手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

プロで生きる 1

プロで生きる 1

 

 2月28日のブログ、「海外移住」で、私が20代のころ、アメリカでレクチュアー旅行をし、マジックグッズを販売し、同時にコンベンションのゲスト出演をして、一か月、二か月アメリカ中を回って、当時の金で400万円も500万円も稼いでいた話をしました。そして、ある時その間違いに気付き、指導も販売もやめて、アメリカにも行かず、日本国内で自分自身の手順を作り、舞台に専念することを決めた。と言う話しをしました。

 このブログはとても反応が良く、日ごろの二倍も読者がありました。たぶん詳しくこの事情を聴きたい人がいると思いますので、プロで生きることとはどういうことかをお話ししましょう。

 

 例えば、世の中には、俳優で、司会も出来て、商売をすればお店は大当り、政界に出たならたちまち議員先生になる。なんて言う人もいます。傍から見たなら成功者です。但し、そうした生き方がその俳優さんにとって幸せなのか。と考えると、案外そうではないように思います。

 ご当人の心の内では、本当は上手い俳優で一生終わりたかったのかも知れません。然し、一つの道を究めることはとても難しく、一つ答えを出すために七転八倒の苦しみを経験します。それに耐えられず、ついつい横道にそれると、多くの場合は、本業と違うことをすれば失敗するものです。

 失敗して元の俳優に戻れば、それはいい勉強なのですが、それが成功してしまうとそれは成功なのかどうか。むしろ話は逆で、表向きは人がうらやむほど順調に人生が進んで行きますが、実は人生は望まぬ方向にどんどん進んで行き、気が付けば後戻りできないところにまで来ている時があります。

 ご当人は、本来は、味のある、人の心に染み入るような旨いセリフを語り、顔も独特な深みがあって、お客様からも「いい役者だね」、と言われるような人になりたかったのかも知れません。それが、手に入る成功は薄っぺらなものばかり、いつしか自分の目指す道とは真逆の人生になってしまっている。

 それでも、稼いで逃げ切ってしまえば何とか成功の人生かも知れませんが、晩年になって事業が失敗したり、離婚騒動で財産を失ったりして、無一文になってしまうと、「一体自分の人生は何だったのか」。と後悔する日々になります。

 

 芸能の世界にはお手本がありません、教科書などないのです、方程式もありません。いきなり白い紙を渡されて、「さぁ、そこに自分がなりたいものを書いてごらんなさい」。と言われるのです。これからマジシャンになろうかという若者のは、何の知識も経験もないのに、いきなりセンスと、技量を求められるのです。

 そんな時期は無論、食べて行く金すら手に入りません。人も注目してはくれません。見るべきマジックもありません。自分の持っているマジックの知識と言えば、マジックショップで仕入れた小道具か、ネットで仕入れた見様見真似の演技をいくつか知っているだけなのです。さてそのレベルでどうして生きて行けますか。

 ところが世の中はよくしたもので、同じようなレベルの若いマジシャンがたくさんいます。そうした人たちがグループを作って、小さな活動場所を作り、わずかな収入を得る仕事場を持っています。そのグループにはかなず親切な先輩がいて仲間に引き入れてくれます。この人のいい先輩と言うのがまたまた危険なのです。そこでクロースアップを見せたり、サロンマジックを見せていると、学生がコンビニでバイトをするよりは多少ましな収入になります。

 気を付けて下さい。これが第一の落とし穴です。そんなレベルで稼げる収入と言うのは、いわばパチンコでたまたま当たったようなものです。大した才能もないのに、いきなりいい金がもらえるなんてよく考えてみれば怪しい話です。それを勘違いして、「自分は稼げる」。という妙な思い込みをすると間違いが起こります。

 とても妻子を養って、マンションの一つも買えるようなレベルではないのに、稼げると信じます。夜にクロースアップやサロンマジックを見せて生きて行く。そうした数をこなす仕事はある時期、修練を積んで行く意味で大切です。但し、それは成功を掴むためのステップです。そこが終の棲家であるわけがないのです。

 もしこのままその活動を続けて行って、例えば私のような年齢になったときに、何か成功の果実が残りますか。68歳になったマジシャンが、若手と同じギャラをもらって、同じ仕事をしていたら、若いマジシャンはどう思いますか。「そんな生き方では駄目だ」。その通りです。そう思うなら、今あなたはどうしたらそうならないように生きていますか。

 そもそも本当はどう生きて行きたかったのですか。本当は、ああしたい、こうしたいと言う思いがありながら、それが達成できないために、どこかで折り合いをつけて生きて来ていませんか。

 

 他人のことは言えません。私も同じ間違いをしていたのです。アメリカの地方のクラブでレクチュアー旅行をしていると、指導が終わると私はビールを飲んでさっさと寝てしまいます。マネージャーのアーノルド・ファーストさんは自室で、売れた小道具の数を数え、金額を計算し、参加費を計算し、リストを作ります。

 そして翌日、私に明細と現金を渡してくれます。根がドイツ系の人ですから、物凄く几帳面です。私はそこから25%のマージンを支払います。彼はその金を受け取ると、物凄く喜んでくれます。年取って収入の無いアメリカのマジシャンにとって、毎日指導ツアーで入って来る200ドル~400ドル(当時は1ドル240円)は身に染みて貴重な金なのでしょう。

 然し、私はそれを見て考えてしまいます。私がこのままこの活動を続けて行くと、巧い指導家にはなれるでしょう。然し、30年経ったときに、自分自身を見ると、私がファーストさんになっているのではないか、と。 

 私が27歳でアメリカ行きをやめようと誓ったのはこうした理由からです。これを続けていても自分の理想とするマジシャンにはなれないんだ。と気付いたからです。ファーストさんはいい人です。私に稼ぎを与えてくれます。献身的に働いてくれます。でも、いい人と言うのは自分の将来を幸せにしてくれる人とは限らないのです。そこそこいい収入にはなっても、これは人生の落とし穴だと気付いたのです。

 

 さて、アメリカ行きをやめて、レクチュアーをやめて、道具販売をやめて、と、やめることは簡単です。でも、自分がこの先どう生きて行ったらいいか。自分が何がしたいのか、を見定めることはとても難しいのです。つまり話は一旦振り出しに戻ったのです。新たに画用紙を渡されて、再度白紙の上にやりたいことを書いてごらんなさい。と言われているのと同じなのです。

 人は常に先の見えない人生に行き先を求められるのです。

続く