手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

足りない足りない

足りない足りない

 

「政治には金がかかる」。それはその通りでしょう。全く活動費用なくして政治活動は無理です。だから、国会で政治資金を助成して、活動費を国の予算から出すようにしたのではないですか。毎年各政党に相当な金額を支払っています。

 でもそれでは足らないようです。足らないならなんとか自分たちで資金を作ろうと、政治家は、政治パーティーを開いて、そのパーティー券から政治家個人にお金がキックバックするように、リベートを考え出しました。

 巧い方法です。これなら国民にばれずに、資金が集まり、政党助成金もそのままもらえて、まさに二重取りで、充分活動資金も潤うでしょう。それを長い間続けて来て、その間、キックバックの収入は所得に記載しませんでした。これが永久にばれなければよかったのでしょうが、ある日ばれてしまいました。

 一連の行為は脱税です。先ず政治家が活動資金を手に入れたのなら、資金を報告しなければいけません。報告もしない、税金も支払わない。これは犯罪です。国会議員が脱税したら、もう国の在り方の根本が問われてしまいます。国会議員だけが脱税が許されるのは不平等です。どうせならサラリーマンも、ラーメン屋も芸人も脱税していいことにして下さい。

 と、いくら言ってもそうはいかないでしょう。国会議員は立法府の政治家です。立法府とは自らが法律を作ることのできる人たちです。議員の年収ですら、自分たちで決められるのです。こんな有り難い特権はありません。言い放題のやり放題です。これまでも、議員歳費は勿論のこと、新幹線に乗ることもタダですし、海外視察に行くことも国費でできます。そうした特権を下々に手渡すことはあり得ないのです。

 然し、キックバックがばれてしまってはやむを得ません。自民党は、昨日(4月7日)バックマージンを企画した政治家、バックマージンを貰った政治家に処分を下しました。すると、政治家の間から、その処分の仕方が、岸田首相の一派には甘いだの、二階さんや、森さんには軽いだの。刑の軽重に不満を言う政治家が現れました。

 泥棒が一度に何十人も捕まって、その中で、「俺は大して盗んでいない」。とか「指示したのはあいつだ。俺はただついて行っただけだ」。と言っているのです。結局貰ったことは事実だし、脱税したことは事実です。

 こんなことで内紛を続けていたら、自民党の支持者は激減して、政権の座を失います。自民党が危機であることは誰が見てもわかります。でも、そうは言いながらも、自民党はたいして焦ってもいません。普通なら、自民党の体たらくは、野党のチャンスであるはずなのに、それじゃぁ、どの野党が自民党にとって代わって政権が取れるのかと言えば、どこも頼りないのです。

 一党で政権が取れる野党は一つもありません。全野党がまとまれば自民に対抗できますが、例えば、保守党や、維新の会や自由党共産党と組めますか。立憲民主党は、大きくまとまれますか。仮に自民党を追われてバックリベートを貰った政治家を野党に引き入れたとして、それで清く正しい政党が作れますか。

 うまく行かないですよね。上手く行かないことは国民も知っているのです。だからただただ失望しているのです。「自民党がだめでも、野党に任せるよりはましかなぁ」。そんな風に考えている人が大勢いるのです。

 「右も駄目なら左も駄目」。これでは閉塞状態です。こんな時こそ突然、パッと飛び出してきて、人をまとめて、希望を抱かせてくれるような政治家が現れませんか。国民に方向を示せる人は出ないものでしょうか。

 その昔は王様が権力を握っていて、個人の裁量でことが決まってしまうことに弊害がありました。そうならないために民主主義が生まれて、選挙によって代議士ができ、法律によって政治をして行くようになりました。然し、その代議士が結局仲間を募って自分たちに都合のいいシステムを作り合法的(あるいは非合法的)に犯罪を犯すようになりました。結局民主主義は役に立たないのでしょうか。でもそれに変わる政治手法が見つかりません。どうしたらいいのでしょうか。

 

 ところで、話は少しずれますが、これだけ災害の多い国なのですから、災害に備えるために、自衛の組織を各町内で作っては如何でしょう。いざと言う時の食料、飲料水の確保。仮設住宅を事前に用意して。何かの時に備えて、半ボランティア組織を作ってはどうでしょう。

 江戸の昔の町火消ではありませんが、各町がボランティア組織を持って、国や自衛隊にばかり頼るのではなく、日ごろから自分たちで自分たちの地域が守れるようにしなければ、実際の災害が起こったときに、食べるものも、住むところも無くなって、ただ人頼みでは情けないですね。

 中には災害省を作れ。と言う人もあります。でもどうでしょう。省を増やせば税金がかかります。災害省で、薬を調達したり、プレハブ住宅を購入すれば、そこにまた利権が絡んで、一儲けする政治家が現れます。仮に市町村にその業務を頼んでも結果は同じでしょう。担当職員を増やし、職員の給料から、ボーナスから、年金から定年後の再就職まで面倒みると言うのは、災害から町の人を守るのではなく、職員の生活を守る結果にしかならないのではないですか。

 一昔前なら、「国が何とかしろ」「市が何とかしろ」。と騒いだのですが、そうして何でもかでも市町村や国に頼ることが、逆に人々を食い物にして、国も、県も、市も、いらぬ箱モノを作って大赤字を抱えて、各市町村は瀕死の状態です。結果として税金の無駄遣いで、建築屋さんと市の職員は安定した生活ができましたが、その分市民の負担は大きくなって身動きできなくなっています。どうも政治に頼るのは危険です。

 どこの誰かもわからない人に投票することからしてそもそも危険な行為です。無駄に税金を使わず、天下り組織や職員を増やさないようにするには、目に見える範囲の町の有志、例えば50人程度の町内の人から有志を募って、自衛の活動をして行った方がいいのではないかと思います。

 政治家はそうした地域のボランティア活動を10年した実績の人が、地域の仲間の支援を得て、市会議員や、県会議員となり、更に地域ボランティアを10年して、国政に出てはどうですか。知らない人を政治家に選ぶのではなく、よく働いてくれる、見知った人を手堅く選ぶ基準を作りませんか。

 輪島や珠洲市の災害をニュースで見ていると、働いている人のほとんどが町の有志であり、市の職員です。「こんなときに人のために働いてくれる人が政治家になるべきだなぁ」。と思いました。

 続く