手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

春は名のみ

春は名のみ

 

 一昨日(15日)は、月に一度の地方都市への指導の日です。この3年間は、新幹線もガラガラで、私は事前に、必ず3日間の新幹線やJR線はチケットを買っておくのですが、予約なんて全く意味がないほどに、いつも人が乗っていませんでした。

 それが、15日は、東京駅に着いた時点でもう人で溢れています。駅に活気が戻ったのは幸いですが、そうなると、座席が心配です。通常指導旅行には大きなスーツケースを持参します。その荷物は、私の座席の隣に置いておきます。いつもなら隣座席が埋まることはありません。悠々と荷物が置けます。

 然し、東京駅を出る時点で既に8割くらいの乗車率です。「隣が埋まったら困るなぁ」。と心配しつつ、東京駅を過ぎ、次に品川駅、新横浜駅と、確認をしてから、「もう大丈夫、新横浜さえ過ぎれば人は乗ってこない」。と安心をして、パソコンを広げ、いつもの事務作業を始めます。少し時間をずらして、東京駅で買っておいた崎陽軒の焼売弁当を広げます。

 もう、こうした仕事を十年以上も続けています。さて、この日は富士の指導が夕方4時30分まで続きました。それから新富士駅に行き、5時8分の新幹線で名古屋へ、名古屋から在来線で岐阜へ、7時に岐阜到着。駅の改札で、辻井さんと峯村さんが待ってくれていました。おなじみのコンビで、その晩は柳ケ瀬近く、金園町交差点にある徳専へ向かいました。

 ここは何度かこれまでも連れて行って頂いています。岐阜で懐石料理を頂くなら、徳専は先ず一番にいい店です。一時店を休んでいたと聞きましたが、よくぞ復活したと感心していました。この3年間。どこの店も人には言えない苦労をしていたのでしょう。

 この日は、春の山菜が良く出て来ました。早めに前妻で出てきた天ぷらはぜんまい(ぜんまいではないそうですが名前を失念)や、たらの目の天ぷらで、メインに太刀魚が上げてありました。山菜はほの苦くて、春を感じさせる味わいでした。

 太刀魚の天ぷらがなかなか立派でした。太刀魚は関東ではめったに食べません。たまに塩焼きなどで食べることもありますが、どちらかと言うとさっぱりとした魚と思っていましたが、この太刀魚は大きなものをぶつ切りにして揚げたものです。かなり脂がのっていて、前妻の盛り付けとしては充分満足しました。

 その後は、なますの役どころとして、山菜を細かく切って、梅干をアクセントに加えたあえ物で、複雑な味わいがうまくからまり秀逸でした。こうしたさらりとしたものがうまいと感じるようになるのはある程度年齢が行かないと分からないと思います。季節と重なっていい一品でした。

 私は早々に三千盛りを呑んでいますが、癖の少ない酒で、飲みやすく、しかもこの晩の山菜の味には実に合います。

 聞くと、この山菜を店の主人が実際に山に出かけて毎週採りに行っているそうです。陽気の変化とともに、日を追うごとに山深く行かなければ採れないため、結構大変な仕事のようです。

 汁物は、蛤と真丈の椀など出て来て、焼き物がのどぐろの塩焼き(だったと記憶しています)に、何か小さな卵が散らばっていました。お終いが飯なのですが、この店の飯が文句なく一品です。私は飯は毎回、一回が小さく一膳と決められています。残念ですねぇ、これだけの飯がありながら。この飯にちりめん山椒と、からすみの薄切りが数枚付きます。このおかずで飯を頂くと、実は他の料理を超えて堂々一位の一品になります。それほどコメの味と言うものは圧倒的な力を持っています。

 この日は、実は、富士の加藤弘さんから、シラスを頂いていました。朝一番の漁で取れた地元のシラスです。それを密かに出して、飯に乗せ、三人で食べました。一流の料亭におかずの持ち込みとは失礼な話です。

 富士の田子の浦湾のシラスで、朝とれたものをすぐに炊き上げたものですから、身が艶々していて、一匹一匹がつるつるとしてのど越しがいいのです。上手く味付けがされたちりめん山椒も上等ですが、矢張り朝採れにはかないません。二種類のシラスを飯に乗せ、長野産の米で炊いた飯は天下一品でした。あぁ、こんな幸せを体験して、生きていけるなんて何て幸せでしょう。懐石を堪能して大満足です。

 さて、三人は、先週私がブログに書いた、小野坂東さんの言う、「最近のマジックに感動しなくなった」。と言う話がかなり関心の的で、実際多くのマジシャンが余りに即物的になり、マジックのイフェクトのみを見せることで観客を引っ張ろうとする姿に峯村さんも危惧を抱いていました。峯村さんは、「背景にストーリーがあったり、小さなエピソードを作るのは絶対に必要だ」。と言いました。

 辻井さんも、若手のプロマジシャンを引き連れて、食事を誘うことが度々あるようですが、そんな時でも、話題はマジックのことしかなく、それも、観客を置き去りにして、新しい種の話題を延々とする姿を見て、「これで生活していけるわけがない」。とつくづく実感するそうです。

 観客にマジックを見せると言うことは、初めに観客が興味を示すような、面白い話題があって、そこにマジックを溶け込ませて話を進めて行くからマジックが面白いのです。辻井さんは、「観客の知らないタネ仕掛けにばかりこだわっていても、どんどん観客から離れて行くばかりです」。更に、「プロは日頃から色々な話題のものを見たり、演劇を見たりして、話題を作って行く努力をしないとお客さんが見えてこないんだと思いますよ」。

 仰る通りなのです。世間の話題から離れて、マジックだけが単独に存在することなどありえないのです。ところがどんどんマジックだけが、一部の愛好家を喜ばすだけのコアな世界になりつつあります。

 東さんの危惧するところもそこにあるように思います。こうして、岐阜でいい食事をさせていただきながら、マジックを通して何をお客様に伝えて行かなければいけないのか。いろいろディスカッションをすると言うのは、実に高級ないい時間を体験していると思います。

 一切マジックの種仕掛けの話をしないで、3時間近く会食をすると言うのは楽しい遊び方だと思います。食事会を終えて外に出ると、外は小振りの雨、雨は一日中止みません。四月も半ばと言うのに、少し肌寒く、東京を出る時に、薄いジャケットを着るべきかどうか悩みましたが、雨もよいのために冬のジャケットにして正解でした。

 桜の季節は過ぎてもまだ肌寒く、陽気は安定しませんが、それでも確実に世間の気持ちはよき方に向かっているように見えます。数日前にイベントの仕事が3本立て続けに連絡が来ました。舞台の依頼が増えて来ています。ようやく私にも春が訪れてきた心地がしました。流れが良くなってきたのなら、創作もやってみようと思います。

続く