手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

イルカのステーキ

イルカのステーキ

 

 まだ30代のころ、伊東のハトヤホテルに出演していた時のことです。ハトヤは、夜だけの出演でしたので、日中は全く何の用事もありません。街中をぶらぶら歩いたり、近くの観光場所を車で出かけたりしていたのです。

 ある日、町を散歩していると、イルカのステーキ定食と言うのがありました。これは珍しい。子供のころにクジラの肉はよく食べましたが、イルカは食べたことがありませんでした。そもそもイルカを食べてもいいものなのかどうか、まぁ、売っているくらいですから、伊東ではけっこう普通に食べているのでしょう。

 一体、どんな味なのか興味があります。早速店に入ってイルカステーキを注文しました。値段はいくらだったか忘れましたが、1000円くらいだったと思います。随分安いステーキだったと記憶しています。

 そして出てきたものは、真黒な肉でした。驚くにはあたりません。クジラ肉と言うのは黒いのです。刺身は赤いのですが、焼くとどうしたものか黒くなります。イルカも同じです。ところで、イルカとクジラの区別は、どう違うのかと言うと、サイズの差だけです。クジラの小さな種類のものをイルカと言います。

 何メートル以上がイルカなのかは知りません。然し同じ種族です。イルカは定置網などをすると、時々網に掛かります。放っておけば網の中の魚を食べてしまいます。漁師にとっては厄介な生き物です。見た目は可愛らしいのですが、貴重な高級魚をバクバク食べてしまうため仇のようなものです。

 そこで捕まえたイルカは食べてしまいます。それは今に始まったことではなく、日本の歴史が始まって以来、イルカ、クジラは日本人にとって貴重なたんぱく源だったのです。

 クジライルカは魚ではなく、獣ですから、皮は、牛や馬と同じく、昔は、靴や、ランドセルになりました。身は食用となり、脂身は灯油になりました。骨も石鹸の材料となり、クジラの髭と呼ばれた、口の中にある板状の骨は、からくり人形のぜんまいになったり、着物の裃の肩に入れて、裃がピンとするようにばね板にしたのです。

 当時の侍が普通に 着ていた裃にクジラの髭が使われていたと言うことは、それだけたくさんのクジラが捕獲されていたわけで、江戸時代のクジラの消費量は想像する以上に大量だったのでしょう。とにかく、クジラは身も骨も皮も、捨てるところがなかったのです。

 江戸時代は一頭のクジラを仕留めると、七浦が栄えると言うほど漁師の村が潤ったと言います。なんせ図体が大きいものですから、捕獲するのが一苦労です。当時の漁師は小舟で、クジラに近づき、槍を使ってクジラを突くのですが、少しばかり槍が当たったくらいではクジラはびくともしません。

 そこで、たくさんの小舟でクジラを浦におびき寄せて、小舟で囲って、浦の中で逃げられないようにして、みんなで槍を刺します。何十本もの槍が刺されば、さすがのクジラも参ってしまいます。

 弱ったクジラを浜に上げ、解体作業をします。肉は腐敗が早いので、浜ですぐに焼いて燻製にします。ところが、肉の量が多過ぎて、1つの港だけで食べるには肉が余り返ってしまいます。そこで、近隣の港に声を掛けて、村人総出で肉を焼いて、分け合ったのです。

 動物性たんぱく質に飢えていた江戸時代は、クジラ肉はご馳走です。一頭のクジラで七浦が栄えると言うのはこうした理由からです。

 

 話がだんだんそれてしまいました。私が食べたイルカステーキは、何やら甘辛いたれがかかっていて、身はよく焼けていました。キャベツの上に乗っていて、別に丼に飯、味噌汁が付いていて、味噌汁は、貝汁でした。要するに、とんかつ定食と似たスタイルです。ステーキと言いながらも和食なのです。

 味は、と言うと、やはり昔食べたクジラ肉を思い出しました。随分筋張っていて、かなり硬い部分があり、食いちぎれないところもありました。味は鹿肉に近く、鹿よりも脂が多く感じました。矢張り野生の肉でした。と、こう書くと不味そうに感じますが、実は旨いのです。筋の固い部分さえ我慢すれば、味はしっかりと濃くて、牛肉とまではいきませんが、例えば野生のバッファローを食べたらこんな味かな。と思うような肉でした。

 私は何の抵抗もなく、イルカ定食を食べました。むしろ出来ることなら、又イルカのステーキに遭遇したいと思いました。「イルカは可愛い顔をして、愛嬌があって、頭もいいのに食べてしまうのか可哀そう」。と言う人があるかと思いますが、可愛いいか、可愛くないかと言うことと、肉を食べることは別問題です。

 世間には、野生の熊や、シカ、猪、ワニや、ダチョウ、カンガルーを食べさせるレストランは世界中にあります。こうした店で、積極的に野生肉を食べてもらわなければ、野生動物が増え過ぎたときに困るのです。動物を可愛がるのはいいことですが、放っておけば動物は増えて、畑の野菜を荒らしたり、果物を食べたりします。

 結局、動物は増え過ぎれば人間にとって有害になります。どこかで接点を設けて、余りに増えたなら、食肉にしなければなりません。それはクジラも同じなのです。

 クジラは動物だから殺してはいけない、と西洋人は言いますが、今世界中で、クジラが増えすぎた結果、クジラの餌となるオキアミが極端に減少し、同じくオキアミを食べるマグロやカツオが減少しています。そうなると、クジラは天敵となりますが、日本が太平洋でクジラを取らなくなった結果、クジラが増え、魚が減っているのが現状です。西洋人は、カンガルーや、ワニが増えすぎれば、食用にします。それとクジラが同じことだと言うのをになって気付いています。

 単に動物愛護を語ることは無意味です。可愛がるのはいいことですが、同時に人間や、他の動物の生存も考えなければ自然のバランスが取れません。可愛がるだけではいけないのです。

 イルカのショウ見て、可愛いいと思う人にとっては、イルカのステーキは食べたいと思わないでしょうが、私はイルカのジャンプする姿を見て食欲を感じます。まるでいけすの中を泳ぐ鯛を見る思いです。あんな生きのいいイルカを食べたらどんなに旨いだろうと思います。箸と茶碗を持ってイルカを摘まみたくなります。

 これから食糧難の時代が来ると言う話は頻繁に聞きます。コオロギやバッタを食べるなどと言う話を聞きますが、コオロギバッタに行く前に、なぜイルカを食べないのか不思議です日本に生まれたのなら、まずイルカから食べてはいかがでしょう。

続く