手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

言って詮無き事

言って詮無き事

 

 今はなかなかこうした言い回しをする人がいなくなりましたが、詮無きの「詮」とは、所詮と言う言葉に使われるように、結果、とか、果たしてとか言う意味で、結果の先には否定の色が見えます。つまり言って詮無きこととは、やっても無駄。言っても意味がないと言うことです。

 所詮と言う言葉には、諦めを感じます。演歌などでは、「どうせ」とか、「しがない」などと、なかば世の中を投げたようなセリフが良く出て来ます。そうした中で少し知識のある人の言い回しになります。

 「どうせ拾った恋だもの」。とか、「所詮この世はこんなもの」。という諦めのセリフは、現代で言う、「親ガチャ」。に似て、どうしたって世の中は変えられない。と言う諦観でしょうか。

 こうした言葉は、ある程度の年齢に達した人は安易に使ってはいけません。所詮、などと言う枕詞を冠すると、そこから先に話す内容は、全て世の中の否定になります。つまり延々愚痴を言うことになります。こう言う言葉を言い出すと、周囲から人が去って行きます。話の中身に可能性が見えないからです。

 

 実は、私の昔からの仲間の中にも、「言って詮無きこと」を言う人がちらほらいます。それも、熱心に電話をして来て、黙って聞いていれば、延々30分でも1時間でも話し出します。話の内容は、若いマジシャンの技術の無さ、センスのなさ、なぜあんなマジシャンをテレビ局は使うのだろう。等々とひたすら腐します。

 そうした話に私を引きずり込んで仲間にしたいのでしょうが、私は興味がありません。如何に若いマジシャンが下手であろうとも、内容が悪かろうとも、私には関係ないのです。弟子の話でも出てきたなら少しは気にしますが、誰がマジックをしてもそれは私の興味ではないのです。

 「あのさぁ、若い人と言うのは大概下手なものじゃないの?。あんただって若いころは下手だったでしょう。同じだよ。初めのうちはみんなマジックが下手だったの。それが仕事をして行くうちに巧くなるの。そう言うものでしょう。心配することはないよ。そのうち巧くなるから」。

 「でも、プロなら最低知っておかなければならない基礎があるのに、基礎をすっ飛ばして勝手なことをしているのがおかしいよ」。

 「そう、そう、おかしいんだよ。若い人は理屈で分かろうとはしないから、感覚でマジックを捉えるから、平気で矛盾したことをするんだ。たぶん。私もあんたも若いうちはおかしなことをしていたはずだよ。でもだんだん年齢を重ねるうちにおかしなことはしなくなるし、人はみんな同じようなレベル、同じような考え方に集まって来るんじゃないの。細かなことを言わないで、大きな目で見てやることだよ。そうでないと若い人は伸びないよ」。

 「でもさぁ、何か話してやろうと思っても、若い奴は口の利き方が出来ていないし、先輩を尊重することもない。話していても腹の立つやつばかりだよ」。

 「若い人はそう言うもんだよ。自分自身のことを考えてごらんよ。私なんか、今考えると随分先輩たちに失礼な口の利き方をしたよ。そもそも、先輩たちを尊敬していなかったしね。同じだよ。彼等にとって私らは興味のないマジシャンなんだから。

 私らから何か教えてもらおうとは考えていないんだ。昭和40年代のころは、例えばアダチ龍光先生から何かを習おうなんて言う人はまずいなかったよ。松旭斎天洋先生もそう。初代天功さんもそう。話をして天功さんから何か学ぼうなんて言う気持ちで天功さんに近づく若いマジシャンなんていなかったもの。

 松旭斎広子先生も、天花先生も、二代目天勝先生も、寄って行って、芸談など聞こうと思えば幾らでも聞けたのに、誰もそうした人の所には行かなかったよ。私がそうした古いマジシャンに近づいて、いろいろ話を聞いていたのは、例外中の例外で、当時の若いマジシャンの興味は、種仕掛けであって、海外の先端のマジシャンには興味はあっても、すでに芸を作り上げて、実績を残した日本のマジシャンには一瞥もくれなかった。

 若い者って、いつでもそんなものだよ。あんたもそうだったでしょう?。近くに先輩が住んでいても話を聞きに出かけて行かなかったでしょう。あぁ、あの時にいろいろ話を聞いておけばよかった。と思うのは、自分が分別がついて、知識が身について初めて思うことで、人の才能何て早々簡単に見極められるものじゃないよ。そもそも人の技量が見極められると言うことは相当な人なんだから」。

 私はこうした世間の批判ばかりする仲間のマジシャンを避けているのです。こうした話を百時間しても何ら得る所がないからです。他人の批判をしても何も良いことはないのです。ある程度年齢が行ったなら、若い人を前に出してやるようにしなければいけません。次の時代のマジシャンを育てなければ結局次の時代にマジックが残らなくなってしまいます。

 昭和40年代とは違って、今はショウを見せる場が思いっきり少なくなっています。若い人の出演するチャンスが限られています。何とか出演できる場を作らなければなりません。誰も彼も若いと言うだけは面倒を見ることは出来ませんが、努力をしている人ならどこかに出してあげるように働きかけるべきなのです。

 若いマジシャンを十把一からげにして、何もかもを否定しないで、先ずは出演の場を広げて行くことが大切なのです。人には寿命があり、ある時期が来れば舞台から降りなければならなくなります。それでも次の人にリレーでつないで行けばマジックは残ります。次の時代のことは、次の世代のマジシャンを信じる以外ないのです。

 幸い、私の知る若いマジシャンはみんなうまいと思います。少なくとも私の20代30代よりも、情報は多いし、稽古もよくしていると思います。そうであるなら、私がとやかく言うことではないのです。物は見方です、否定的に見れば世の中はみんな駄目に見えます。世の中上手く行かないことばかりでも可能性を探して行けば、結構面白可笑しく生きて行けるのです。言って詮無きことは言わないことです。

続く