昨日(8月8日)、自宅で作業をしていると、4時40分くらいに、 地震の速報がありました。場所は宮崎県で、震度6だそうです。震度6ならぎりぎり家の倒壊も免れそうですし、大した支障も出ないのではないかと思っていましたが、テレビは、この地震が「南海トラフ地震」の引き金になる可能性がある。と考えているらしく、ずっと画面の左脇に、「南海トラフ地震 巨大地震に注意」という文字を流し続けていました。
以前、熊本地震の際に、震度6の地震が二日続けて起こって、実際に多くの建物が倒壊しました。どうやらそれと同じことが、今度は宮崎県から、四国、関西まで広範囲で起こる可能性があると予測したのでしょうか。先のことは分かりませんが、可能性がないとは言えません。
今回の宮崎沖の震源地が、恐らく南海トラフ地震の震源地と一致しているのでしょう。そうなると穏やかではありません。この日の地震が南海トラフ地震の予兆であると考えると、昨日一度の地震で災難が去ったわけではなく、この先も数日以内に大きな地震が来ると考えられます。
然し、そうだとしても、来るか来ないかもわからない南海地震を、テレビがずっと、南海トラフ地震の可能性ありと叫び続けることは、九州、四国地域の人たちに不安を煽る結果となります。これは煽り過ぎではありませんか。
そもそも、大地震が来るから注意せよと言って、実際、日々生活している人は何を注意したらよいのでしょうか。仕事をするものにとっては、外出をしないと言うことすら不可能でしょうし。数日間の食料備蓄ぐらいはしたとしても、他にさしあたっての注意もしようがないのではないでしょうか。結局この国に暮らす以上、地震は常について回ることで、個人のできることには限りがあると思います。
思えば今年の1月1日に、能登半島で大きな地震があり、その被災者はいまだに避難所で暮らしている人も多く、弁当なども一日一回しか届かずに、食事に事欠くありさまだと聞きます。電気、水道はまだ通らず、不便な世活をしている人がたくさんいるそうです。
日本は地震の多い国でありながら、どうして地震災害の復旧にこうも時間がかかるのでしょうか。災害の時のプレハブ住宅や、仮設住宅などは、県単位でストックしておいて、災害となったらすぐに住居を建てられないのでしょうか。ネットには、半球体のエスキモーの住むような仮設住宅が出ていますが、あれを県単位で5000セットも買い置きしておいては如何でしょう。費用は無論国費で負担するのです。
半分崩れた自宅の中で、電気も通らずに、雨漏りのする中で暮らしている人が少なからずいると聞きます。あるいは、学校の体育館などに半年も仮住まいし続けている人もいると聞きます。歳をとって、こんな状況に暮らしていては、精神的に疲弊してしまいます。能登半島の被災者の余りに惨めな生活をテレビで見ていると、もう少し何とかならないのかと思います。
全国から集まるはずの義援金も、実際にはほとんど被災者の手に渡っていないと聞きます。どこへ行ってしまったのでしょうか。目に見える形で、被災者のために使われることはないのでしょうか。
私は寄付としての支援はしても、被災地に出かけてマジックをするようなことはしません。突然出かけてマジックをしても、被災者にとっては邪魔なだけでしょう。生きることに必死な人たちには部外者がやってきて、その日だけ活動して見せて、派手なショウをして慰めても、きっと迷惑なはずです。
人が集まったり、テレビ局が来たりすれば、災害復旧活動の邪魔になります。タレントが炊き出しを手伝ったり、声掛けをすることは、いらぬお世話なのではないかと思います。被災者が求めているのは、毎日三食温かい食事が提供されることと、電気、ガス、水道が復旧することです。それが出来ないうちは、コンサートもマジックも決して見ていて楽しいものではないはずです。
地震が来るのは致し方のないことです。然し、いざ地震が来たなら、速やかに仮設住宅ができ、簡易のガス、水道がすぐに引けて、電気が通り、不自由な中でも文化的な生活が出来るように、日ごろから備蓄をしておくような方法は考えられないのでしょうか。
ほぼ必ず、年に一、二度大きな災害が来るような国なら、そうした災害対策があってもいいはずです。何をおいても、国の予算を第一に災害対策に充てたほうが良いと思います。
と偉そうなことを書いていますが、こうしている間も、今日にも明日にも南海トラフ地震が来ないとも限りません。いやいや、九州地方だからと他人事に考えていると、関東大震災が来ないとも限りません。災害は必ずやって来ます。
高円寺一帯が大災害に見舞われることだってあるのです。そして、家をつぶされ、マジックの道具も燃えてしまい。住む場所もなく、近所の学校の体育館で生活をしなければならないことにもなりかねないのです。その時、誰か歌手が来てくれて、目の前で歌を歌ってくれたとして、私の心は慰められるかどうか。きっと一層侘しくなるでしょう、あぁ、明日は我が身だなぁ、と思います。
続く