邪魔しているのです。

 人に配慮のない人が、種仕掛けを知っているという理由だけで、指導家となって、ネットで種明かしをしてもよいのでしょうか。種の知識を語る以前に、指導家となるならまず、人間関係をしっかり身につけなければならないのではありませんか。

 多くの種明かしをする人が言い訳とする、「マジック界の普及のために種明かしをしている」というのは、大きく目的を間違えています。種仕掛けだけとらえて、それを公表することでマジックが普及することなどありえないのです。それは種の暴露であって、マジックの普及にはつながりません。

 

 私のよう徒弟制度の中で育ったものは、師匠から習うことと言うのは、種仕掛けだけではありませんでした。まず人との付き合い方、あいさつの仕方、仕事先との応対の仕方、お客さんへの礼状書き、つまり社会でいかに生きてゆくかが修行のほとんどでした。それができた上でのマジックの稽古だったのです。人との付き合いができなければ長くこの道で生きてゆくことはできないのです。いや、仮に、生きたとしてもいい仕事は手に入らないのです。良いマジシャンが育つには、種仕掛けの指導だけではどうにもなりません。もっと人として基本的なことを繰り返し学ばなければ人は育ちません。

 話を戻して、マジック界は、優れたマジシャンが育たない限り、マジックの普及はしません。顔も映さず、手元だけ映ったトリック解説をいくら見ても、わかるのは種仕掛けだけです。その解説をしている人を尊敬しようとは思わないでしょう。多くの人は、愛すべきマジシャンが、いい夢を作り上げてくれた時にこそマジックを素晴らしいと思います。まず人なのです。優れた人を作り上げない限りマジック界は優れた社会にはならないのです。

 マジシャンがいくつトリックを知っているかが重要なのではありません。まずマジシャンに魅力があって、そのうえで極上の世界を見せてくれる人が現れない限り、多くの人は、マジック界に寄っては来ません。

 

 私はかつて、IBMやSAMやFISMのコンテストチェアマンに質問をしたことがあります。「なぜコンテストをするのですか」と、すると三つの団体のチェアマンは同じ答えを述べたのです。

「優れたマジシャンが欲しい。それも、マジック界の中で優れていると称賛されるようなマジシャンではなく、一般の観客が見て、マジックを素晴らしいものだと思ってくれるような、一般に通用するようなジシャンを育てたい。そうしたマジシャンが現れて、初めてマジックコンベンションにたくさん人が来るようになるんだ」

 日頃コンテスタントの演技を見て、スチールが見えるだの、流れが古いだの、種や、演じ方に文句をつけるチェアマンが、その実、芯から求めていたのは、人だったのです。優れたマジシャンが育たないことには、コンベンションに人が集まらないのです。

 冷静に考えてみてください。アマチュアのマジック団体も、メーカーも、マジックショップも、ネットの種明かしも、彼らの活動の究極的な目的は何ですか。優れたマジシャンを作ることにあるのではないですか。そこから逆算して、優れたマジシャンを育てることに反した行為はすべて間違った行為だと思いませんか。

 無論、みんなすべての人がプロマジシャンになれるわけではありません。ディーラーも、研究家も、アマチュアも、いろいろなマジック愛好家がいてこそのマジック界です。しかし芯となるものは優れたマジシャンを育てることにあるのです。

 

 先日ネットを見ていたら、レモンに通うカードを種明かししている人がいました。あれは無論古典です。昔は私も演じていました。優れたマジックです。今も現役で演じる人がいるはずです。それをネットで種明かしをしてしまうことに何の意味があるのでしょう。今、実際演じている人に迷惑がかかると思いませんか。

 古典の名作をネットで種明かしする資格がどこにありますか。それを公開して種明かししたものに何の勲章が手に入りますか。指導家としての尊敬ですか、わずかばかりのネット収入ですか。その見返りに多くのマジシャンから恨まれて何の得がありますか。仮に、そのネットを見てマジックを覚えた人は、優れたマジシャンになりますか、いや、そこから学んだ人は、種明かししている人と同じように、世間の見えない、種でしかマジックを考えられない狭い視野のマニアを作ることにしかならないでしょう。そこから優れたマジシャンが育ちますか。

 そもそも種明かしをする人は、自分がマジシャンとして見せる実力を持たないから種明かしをしているのではありませんか。種明かしをする人は自分が演じるマジックで人に大きな夢や喜びを与えられないから種明かしをするのではありませんか。わが身をもう一度眺めてごらんなさい。今の活動に将来がありますか。自分がマジックの世界で生きてゆきたいなら、仲間に迷惑の掛かるようなことはしないことです。そうした基本がわからない人が指導をしてはいけません。種明かしはマジシャンを育ててはいません。やっていることは限りなくマジックの価値を只にしてしまっていることにしかならず、行為は、種の暴露であり、自分の身過ぎ世過ぎの手段にしかなっていないのです。

 教える人はまず初めにしっかり学ばなければいけません。学ぶことは種仕掛けだけではないはずです。中途半端なままおかしな指導はおよしなさい。人の嫌がることはせぬことです。老婆心ながら申し上げます。