手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ほどほど

ほどほど

 

 昔の話ですが、会社経営をされているアマチュアマジシャンのAさんに招待されて、私と、私の友人のB君が、地方のクラブに行きました。クラブと言ってもマジッククラブではありません。ゆったりとしたソファーがあって、アルコールが出て来て、ホステスが3人付く、雰囲気のいいクラブです。この町では相当にいい店です。

 こういう店に入ったときには、私はマジックはしません。やってもいいのですが、なるべくマジックをしないで、Aさんや、ホステスを、喋りで楽しませるように心がけています。なぜこの店で私がマジックをしないかと言うのは明らかです。恐らくこの店ではAさんがしょっちゅうマジックを見せているだろうと推測できるからです。つまり、この店はAさんの「縄張り」なのです。

 仮に私がうまくマジックを見せたなら、その後、Aさんの演じるマジックが明らかに見劣りするでしょうし、地方都市の飲食店でAさんとマジックを競うことは全く意味のないことだからです。

 ホステスとの会話の中で再三マジックを求められた時には、一つだけマジックを見せます。それもカードでないもの(カードはアマチュアのA さんがきっとさんざんやっているだろうからです)。

 私はAさんに招かれてお店に来ています。すなわち客です。客は招待してくれた人を持ち上げて接しなければいけません。後々までも、Aさんが、あの人を連れて行って良かった。と思ってくれるように、気を配らなければいけないのです。

 Aさんが、私ら二人を「プロマジシャンだ」。と紹介したため、ホステスがマジックを見たいとせがみました。私はなんとかそれをかわそうとしましたが、B君が「それじゃぁ」、と言って、懐からカードを出しました。

 私は「まずいな」。と思いました。B君はマジックをやりだすと長いのです。私は小声で、「オンリィ テンミニッツ」。と言いました。せいぜい10分でまとめろ。と言う意味です。

 ところが、彼はいったんマジックを始めると止まりません。次から次と、マジックが続きます。クラブのホステスは、商売柄、大きな声で「えぇ、どうして」、「すごい、分からない」。と歓声を上げています。その歓声を受けと勘違いして、B君のマジックはエスカレートして行きます。

 10分を超え、20分を超絵、もう自分の世界に没頭しています。私とAさんは、B君のマジックと少し距離を置いて、ホステスと会話を始めます。ボックス席はマジックと我々の会話とで二分されています。マジックは30分を超えました。ホステスは明らかに飽きて来ています。

 徐々にホステスが入れ変わって行きます、初めのころ喜んでいたホステスはいなくなり、今座っているホステスは、新たなホステスです。彼女たちも声を上げて喜んでいますが、明らかにマジック好きな「客」をあしらうために歓声を上げていることが分かります。

 そのうち、Aさんが、「さぁ、それじゃぁ別の店に行きましょうか」。と言って、立ち上がります。かれこれ40分、B君は演じ続け、立ち上がってもまだ左手にカードを持っています。B君はまだマジックに未練を残して店を出ました。

 大概こうした店に入ったなら、女の子の好きな話題をするものです。化粧品の話、食べ物の話、旅行の話、ファッションの話。しかし、B君からはついぞそうした話はなく、ただひたすらにマジックを演じ続けていました。「これじゃぁ女の子に持てない」。女の子にもてないと言うことは、人気が出ないと言うことです。

 翌日、公演を済ませて、帰りの列車で、私はB 君に対して怒りを込めて不満を言いました。「君は、プロでありながら、お客様がマジックを見たがっているのか、いないのか、判断がつかないのか?。私は始めに君に10分と言ったじゃないか。どうして延々40分もマジックをするんだ」。「客が喜んでいるから受けていると思ってつい」。

 「ホステスは義理で喜んでいるんだよ。マジック好きの君をあやしているだけなんだよ。気付かないかい?。君は勘違いをしているよ。第一ね、我々はAさんに招かれて店に行ったんだよ。お客様と言うのはホステスじゃぁないんだ。Aさんなんだよ。

 Aさんがお金を使って我々を接待してくれているんだ。そうならAさんが満足することを第一に考えなければいけないんだろ。それが、Aさんを放ったらかしにして、延々マジックを演じ続けるのはどういうわけ。自分が受けていると勘違いをして、得意気にマジックを見せまくって、それでAさんは楽しいだろうか?」。

 私は、この時ほど、プロと称するマジシャンが、少しも観客を見ていなくて、しかも、スポンサーのことを少しも考えていないのを知って愕然としました。そもそも接待と言うものがどんなものなのかを知らないのです。自分自身がスポンサーに招かれていると言う、根本が分かっていないのです。

 そんなマジシャンがどれだけマジックをしても、結果はスポンサーに悪い印象しか残らないのです。当人は、ホステスに受けて、「自分のマジックは受けている」と思い込んでいます。そして、「サービスでマジックをしたことで、きっとAさんも喜んでいる」。と信じて疑わないのです。

 確かにB君のマジックは巧いと思いました。然し、傍で見ていると、明らかに彼は自身のマジックの世界に入り込んで、自身の優越の中で満足しています。まったく素人なのです。「これはえらい人を連れて来ちゃったなぁ」。と思いました。彼のマジックが巧いかどうかよりも、「私とAさんの関係が壊れなければいいが」。と心配になってしまいました。

 マジシャンの多くが、いい技量を持っていながら、仕事や収入に恵まれない人が多いのはなぜか。その理由が良くわかりました。それはすなわち、目の前にいる人の気持ちが見えていないのです。

 そうした人を私があちこち連れて行って、仕事を世話したり、スポンサーを紹介したりすることがマジックの発展につながると思うのは大きな間違いだと気付きました。マジックが出来る以前に、マジシャンは人とどう接しなければいけないのかと言う、社会のマナーを教えておかなければいけないのです。さもないと、全く世間のことが見えないまま、「自分は誰よりも上手い、自分は天才だ」。と思い込んでいるモンスターのようなマジシャンを野に放つ結果になるのです。

続く