手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

関西指導の旅

関西指導の旅

 

 毎月関西方面に指導に出ています。場所は、富士、名古屋、大阪の三か所です。三か所を二泊三日で回ります。今回は更に28日(日)午後から、大阪のチチンプイプイでキタノ大地さん,、魔ほうの愛華さん主催の公演があり、夜遅くまでかかるために、もう一泊大阪に泊ります。私の関西の指導は、三か所で約20人くらいを指導します。ほぼ個人レッスンですので、習う内容はみんな違います。

 これ等の内容をすべて浚っておくのは簡単ではありません。シンブルあり、ゾンビあり、 中華蒸籠あり、メリケンハットあり、カードマニュピレーションありと、なかなか大物の作品がずらり並びます。

 習う生徒にすれば、私が何もかも理解していて、言えばすぐに教えてもらえると思っています。ところが、私もだんだん記憶が怪しくなってきて、言われてすぐには細かな注意点も出て来ません。そこで事前に浚っておく必要があります。

 そのため、指導の前日は深夜から稽古をします。それが数時間。結局徹夜になります。ところが、今回は28日の舞台を引き受けたために、カードマニュピレーションと、その他スライハンド物を舞台で披露しなければなりません。

 自身のステージの稽古までするとなると一晩では間に合いません。三日前から稽古をしました。なんせ。私一人で燕尾服を着て舞台に立つことがもう殆どありません。けっこう感覚がつかめず、稽古をしながらうろうろします。20代のころは何でもなく出来ていたことですが、今はなかなかできません。

 でも、やって見ると面白いのです。自分が何に惚れ込んでマジックを始めたのかが良くわかります。スライハンドと言うのは、何か大きなものを出したり、誰も知らない不思議を見せるからいいマジックなのではありません。何気ない演技の仕草に何とも言えない雰囲気があって、小さなものが出たり消えたりするのでも、人の工夫がほの見えて来て、それを自分自身が再現できるところにマジックの旨味があるのです。

 稽古をしながら「あぁ、そうなんだよなぁ。ここなんだなぁ。ここが面白くて自分はこのマジックをしていたんだなぁ」。と、自分で納得しながら稽古をしていました。

 やっていると、若いときは気付かなかったのですが、明らかに今の時代とは違う雰囲気が戻って来ます。良く言う「昭和の香り」、でしょうか。私は昭和も平成も令和もほとんど何も変わっていないように思いますが、恐らく今、マジック界に入って来た人たちが見たなら、私のマジックは全く別の世界の芸能に見えるでしょう。

 「かつてはこれがスタンダードだったのですよ」。と教えなければいけません。私がフレッドカプスや、サルバノの演技を生で見たときに、巧さもさることながら、もうどうやってもあの味わいは作り出せないなぁ。と思ったものです。彼等の演技は、昭和生まれの私ですら再現することのできない、遥か昔の世界だったからです。

 イギリス人のバッキンガムの演じた八つ玉を見た時もそれを思いました。「あの手順を、あれだけの思いで今演じる人はいないなぁ」。タネ無しでボールを手の上に十一個出して見せるアクトなど、今となっては、あえてやる人などいません。スライハンド華やかなりし時代の名人芸だったのです。

 そうした名人達と私のカードとは比べるべくもありません。然し、愛華さんから、「今度のショウでカードやスライハンド物をやって下さい」、と言ってきたのです。正直私は躊躇(ちゅうちょ)しました。もう長いこと舞台でやっていないからです。

 今の私は完全に和の世界の人になってしまい、タキシードや燕尾服を着ていた頃を知る人は殆どいません。私ももうそうした演技をすることはないだろうと考えていました。ところが今回依頼を受けたのです。本当なら断る話です。

 でも依頼があると言うことは、私の過去にかすかにでも花を求めている人がいるから依頼があるのかな。と、思います。不思議な偶然ですが、来月2月13日に、高橋司さんからレクチュアーの依頼を受けました。場所は秋葉原駅近くの貸しホールです。

 18時30分から、音頭ビル3F会議室。詳細は東京イリュージョンの告知板をご覧ください。

 レクチュアーは参加者20人程度を予定している小さな集会ですが、その案内チラシに私が30代末に撮影した写真が載っています。タキシード姿で、頭の毛は黒く、如何にも若いころの写真です。

 私は、「いくら何でもこの写真は今の私じゃぁない。別の写真に差し替えて欲しい」。と頼んだら、高橋さんが、「いや、私の女房が、この写真がいいと言ったのです」。と、奥さん推奨だったのです。

 おやおや、思わぬところで、私の昔の写真を褒めて下さるファンがいたのです。何だか今年になって一遍に、昭和、平成の私を求めて下さる方が出て来て、意外でした。但し、もしそうお考えの方々が何人かでもいらっしゃるなら、もう一度、手順をまとめて、かつて若いころ演じていたマジックを、「クラシック」。として見せたなら面白いのではないかと、考え直してみました。

 内容は若いころにやっていた演技でも、今演じてみると、それなりに味わいのある演技になっているかもしれません。そうなら、これはこれで古典芸能です。

 西洋奇術も、あえて、古典芸能という観点で見直してみると、結構味わい深いマジックとして評価されるのではないか。そんな風に閃きました。つまり古いものを古いと肯定してしまうのです。案外これは、私の70代からのライフワークになって行くのかも知れません。

 そこからスライハンド復権が始まる可能性もあります。私がその火付け役になったなら、それは光栄なことです。

 スライハンドが昭和の末ごろから廃れ始めた原因は、スライハンドインパクトや、巨大な取り出し物を取り入れた結果です。派手に見せようとして、火薬や、ドカンと言う効果音と共に吹雪をまき散らすような演技が流行り出したり、カードはどんどん巨大化して、無理なハンドリングが目立って行きました。それが結果として観客を失って行ったのです。

 実は誰もスライハンドインパクトなど求めていなかったのです。ごく普通にスライハンドの旨味を楽しむような、肩の力を抜いて、気軽に見られるような、古典芸能としてのスライハンドを復活させたなら、案外支持者は増えるのではないかと思います。

 私の閃きは今までも結構正解した実績を持っています。そうなら今年から早速、スライハンド手順を充実させてゆき、いい作品を残そうと考えています。

 今月28日(日)の大阪チチンプイプイのショウ。2月13日の秋葉原のレクチュアー、お時間ありましたら、どうぞお越しください。

続く