手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

芸術祭がなくなる

芸術祭がなくなる

 

 全く寝耳に水のような情報が入って来ました。文化庁主催の芸術祭が、今年度で終わり、来年からは、個々の芸能に賞を与える、芸術選奨のみに集約させる。というものです。少し内容が混乱するといけませんので、説明します。

 芸術祭と言うのは、文化庁が主宰するいくつかの主催主公演を核とするほかに、一般申し込みを認め、幾つかの条件が満たされた団体、または個人が(プロでなければならない。質の高い芸能でなければならないなどの条件を満たしたうえで、芸術祭の期間に、劇場公演をする)、芸術祭に参加できました。参加をした団体や個人の中から優秀と認められたものには毎年、芸術祭大賞、奨励賞、新人賞、などが贈られていました。

 この一般申し込みは実に多岐にわたる芸能が参加し、フラメンコダンスや、沖縄宮廷舞踊、松竹歌舞伎、オーケストラ、落語、漫才、講談、マジック、パントマイム、ジャグリング、などなど、あらゆる芸能の中から芸術祭賞が選ばれました。

 芸術祭に参加した公演は、当日、文化庁から審査員が10名程度見に来て、その後で選考を行います。5つのジャンルがあって、演劇、音楽、古典芸能、大衆芸能、映画、テレビメディア、などの各部門から、2名なり3名が選ばれて、翌年に授賞式が設けられていました。なかなか選考が厳しくて、部門によっては、大賞がない年もありますし、新人賞がないときもあります。必ず一部門3人が選ばれるわけではありません。

 選ばれたアーティストは、賞金と賞状がもらえます。賞を受ける側の者にとっては、何より嬉しいことは、他のジャンルの芸能人と一緒に評価されることです。人気のある、落語家や、コント、パントマイムなどをしている人たちと同じ土俵で審査され、その中で芸能としての質や価値を評価されるわけです。

 こうしたことは他の賞ではなかなか経験できません。マジックの世界で言うなら、FISMというマジック大会は、参加者は、全てマジシャンです。マジシャンの中で一番いいマジシャンを選ぶのです。それは名誉なことではありますが、そうして選ばれたマジシャンが、芸能芸術の分野で、どれくらいの位置にいるものなのかは示されません。

 また、選考する審査員がマジックはともかく、一般的な芸能芸術の理解度がどれくらいある人たちなのか、も全く未知数です。芸術祭で先行する審査員は、演劇評論家能楽、歌舞伎研究家、演出家、などと言った、特定の分野で評価を得ている人たちが審査をします。およそマジックに精通している人と言うのはいませんが、逆に、それだけにマジックがどの程度の位置づけで評価されているかが分かります。マジックの中で通用している演出であるとか、演劇要素などが、時として全く通用しない場合があるのはその理由です。

 マジシャンだからと言ってへたな芝居が許されるわけではなく、喋って笑いを作るのでも、漫才、落語を超えたレベルの喋りが出来なければ、入賞は難しいのです。そうした、芸能全般を鑑みて、高いレベルを求めて来る選考と言うのは、少なくともマジック関連の大会ではなかなか体験できません。

 私は27歳で初めて芸術祭に参加し、その後数年に一度ずつ芸術祭に参加してきました。参加のたびに、審査員にその後の感想を尋ねると、全く予想外の判断をされることが多々ありました。

 それは例えば、ダンスなどを取り入れて、もっと派手でスピーディーなショウにしようと考えているとある、審査員は、「もっとシンプルに、ゲストなど入れないで、自分自身の芸能を地道にまとめ上げたほうがいい」。などと言うアドバイスをする人がありました。

 私などは、古い文献に出ている手妻を復活上演などをたびたびしましたが、そうした内容が案外高評価をもらうことがあったのです。これは、地味で目立たない活動を続けてきたものには大きな励みとなりました。「植瓜術(しょっかじつ)」、「一里四方取り寄せの術」、「蝶のたはむれ」、「金輪の曲」或いはまた、「呑馬術」、などはそうした流れの中から生まれて行った作品でした。

 そうした作品を発掘、アレンジして行った結果、手妻は一つのジャンルとして成り立つようになっていったわけです。今日、海外のお客様がたくさん日本に来るようになって、日本の芸能をお見せする機会が増えましたが、その中でも手妻はダントツに好評で、多くの海外のお客様が求めてくる芸能になっています。

 一時は消えかけて、全く世間から顧みられることのなかった手妻が、そこまで評価されるようになったことは芸術祭の果たした役割は決して小さくなかったのです。私とすれば、この40年間の芸術祭の参加公演は、全くライフワークのようなもので、どれほど励みになって来たことか計り知れないものがあります。

 受賞の際も、私と市川團十郎さん(今の団十郎さんのお父さん)、や、大地真央さんな度が同時に受賞を受けるわけですから、とても名誉でした。こうした晴れがましい受賞を経験させてもらっただけでも芸術祭の価値は十分にありました。

 

 それを突然やめてしまうと言うのは信じられません。少なくとも、参加していた我々に打診があってもよさそうなものですし、説明会があってもよいはずです。ましてや、芸術選奨とまとめてしまうと言うのは乱暴です。

 芸術選奨と言うのは、タレントが自発的に参加することができません。審査員も誰が審査員で劇場に来ているのかもわかりません。全く透明性のない活動なのです。審査基準も公表されません。全く謎の活動です。それと芸術祭を一緒にすると言うのはまったくもって理解できません。

  この10年くらい、世間の芸術祭に関する興味が薄れてきているのは事実です。受賞者も、かつては、NHKニュースでたびたび報道されたりしていたものが、今では芸術祭がニュースに出ることは稀です。だからと言ってやめてしまうことが日本の文化の向上発展に貢献するかどうか。

 本来なら、もっともっと予算をかけて、幅広く芸能のレベルの底上げを図った方がいいのではないかと思います。私の弟子の藤山大樹が、2年前に芸術祭新人賞を取りました。その時彼は32歳でした。32歳で文化庁芸術祭賞がもらえたと言うことが、その後の芸能活動にどれほど励みになったか知れません。このショウをもっともっと多くの若い芸能人に与えてほしいと思います。やめてしまうなどとは勿体ない、こんな深い志のある催しは他にありません。ぜひぜひ再考して、芸術祭を続けて欲しいと思います。

続く