手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

国葬、宗教、

国葬

 

 安倍元首相の葬儀を国葬にするか否かでもめています。安倍元首相のこれまでの実績のみであったなら、自民党葬当たりでもよいかと思いますが、選挙の活動中に狙撃されたと言うのであれば、これは特別と言えます。

 戦前、戦後すぐの時代であるなら、狙撃や襲撃も多々ありましたが、令和の時代になってまで狙撃による元首相の殺害が起こると言うのは異常です。一体、日本のどこに政治家を狙撃しなければならない理由があるのか、首をかしげてしまいます。

 犯人の供述では、統一教会に対するこれまでの恨みから、統一教会を支援していた安倍元首相を殺害することで社会に喚起を促すものだったようです。どうも飛躍した話です。統一教会に不満があるなら、まず統一教会のリーダーを狙撃すべきでしょう。如何に安倍さんが統一教会とつながりがあったからと言って、統一教会への不満を直接安倍さんに向けるのは見当違いです。

 実際、統一教会と安倍元首相との関係は深いものがあったようです。安倍さんの秘書が議員に立候補する際には何から何まで統一候補が支援していたようですので、まったく実体のない名前だけの顧問(かどうか知りませんが)などを務めていたわけでもないようです。やはり、浅からぬ関係があったと思います。

 安倍さんはいろいろな問題のある人ではあっても、外交面でも、防衛、経済と大きな実績を残し、海外の政治家から最も信頼された政治家です。ここは民主主義国家である日本が、テロに屈せず、民主主義を守る姿勢を世界に示す意味でも、国葬がふさわしいと思います。

 

宗教

 政治と宗教の関係は、つながりを持ってはいけないことになっていますが、実際は有形無実です。宗教と政治のつながりはどこでもべったりつながっています。宗教を信じる信徒に、宗教家が特定の政治家の支援を訴えれば、その影響力は大きく、「右向け右」で、みんな特定の政治家に投票するでしょう。闇雲に若者層や、浮動票を狙って演説するよりは確実に多くの票が集まります。

 そのため政治家は、新興宗教だけでなく、街の神社やお寺さんの行事までこまめに顔を出し、信者に声がけします。政教分離の原則はあっても、一概に宗教行事を否定することは出来ません。そもそも政教分離を言ったら、公明党は存在し得ないわけです。

 また海外でも、政教分離はされてはおらず、ヨーロッパにも、キリスト民主党、などと言う、明らかに宗教とつながった政党が政治活動をしています。

 そうなると宗教活動に顔出しする政治家を、一概に「法律違反だ、間違っている」。とは言えませんし、むしろ政治家にとっては手堅い票田なのです。

 

 今回の統一教会の問題は、政治家とのつながりよりも、その集金力の方に話題がクローズアップされています。いわば存在そのものを疑われているわけです。私のように、バブル期を経験した者にとっては、統一教会のバブル期の強引な霊感商法は、テレビや新聞などで散々騒がれていたたため、怪しい組織として認識をしていました。バブル後、噂を聞かなくなったため、組織は縮小されたのかと思っていました。

 むしろ今回のことにより、安倍元首相が、統一教会に関与し続けていて、なおかつ統一教会がそれなりの信者を要して活動していたことが意外でした。どんな宗教でもそれによって心が救われる人がいるわけですから、一概にその宗教は悪い、つぶしてしまえとは言えません。信じる人にとってはかけがえのないものです。

 

 宗教と言うものは、どんな宗教でも大体同じことを言っています。親や家族を大切にする。とか、仲間を愛する。とか、嘘を言わない。とか、人を殺していい。人を傷つけていい。などと言う宗教はありません。そうでありながら各宗教は何が違うのか。と言うなら、宗教を維持する費用をどこから集めて来るのかによって、宗教の立場が変わって来ます。

 宗教そのものは生産性のないものですから、どこかでスポンサーが必要です。いくら家族愛、人類愛を語っても、それで宗教家が生活して行けるものではありません。日々の活動資金をどこに求めるかは死活問題なのです。

 多くの宗教では自然自然に信者が寄進するように話しをします。宗教家は、「決して強制してお金を受け取っているわけではない」。と言いますが、それはマジックの技法のフォース(強制と悟られないような強制法)と同じで、如何にも相手の任意で選んだカードのように見せかけて、その実、マジシャンの仕組んだカードを引かせる技法と同じなのです。つまり強制ではないと言いながら、上手に強制しているのです。

 無論、直接、教祖が強制はしませんが、信者同士が何となく、寄進しなければならなくなるような雰囲気に話を持って行きます。知らず知らずに霊感商法に嵌るように仕向けて行くのです。

 例えば、ヨーロッパではキリスト教が国教になっていますので、キリスト教の活動費は一部国によって負担されます。日本の仏教は、国の負担はありませんが、長い歴史の中で、土地建物の所有が認められていて、なおかつ無税ですので。活動維持は優遇されています。古くからの宗教はいろいろな面で守られています。

 強力な支援者を持たない新興宗教などが、収入を得ることが難しく、時として無理な勧誘をしたり、怪しげな商品を売り付けたりします。そこでいろいろなトラブルが起こり、マスコミを騒がせます。それはいつの時代でも起こることで、常に新興宗教に付き纏う問題です。

 今、マスコミはみんなして統一教会を叩いています。私はそんなことをしても無意味だと思います。幾ら叩いても新興宗教は次々に出て来ますし、集金の方法は形を変えて出て来ます。収入がなければ宗教もやって行けないからあの手この手を使います。信者も、いつの時代でも救いを求めて宗教に嵌る人はいます。そんな人が、財産を失う前に、話を聞く相談所などを充実させて、宗教に強く自制を求められるような権限を持った組織を育てて行くことの方が役に立つと思うのですが、どうでしょう。

続く

 

アゴラカフェ休演

 24日(日)のアゴラカフェでのマジックショウは、メンバーの中でコロナ感染者が出たため、休演いたします。次回は8月7日です。