手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

誕生日

誕生日

 

 昨日は女房の誕生日でした。毎年女房の誕生日は、別に大したことをするわけではなく、高円寺の駅前にあるいろはと言う鰻屋に行き、うな重を食べることが決まりです。いつもは娘のすみれが来るのですが、すみれは一週間前にコロナに掛かってしまいました。

 今どきコロナも珍しいのですが、数日会社を休んで寝ていたそうです。娘がコロナに掛かるのはこれが二度目です。コロナはかつての勢いはなくなっているでしょうから、全く風邪と同じことでしょう。寝ていれば直ります。

 私の女房は、天ぷらとか、フライとか、鰻とか、脂物が大好きなようです。その中でも鰻は最高の好物のようです。無論私も大好きなのですが、何にしても鰻は、糖尿病には最大の敵です。脂肪分が多く、米は糖質に変わりますし、たれは糖分過多になります。たまに食べる分には問題ないのですが、しょっちゅう食べると覿面に血糖値が上がります。そのため、鰻を食べるとなると、前後数日は、余り米を取らず、脂物を取らないように気を付けています。

 ただ、いざ食べるとなると体のことなど気にしてはいられません。根が大好きなのですから、重箱を見ただけで食欲がわきます。さて、この日は、鰻屋の親父さんが休みで、息子さんが店を仕切っていました。この親父さんと私は同じ年です。最近親父さんはちょくちょく休むそうです。

 鰻が来るまでは、モズクと枝豆をつまみに、ハイボールを呑んでいます。女房はオレンジサワーです。本当は鰻なら、酒なのですが、この後デスクワークをする都合で、ハイボール一杯と決めています。半分ほど飲んだ時に、鰻の骨を焼いたつまみがサービスに来ました。

 「あぁ、これはいけない、塩気がきつくて、ついついハイボールをお替りしてしまう。骨を食べているうちに、アルコールが増すといけない」。ここはお代わりを抑えなければいけません。

 やがて奥さんが重箱を持って来ました。いつもならテーブルに重箱を置いてそそくさと去って行くのですが、どうもこの日はいい鰻が入ったのか、私が蓋を開けるまでじっと待っています。蓋を開けると飯が見えないくらいびっしりと大ぶりな鰻が敷き詰めてあります。「あぁ、これは立派だ、色もいいし、大きいね」。

 そう言うと奥さんは満足して下がって行きました。誕生日を祝って、松のうな重にしました。女房は、「こんな大きな鰻でなくて、私は竹で良かったのに」。と言いつつも、当人は人一倍鰻が好きですから、顔がほころんでいます。

 何のかのと土産を買ってきたり、人から頂き物をしたりして、日本各地の旨いものは食べてはいますが、それでも女房にとって鰻は別格のようです。鰻料理は家で作ることが出来ませんし、調理してある鰻の蒲焼は、どうも鰻の甘露煮のようで、甘さがくどくなりがちですし、焼き立ての鰻でないために身に柔らかさがありません。やはり焼き立ての鰻を飯に乗せて食べるのは最高の贅沢です。

 土用の鰻と言って、暑い夏に鰻を食べるのは、暑さで弱っている体にいいと昔から宣伝をしていますが、実際は、その日に鰻を食べて、翌日、翌々日に体に滋養が回るものではありません。体力を養うなら、もう少し早くから何度も鰻を食べておかないと、ひと夏に一度の鰻でスタミナが満たされるものではありません。

 とはいえ、粗食だったかつての日本人からすれば、鰻はとても魅力的な食事だったのでしょう。今ではむしろコレステロールだとか、脂肪過多になることを心配して、食べるのを我慢する傾向にあります。とは言うものの、好きな人には止められません。

 私も日ごろは肌って鰻を食べようとはしませんが、食べたい気持ちは常にあります。然し、それは、ステーキや、すき焼き、焼き肉と同じように、せいぜい月に一、二回程度に抑えて我慢しています。その分、食べようと決心したときの、鰻を食べる喜び、ステーキを食べる喜びは格別です。旅先でもたまに一人で、ステーキを注文して、焼き上がるまで、水割りを楽しむこともあります。そうしたときには、350g程度の大きめなステーキを食べます。どうせ食べると決めたのですから、たっぷり牛肉を味わいたいのです。こんな時の食事は心から幸せを感じます。

 

 女房は「いつも買い物に行くときに鰻屋さんの前を通るのよ。あぁ、今日も焼いているなぁ、と思って通り過ぎるの」。食べたい気持ちありありです。さっきは「竹で良かったのに」。と言っておきながら、鰻も飯も残しません。私に「少し食べませんか」。とも言いません。私と同じにきっちり一人前食べました。食べたかったのでしょう。

 この日の朝、「今日は君の誕生日だから、鰻でも行こう」。と言うと、女房は急に晴れやかな顔をしました。たぶん、数日前からひょっとして私の口から、鰻屋の話が出るんじゃないかと、ほのかな期待していたのでしょう。然し、自分からは決して言い出しません。大人しいのです。

 ましてや昨日はすみれが来れないことが分かっていましたから、誕生日は素通りされるのか、と諦めていたのでしょう。思いがけなくも念願かなって良かったのでしょう。雨の中を出かけて、帰りも雨、一日中雨は止みません。でも楽しそうでした。こんなに鰻を喜ぶのなら、矢張り松にしてよかったと思いました。

続く