手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジョニー広瀬師死去

ジョニー広瀬師死去

 

 このところ、マジシャンの死亡が続いています。長らく関西マジック界のリーダーとして活躍していた、ジョニー広瀬師が8月26日、病院で亡くなられました。白血病だそうです。享年75。死亡の発表は、所属の吉本興行から、8月30日にされたそうです。

 これまで舞台でも何度も一緒に活動しましたし、世界大会でもたびたびお会いしました。私的に会って、じっくり話をしたことなどはありませんでした。私よりも7歳年上ですので、もう今は、数少ないキャバレー時代を経験した先輩です。

 初めてお会いしたのがいつだったか記憶にありませんが、たぶん東京で開催された世界大会だったと思います。50年近く前のことです。その頃は、目隠しをして、魁傑ゾロのような恰好でマジックをされていました。奥さんの霞さんと一緒に、スライハンドマジックをされていました。

 FISMのブラッセル大会の際にも、コンテスタントでチャレンジしているのを拝見しています。どうも噂で聞くところによると、極度のあがり症らしく、それが原因か、よく舞台上で失敗するのを見ています。

 実際お会いして、いろいろ話を聞くと、いろいろなマジシャンのハンドリングを良く知っていて、しかも、テクニックの一つ一つを実際に演じて見せてくれて、大変な実力者だと言うことはよくわかりました。

 ところが、実際の舞台になるとどこかうまく行かないことが時々あったように思います。マジックには人一倍熱心で、晩年病気をされてからでも、私が開催している、大阪のマジックセッションにたびたび見に来て下さいました。

 「いつか一度出演してもらおう」。と思って、交渉してはいたのですが、「体が言うことを聞かへんねん、もう少しようなったら出るわ」。と言ってらっしゃいました。それももう叶うことはありません。

 晩年体を悪くして、数年間吉本の出演からも離れ、入退院を繰り返していたようです。そのため、徐々に人の噂に出ることもなくなっていました。

 

 それがあるとき、ふと広瀬さんの名前が出て来ました。それは峯村健二さんが、峯ゼミで天海のフォールスノット(ニセ結び)を指導された時に、天海師の改良版として、ジョニー広瀬さんのフォールスノットを紹介してくれました。

 これがまさに目から鱗の作品でした。元々、天海師のフォールスノットは、複雑怪奇で、覚えるのが難しいハンドリングなのです。それをより簡便にして、流れを損なわないハンドリングに変えていました。

 この手順を学んだときに、今更ながら、ジョニーさんのマジックに対する考え方に敬意を表するに至ったのです。基本となる作品を、より簡潔にして、作り変えると言うのは大した才能です。よくぞここまで考えたものだと遅ればせながら感心しました。

 

 どんなマジックでも、些細な工夫でも、マジックをどうとらえて、どう言うふうに答えを出したか。と言うことがマジシャンの価値につながります。ジョニー広瀬さんが関西の若手のリーダーだと言われていた頃から、随分多くの舞台を拝見していますが、なかなかいい舞台を拝見することがなく、「この人の本当の価値はどこにあるのだろう」。といつも訝しく思っていました。いつも、「たまたま私が見た時が出来が悪くて、いつもは素晴らしい舞台をするのだろう」。と思っていました。

 そしてついぞジョニーさんのステージから真価を見ることはありませんでした。然し、最晩年に、峯村さんから、天海フォールスノットの改案を見せられた時に、ジョニーさんと言う人の価値が見えました。やはり凄い人だったのです。

 

 さて、数日前に、松旭斎すみえ師が亡くなり、すぐ後にジョニー広瀬師が亡くなり、このところ私は、死亡記事ばかり書いています。人が年を取って亡くなることは特別なことではありません。ごくごく自然なことです。それは不幸なことではありますが、間違ったことではありません。但し、人がいなくなった分、新しい才能を持った人がマジック界に入ってくればそれでいいのです。

 もしマジック界が寂しくなったと思う方がいらっしゃるなら、それは新しい有能なマジシャンが出て来ていないのです。一つの社会が縮小して行き、やがて消えてゆく過程では、必ず人が亡くなり、新しい人が出てこないことで支持者が減って行きます。

 あらゆる芸能はそうやって消えて行くのです。私が知る限りにおいても、百面相や、玉乗り、綱渡りはもう消えました。マジック界に関してはまだ若手がいます。ステージマジシャンは少なくなりましたが、クロースアップマジシャンはかなりの数がいます。

 どんな形であれ、人がいて、芸能として残って行けたならまだまだ可能性はあります。但し、只残ればいいと言うのではありません。中身の薄い芸が残っても長く続くものではありません。しっかり次の人に残すべき作品を指導をする人がいなければいけません。そうでないと価値あるマジックがどんどん失われて行きます

 かつて、手妻(和妻)が、昭和30年代にそっくり消えかかっていた時と同じく、今、ステージマジックは継承者を失いつつあります。カード、ボール、シガレット、鳩、そうしたマジックの非公開のテクニックは誰が継承するのでしょうか。

 このままではどんどん分厚い知識の蓄積が消えて行ってしまいます。手妻が危ないと言っていた時に、同じことがスライハンドに起こることを誰が予想したでしょうか。これをこのまま放置していたのでは、日本の大きな財産が消えてしまいます。

 何とかしなければなりません。と思いつつ、私もいろいろ活動を続けていますが、如何せん私一人ではどうにもなりません。もう少し熱心な人たちが、あと5人でも集まって、活動が出来たなら、この危機を脱することができます。

 さて、この先はどうなるのでしょうか。人の追悼文を書くたびに不安になります。ジョニーさんの安らかなる旅立ちを祈ります。

合掌。